獣人の隠れ里 その1
白銀の鱗が陽光を弾く氷の谷。そこに鎮座するホワイトドラゴン・ユキの吐息は、空気そのものを凍らせるように静かだった。
その前で、カズトたちはいつもの調子で立っている。
対して――カンナギ国出身の面々は、まるで死刑宣告を待つ罪人みたいな顔色だった。
「……で、晴雨龍が“ちょっと気に入らないから暴れてもいいか?”って聞いてきたわけなの」
ユキは退屈そうに前足で氷を掻きながら言う。
その声音は、隣の山にでも散歩に行くかのような軽さだ。
「動けば、攻めてる連中は消し飛ぶよね。ついでにカンナギ国も半分くらい消えるかなぁ?」
さらっと付け足された一言。
その瞬間。
カンナの喉がひゅっと鳴った。
後ろにいた同郷の者は、その場でへたり込みそうになる。
「せ、精雨龍が……縄張り……?」
「守り神様が、敵味方まとめて……?」
震える声。
血の気が引いた顔。
子供の頃から刷り込まれてきた伝承が、現実になろうとしている恐怖。
精雨龍。
怒れば大地を割り、雨で国を沈めると語られる神格の龍。
“守護神”であって“味方”ではない存在。
そんなものが「なんとなく気に入らない」で動く。
――それはもう、天災だった。
だが。
「へぇ〜」
間の抜けた声が、凍った空気をぶち壊した。
カズトだった。
「それはまた……大変だなぁ」
軽い。
あまりにも軽い。
カンナが信じられないものを見る目で振り向く。
「た、大変どころじゃないです!! 国がなくなる話ですよ!?」
「なくなるのは敵軍の方がメインだろ?」
「そういう問題じゃありません!!」
後ろではルミナスが腕を組み、「龍ってスケールでかいから加減下手だもんねぇ」という。
リズは尻尾を揺らしながら、「神様……情緒……不安定?」と、こくんと小首をかしげながらつぶやく。
温度差が、ひどい。
凍土と火山くらい違う。
ユキはそんなやり取りを面白そうに眺めていた。
「で、どうする? ダメならダメって言っておくよ?」
カンナたちが一斉に頷き、そして視線が、一斉にカズトへ集まる。
縋るような、祈るような目。
国の命運。
家族。
故郷。
全部が、この男の一言に乗っている。
なのに当の本人は、顎に手を当てて少し考え、
「んー……」
まるで夕飯のメニューでも悩むような顔をしてから言った。
「とりあえず待たせてくれ」
カンナたちが「え?」と固まる。
ユキが片目を細める。
「ほう?」
その後のカズトの動きは早かった。
ユキの巨大な身体から、淡く輝く鱗を一枚譲り受けると、その場で魔法陣を展開。
空中に幾重にも重なる術式。
氷の魔力を核に、広域防御へと編み上げられていく。
カンナたちは呆然と見上げる。
さっきまで「大変だなぁ」と言っていた男が、国規模の結界を即席で作っている。
理解が追いつかない。
やがて、手のひらサイズの魔道具が出来上がった。
透き通った結晶の中で、雪嵐のような光が渦巻いている。
「これを国の四方に埋め込んで、それからこっちを中心で起動して。」
「え……?」
「かなりデカい結界張れるから。龍の流れ弾くらいなら何とかなるだろ」
守護神様の天災が“流れ弾”扱い。
神話級存在の攻撃を。
カンナたちはもう、恐怖と混乱で感情が迷子だった。
「さ、先に帰って準備してて」
カズトはあっさり言う。
「俺たちは手土産用意してからタマモに会いに行くから」
「手土産……?」
「嫁の実家に挨拶に行くんだ、礼儀大事だろ」
そう言いながらリズの頭をなでるカズト。
世界の終わりみたいな話の直後に出てくるワードがそれである。
ちょっと待ってほしい。
今は国の存続にかかわる話をしてたのでは?
それが親族へのあいさつ?
何かが違うんじゃないの?
カンナが何か言おうと口を開く。
感謝か、不安か、止めてほしいのか、自分でも分からないまま。
その瞬間。
足元の魔法陣が光った。
「え、ちょっ――」
視界が白に染まる。
転移。
強制送還。
静かになった氷の谷で、ユキが低く笑う。
「お前たち、本当に人間か?」
「失礼な。わりと普通だぞ、俺。後、一応魔王な。」
「見習い、だけどねぇ。」
ルミナスがくすくす笑いながら言う。
「さて。タマモって美人?」
これから挨拶に行くにあたり、一番重要なことをカズトは尋ねる。
「タマモお姉ちゃん……ケイコクの美女って言われてたって………ケイコクって、何?あと……オッパイ……でかい。ルミナスちゃんより……。」
「そっか……でかいのかぁ。」
カズトは、隠れ里に向かうのが楽しみになってきた。
今まさに、一国の運命が、龍の気分ひとつに揺れていることなど――
少なくともこの場の空気からは、まったく感じられなかった。
◇
紫煙山脈を越えた先――
空気は湿り、光は薄く、音がやけに遠く聞こえる森。
迷宮の森。
木々は不自然にねじれ、根は地面の上を蛇のように這い、霧が足首にまとわりつく。方向感覚を狂わせる魔力が、じわじわと侵食してくる場所だ。
そんな中を、カズトたちは慎重に進んでいた。
「リズ、道間違えてないよな?」
後ろから半信半疑の声。
リズは立ち止まり、周囲の木々に触れながら魔力の流れを読む。
「うん……もうすぐ……この先に――」
ヒュンッ
空気を裂く音。
次の瞬間、視界が矢で埋まった。
四方八方、木の上、茂みの奥、霧の向こう。
殺意の雨が一斉に降り注ぐ。
だが。
ギィィンッ!!
金属がぶつかり合う激音が森に響いた。
アリーナが一歩前へ出る。
大剣が風を巻き起こし、円を描く。
迫り来る矢は、ことごとく弾かれ、砕かれ、地面へ叩き落とされた。
一本も通さない。
その背中は、まさに鉄壁。
静寂が戻る。
地面に散らばる無数の矢だけが、襲撃が現実だったと物語っている。
カズトが一歩前に出た。
正確には。
アリーナの背中から、ひょこっと顔を出した。
「隠れてないで出てこいっ!!」
森に響く大声。
「出てこなければ、敵対勢力として――」
ビシッと前を指差し、
「全滅させるぞっ!!」
決め顔。
ビシィッ!!
「……このアリーナがなっ!!」
言い切った瞬間、スッとアリーナの背後に全身を引っ込める。
完全防御ポジション。
服の裾だけちょっと見えてる。
沈黙。
森のあちこちの気配が、明らかに「えぇ……」という空気になる。
アリーナは無言。
慣れている。
リズは額に手を当てて小さくため息。
そして、くすくす笑う声。
「おにぃちゃん、カッコ悪いよぉ」
ルミナスが口元を押さえながら肩を震わせている。
「セリフは勇者様なのに、立ち位置が完全にヒロインなんだけど〜」
「うるさいな!? 指揮官は前に出ないものなんだよ!!」
「前に出ない……ってか、物理的に隠れてたけど?」
「戦略的後方支援だ!!」
そのやり取りの間も、森の気配は揺れている。
弓を引く音はもうしないが、無数の視線が突き刺さっているのが分かる。
アリーナがぼそっと呟いた。
「……出てくるなら早くして。次は斬るよ?」
低く、感情の薄い声。
その一言で。
ガサリ、と茂みが揺れた。
姿を現したのは、森と同化する装束の戦士たち。
弓を構えてはいるが、その目は明らかに困惑している。
さっきまで圧倒的な防御を見せた女剣士。
その後ろでドヤ顔しながら、しっかり隠れてる男。
どう判断すべきか、迷う光景だった。
カズトはアリーナの肩越しに腕を組み、偉そうに頷く。
「最初からそうすればいいんだ」
なお、足は一歩も前に出ていない。
ルミナスの笑い声が、緊迫した森の空気をじわじわ壊していった。
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