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邪馬台国を考察する

邪馬台国宇佐説


01

卑弥呼は役職名

平原遺跡一号墓埋葬者を初代卑弥呼(女性だが女王ではない?)

魏志倭人伝の女王を二代目卑弥呼

壱与を三代目卑弥呼

こう定義する


平原遺跡の割れた鏡の内、大型内行花文鏡は、ネットワーク国家内の認証システムのキー(金印的扱い)

初代死亡により、回収→破壊→埋葬

魏志倭人伝には伝わっていない。



02

初代死亡→倭国大乱→二代目→邪馬台国→二代目死亡→大乱→三代目

この流れで二度の大乱を説明


03

初代死亡時、平原遺跡に埋葬なので、必然的に邪馬台国は、九州。


04

二代目の墓及び、邪馬台国の位置は宇佐神宮付近。

宇佐神宮の社殿に配置から、元々は卑弥呼一、二、三代が、それぞれの社殿に祀られて居たと推測する。

そこに、神功皇后、八幡神が割込み、現在の形になったと推測できる。

これは、大和王権の影響である。


05

大和に下った諸国において、形を変えて、三代を祀った内、残ったのが宇佐の比売大神と宗像三女神。


06

ニニギや神武の伝承は、男性王権を守るため、邪馬台国東遷を、形を変えて残したもの。

※西からきた記憶はあるため。東遷自体は否定しきれなかった。


07

倭迹迹日百襲姫命は、壱与の読替

邪馬台国卑弥呼→壱与卑弥呼

天照大神→稚日女命の類似性及び、

稚日女命の死因と倭迹迹日百襲姫命の死因の類似性から、壱与が大和に来て祭祀を行ったと推測


08

倭迹迹日百襲姫命と吉備津彦の関係性

倭迹迹日百襲姫命が四国に伝承を残した事

纏向での銅鐸の破壊

などで、補強する。



09

前方後円墳から銅鐸が出ないのは。

前方後円墳が、大和の文化では無く邪馬台側との(壱与)統合の産物だからであろう。

新祭祀(前方後円墳)に、旧祭祀(銅鐸)を使う方が不自然である。


10

瀬戸内海に残る、海人系祭祀の痕跡(神社など)は、邪馬台国の東遷の痕跡とも思える。

特に、現在の神戸付近の長田、生田、廣田の3社は、神功皇后の伝承も含め、注目すべきであろう。


ーーーーーーーーーーー


邪馬台国宇佐説


卑弥呼を単なる個人名ではなく、邪馬台国連合における女王の役職名・称号とし、三代にわたって継承されたとする。


初代卑弥呼は福岡県糸島市の平原遺跡一号墓の女王。彼女の死後、第一次倭国大乱が起こった。


二代目卑弥呼は『魏志倭人伝』に詳述される著名な女王で、邪馬台国の本拠を大分県宇佐周辺に置いていた。魏との外交を成功させたが、死後に再び大乱が発生。彼女の墓は宇佐神宮の境内山中(亀山付近)にあり、後に比売大神として祀られる基となったと推測される。


三代目卑弥呼が壱与いよである。彼女は伊予いよ出身の巫女で、乱後の混乱を収めるために推挙された新女王。魏の使節に対し「伊予出身の卑弥呼」と紹介(または周囲が取り次いだ)されたため、中国側で二代目と三代目が混同・壱与と記録された可能性が高い。


ここで注目すべきは海と山の祭祀ミスマッチである。

魏志倭人伝は邪馬台国を「東に海あり」と位置づけ、海上交易・外交が活発な王国として描いている。


しかし、近畿説が主張する大和(纒向・三輪山中心)の祭祀は、山岳信仰・大地信仰が圧倒的に強い。三輪山を神体とする大物主神信仰など、内陸的性格が顕著で、3世紀段階の「海の王国」イメージとは違和感がある。


このギャップを埋めるのが、瀬戸内海ルートと神戸エリアの神社群である。


壱与は伊予出身として瀬戸内海航路を活用。魏使との外交後、1回目の往路(九州から大和への移動過程)で大陸由来の知識・技術・祭祀を広めた。特に海の守護・交易ルートの安全を願う信仰を定着させた。


この過程で重要な中継点となったのが神戸・西宮周辺:

廣田神社(西宮市):天照大神の荒魂を祀る。

生田神社・長田神社(神戸市):神功皇后伝承で結ばれ、海上安全や荒魂鎮めの性格を持つ。

元住吉(神戸市住吉関連の古社):住吉神系の海神信仰が強く、神功皇后ルートと重なる。

これらの神社は、神功皇后の凱旋帰還時に神を祀ったという共通の伝承を持ち、海の祭祀要素が濃厚である。邪馬台国(宇佐)の海寄り信仰が、伊予→神戸(元住吉・廣田・生田・長田)→大和のルートで伝わり、山岳信仰の強い大和に適応・融合した痕跡と言える。



こうして、壱与は最終的に大和の纒向で活動し、箸墓古墳に葬られた。日本最古級の前方後円墳は、文化伝播の象徴である。


記紀に残る倭迹迹日百襲姫命の巫女的活躍、四国伝承、銅鐸破壊、神武東征の記憶、そして神功皇后伝説は、この海から山への移行過程で生まれた「西から東へ」の集団記憶の変形である。


宇佐神宮の比売大神(二代目)、神戸の海神諸社(中継点)、箸墓古墳の倭迹迹日百襲姫命(三代目壱与)——三代の卑弥呼は、それぞれの土地に層を成して日本神話と王権の基層を形成した。


つまり、壱与(邪馬台国)は、一往復半の移動を行っているのではないかと考える。


これで文化の移動方向(東から西)も説明出来ると考えている。


一往復目を二代目卑弥呼に置き換えて、考える事も可能かも知れない。

(壱与は3代目)

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