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武はまず、付近にある脳の入れられた容器を検分してまわった。そのなかで、判明した
事柄がいくつかある。
最初に、脳の入れられた容器の配置についてだが、どうやら配置には、ある程度の法則
があるようだ。というのも、容器の土台には必ず人名の書かれたプレートが取り付けられ
ているのだが、そこに着眼して容器を見て行くと、同じ姓が横並びに何個か連続する傾向
があるのだ。どうやら脳は、同じ姓同士である程度かたまっているようだ。しかしそれが、
単に同じ姓を持つ者同士でまとめられたのか。あるいは、なにかしらの単位――例えば家
族だったり親族だったり――でまとめられているのか、という事まではわかりかねた。も
しプレートの中に武の知り合いの名が含まれていれば、そこから並びについて何かしらの
手がかりを得ることができたのかも知れぬが、残念ながら知らぬ名ばかりだった為、この
時点でわかることは、同じ姓がまとまっているということだけにとどまった。
そして次に、脳そのものについてわかった事だ。まず、容器内の脳が本物であるかとい
う疑問だが、武が見る限り、すべての脳は紛れも無い本物だった。しかし、それが精巧に
作られた偽物という可能性も無きにしも非ず。またそれが、人間の脳かどうか、という話
になると、いかんせん武には判断できかねた。なにぶん、人間と他の生物の脳を見比べる
機会など武にあったはずもなく、わからないのも当然といえる。
脳は一辺が三十センチほどの四角い透明な容器に入れられおり、その容器内は何らかの
液体で満たされていた。容器全体は青の光を受けており、液体の色を確認することはでき
なかった。青の光の正体は不明。液体についても同じだ。また、脳には細い針のような物
が数本刺されており、その針のもう一方の端からは、非常に細い糸のようなものが伸びて
いた。糸は容器下部の小さな穴から土台内部へと消え、土台の下部からは、径が三センチ
ほどのケーブルが出ていた。ケーブルの行方を目で追ってみると、ケーブルは床を這うよ
うにして部屋の中央に向かっているらしかった。
以上が、今の時点で武が所有する情報の全てだった。しかしこれらの情報を踏まえて考
えてみても、依然として、この施設が何の目的で存在しているのか判然としなかった。ま
だ調べていない場所もあるが、その場所を調査したところで、武にこの施設の概要を把握
する自信はなかった。この部屋は明らかに常軌を逸している。なんと言ったって、何百と
いう正体不明の脳髄が、真っ暗な部屋に点々と浮かぶ青い光の中を、ゆらゆらと漂ってい
るのだから。そう考えると、武は一瞬、自分がまるで悪魔の実験室か何かをみているよう
錯覚にとらわれた。恐らく桂木奈緒の見た奇怪で恐ろしいものとは、この脳髄の群れのこ
とであろう。
しかし手紙によれば、後に桂木奈緒は自らの推論を導き出した。その推論がどういうも
のなのか、本人無き今、確認するすべは無い。しかしその考えが真実にしろそうでないに
しろ、桂木奈緒は苦悩を重ねた末に、その結論へとたどり着いた。理不尽な恐怖から逃げ
出さず、二度もこの場所へ訪れた。その真実を求める強い気持ちが、今の武にはあるのか。
当時の桂木奈緒の心中を察するに、誰にもこの場所のことを相談できず、さぞ心細かった
ことだろう。しかし今の武は、友人と共にこの場所へ訪れている。その分いくらか気持ち
に余裕があるはずなのだ。そう思うと、少しずつ武に気力が湧いてきた。諦めるのはまだ
早いと思った。武は真実を求め、再び行動を開始した。
まだ調べていない場所といえば、土台から出たケーブルの行き先ぐらいだった。武は
ケーブルを辿り、部屋の中心部へと向かった。
部屋の中心部につくと、そこには円柱形の巨大なタワーのような物が置かれていた。タ
ワーは全部で四つあり、一つ一つが見上げるほどの高さがある。目測するに、直径は約二
メートル、高さは優に三メートル以上はあるだろう。近づいてみると、タワーの表面は金
属のような鈍い銀色の素材で覆われていた。表面に凹凸などは無く、つるりとしている。
武は右手を伸ばし、タワーの表面に手で触れてみた、するとその表面は驚くほど冷たかっ
た。例えるなら、冷蔵庫から取り出した直後の缶ジュース並みの冷たさだった。何らかの
理由で、内部から冷却しているのだろうか。下部に目をやると、脳の土台から伸びたケー
ブルが何本かにまとめられ、タワーへと接続されていた。おそらく何百本という脳からの
ケーブルが、このたった四本のタワーに集約しているのだ。察するにこのタワーは、文字
通りこの部屋の中心を担っているのだろう。
次に武は、外周沿いにタワーの表面を検分して行った。すると間もなくして、二十イン
チほどの大きさの、パネルディスプレイらしきものが現れた。覗き込むと、画面にはなに
やら英語や数字が事細か表示されている。脳から送られた何らかのデータが、ここに表示
されているのだろうか。しかしそれが何を表しているのかを読み取ることはできなかった。
武はパネルで何らかの操作ができないかと思い、画面に触れてみた。すると妙な効果音と
共に、画面上にパスワードの要求画面が現れた。もちろん武がパスワードなど知るはずも
無く、何度か適当に思いついた英数字を打ち込んでみたものの、当然のごとく全て弾かれ
てしまった。
武はディスプレイから視線をはずすと、新しい情報を踏まえた上で、再び思考した。こ
のタワーであの数百の脳を管理しているらしいことはわかった。しかし、脳を管理するこ
とで、一体何をしようとしているのかがわからない。実験的な何かなのか? あるいは宗
教的な儀式か? いくら考えたところで結論は出ない。なにか、真実を知る為の決定打と
なる情報が必要なのだ……。
そこで不意に、置いてきた翔の様子が気になった。翔に何も告げずにここまで来てしま
ったが、急に武の姿が見えなくなったので、不安に思っているのではないか。武は考える
ことを一時中断し、様子を見るために翔の元へ戻ることにした。