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夏の遊戯  作者: あお
6/21

5

 「武、いつまで寝てるの! 起きなさい!」

 室内に怒声が響き渡った。お昼を過ぎても起きる気配のない武を、武の母親が起こしに

来たのだった。母は武の部屋の窓を開放すると、更に声を張り上げた。

 「一体昨日何時まで起きてたの! もうお昼ご飯できてるんだから、いい加減下へ降り

てきなさい!」

 騒々しい声に、武はまどろみから引きずり出された。開かれた窓から、真夏の陽光が武

の顔面へ容赦なく降り注ぐ。

 「……わかったから……大声出すなって……」

 武が母にお座なりな返事を返すと。母は怒気覚めやらぬといった風に、階下へ下ってい

った。

 武は寝ぼけ眼をこすりながら体を起こすと、布団から出て開け放たれた窓辺へと歩み寄

った。外はあきれるほどの快晴で、蝉は今日も、短い命を謳歌するかのごとく鳴き続けて

いる。

 欠伸をした後に、一度大きく深呼吸し、頭に新鮮な空気を取り入れる。そこでふと、昨

夜の奈緒の事を思い出した。コンクリート小屋の地下から戻ってきた後の奈緒は、ひどく

体調が悪そうだった。あれから奈緒の体調は、幾分か良くなっただろうか。実際に訪ねて

様子を見た方が良いだろう。武は奈緒宅へ向う為、手早く昼食を済ませることにした。


 武は一階の台所へ降りると、真先に冷蔵庫のドアを開いた。中にはラップに包まれた、

母の作った冷やし中華が入っていた。それを、麦茶の入った容器と一緒にテーブルへと運

んだ。流しで手を洗い、コップを持ってテーブルに着くと、コップへ麦茶を注ぎ、食前の

挨拶も無しに、冷やし中華へ箸をつけた。母の料理の腕前か、あるいは朝食を食べていな

く、空腹だったせいか、その冷やし中華が格別に美味しく感じられ、武は夢中で箸を進め

た。

 

武が昼食を食べていると、武の母が台所に顔を出した。そのまま流しに向かい、コップを

水ですすぎながら母は呟いた。

 「そういえば今朝、奈緒ちゃんがあんたを訪ねてきたわよ」

 「え、本当? 何時頃?」

 「十時頃かな。武はいますかーって聞かれたから、武はまだ寝てるって言ったの。それ

で私が起こそうかって聞いたら、ううん、いらないって。それでそのまま帰っちゃった」

 「その時の奈緒の様子、どんな感じだった? 体調悪そうだった?」

 「体調? うーんどうだったかな。あまりよく覚えてないけど、少し顔色が悪かったよ

うな……。それと目の下に少し隈がでてたかも。何、奈緒ちゃん風邪でもひいての?」

 「ううん、ただちょっと気になっただけ。母さん、俺飯食ったら、ちょっと奈緒の家に

行って来るから」

 「行ってもいいけど、あまり遅くならない内に帰ってくるのよ」

 母はそういい、麦茶をコップに注いだ。

 武は奈緒が今朝自分を訪ねて来ていた事実を知り、さらに不安を募らせた。母の証言か

らして、体調も優れていないようだ。のんびりと昼食を摂っている場合では無いことを思

い出し、駆け足で昼食を終えると、早々に身支度を済ませ、自宅を後にした。

 

 

 「ごめんください」

 奈緒宅に到着した武は、玄関の扉を開き家の中へ向って来訪を告げた。すると程なくし

て奈緒の母親が姿を現した。

 「あらたけちゃん、こんにちは。奈緒に会いに来たの?」

 「はい。あの、奈緒は?」

 「奈緒なら、今日はずっと自分の部屋にいるから行ってみて。後で、お菓子持ってくわ

ね」

 「すみません。お邪魔します」

 武は軽く頭を下げると、宅内へ上がり、二階にある奈緒の部屋を目指した。奈緒宅へは

これまでに幾度と無く訪れているので、内部構造は我が家のように把握している。部屋の

前に着くと、扉の前に立ち、軽くノックをした。

 「奈緒。俺だけど、入ってもいいか?」

 扉の向うに耳を済ませたが、返事の返ってくる気配は無かった。その場で開けようか開

けまいか迷っていると、唐突に目の前の扉が開いた。

 「……良く来たね、入って」

 奈緒が目の前に立っていた。奈緒は武を室内へ入るよう促すと、自らは直ぐに室内へ引

き上げてしまった。


 扉が開いた瞬間、武と奈緒は正面で向かい合う形となったが、その時武の目に映ったの

は、明らかに容態が悪化している彼女の姿だった。顔は青白く、目はすわり、武の母の言

うとおり見の下には隈が見て取れた。

 その顔を目撃した瞬間、武は思わず、その場に数秒ほど立ち尽くした。普段の彼女とは

まるで違う姿に、ショックを隠せなかったのだ。

 武は我に返ると、呼吸を整え、額の汗を手でぬぐい、室内へ足を踏み入れた。


 武には見慣れた奈緒の部屋。奈緒は開かれた窓の前に立ち、外をじっと眺めていた。武

の位置から見た窓の外には、遠くの方に太平洋の大海原がきらきらと輝き、その上を海鳥

の群れが右へ左へと飛び回っていた。窓辺に吊るされた風鈴が、時折優しい音を鳴らした。

 ――少しの沈黙が流れた後、武が口を開く。

 「えっと、今朝俺を訪ねて来てくれたみたいだな。俺寝てたみたいで、ごめん。……そ

れで奈緒、あれから体調の方はどうだ? 顔色はあまりよくないようだけど……」

 武が問い掛けると、奈緒は武の方を振り返ること無く、呟いた。

 「……私、昨日の夜から眠れないの」

 「えっ、眠れないって、どうして?」

 奈緒の言葉に、武は驚きの声を上げた。奈緒がこちらを振り返る。疲弊しきったその表

情は、武の心を痛ませた。武の問いかけに、奈緒が答える。

 「勘違いしないでね。別に体の具合が悪いって訳じゃないから。ただ、気になることが

あって、それについて考えてたら、いつの間にか朝になってたの」

 「十分体調悪そうだぞ……。それで、気になることって、なんだよ?」

 「……それは……ごめん、言えない」

 「言えないって……もしかして、昨日の夜のことが関係してるのか?」

 「……言えない」

 それからしばらくの沈黙。扇風機の回る音も、風鈴の揺れる音も、蝉の声も、その沈黙

に溶けるようにして消えていた。蒸し暑い室内に、窓から涼やかな風が吹き込み、武の火

照った体を冷ます。そして、俯いていた奈緒が顔を上げ、静かに切り出した。

 「……大丈夫。もう私なりの結論は出たから。……もし明日、学校で会うことができた

ら、全部話すよ」

 「会うことができたらって、どういう意味だよ」

 「……それも言えない」

 「なんだよ! 意味わかんねーよ! 言えない言えないって。要するに、俺なんかには

相談できない事なのかよ?」

 「違う……違うの。そういう意味じゃなくて……。ただ、今は話せない理由があるの。

全部終わったら、きちんと話す。だから、今はお願い……許して……」

 奈緒の頬に、一筋の涙が伝った。身も心も疲れ果てた奈緒の姿を見て、武は居た堪れな

い気持ちになった。同時に、つい感情的になり、奈緒にきつく当たってしまった自分に激

しく自己嫌悪した。そして、自分が何故ここに訪れたのかを思い出す。

 「奈緒……ごめん。お前は全然悪くないのに、責めるようなこと言って……。でも俺、

お前が苦しんでる姿見てられなくて、助けてやりたいと思ったんだ……。それだけは、分

かってくれ……」

 「……ううん、悪いのは全部私……。ごめんね……明日になったら話すから……約束す

る……」

 「……わかったから、今日はもうゆっくり休め。さすがに寝ないと、体壊すぞ」

 「……そうだね。すこし寝させてもらおうかな……」

 「おう。ぐっすり寝れば、明日には元気になってるだろ。それじゃあ、今日はもう帰る。

明日、学校休むんじゃねーぞ」

 「……うん。ありがとう」

 武は出入り口のほうへ向きかえり、部屋を出ようとした。その時、武の背中に呼び止め

る声が掛けられた。

 「武」

 「……どうした?」

 武が振り向く。すると、精一杯の笑顔を湛えた奈緒が、少し間ををおいた後、呟いた。

 「……また明日、学校で」

 「おう、早く元気になれよ」

 片手を手を挙げ、武は奈緒の部屋を後にした。玄関へ向う途中、奈緒の母親に出くわし

た。

 「あら、もう帰るの? これからお菓子持って行こうと思ったのに」

 「すいません、奈緒、少し体調悪いみたいなんで、帰ります」

 「あらやっぱり? 実は今朝から体調悪そうだったのよ。本人は大丈夫って言ってるん

だけど……。ごめんね、わざわざ来てもらったのに。また今度遊んであげてね」

 「はい。今日は栄養のあるものでも作ってあげてください。お邪魔しました」

 母親に礼を述べると、武は玄関を出た。

 庭を少し進み、振り返る。二階を見上げると、開け放たれた窓に、奈緒の姿があった。

もの悲しそうな目で、窓の外を眺めていた。武は、奈緒の力になれず、不甲斐ない自分を

恨んだ。結局声も掛けられぬまま、武は奈緒宅を後にした。

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