リズレットの頼み
「それで……どうするのですか?」
震える声でカンナが聞いてくる。
「どうするって?」
「カンナギ国を……助けてはくださらないのですか?」
「何で?」
カズトは答える。
冷たいようだが、現時点で、カンナギ国とは、何の繋がりもないのだ。
「先日の条件を私が飲むといっても?」
「状況が違う。あの時点ではそれでよかったが、今となってはカンナギ国の価値は大暴落だ。同じ条件では割に合わないことぐらいわかっているだろ?」
カンナは黙って俯く。
カンナにもカズトの言う事の方が正しいと分かっているのだ。
例え、ここで、カンナが絶対服従を誓い、奴隷同然に扱われることに同意したとしても、それでも尚、カズトが動く理由には程遠いだろう。
国を挙げて属国になると言っても、まだ弱いかもしれない。そもそもそのような権限はカンナにはない。
カンナの喉は、もう言葉を通すための器官ではなくなっていた。
ただ、胸の奥に溜まり続ける何かを、無理やり震えに変えて吐き出すためだけの細い管のようだった。
俯いた視界の端で、石畳の地面が滲んで見える。涙が落ちたわけじゃない。ただ、焦点が合わない。世界が遠い。音も、色も、全部が薄皮一枚向こう側にあるみたいだった。
カズトの言葉は冷静で、正しくて、だからこそ残酷だった。
正論は刃物より鋭い。
反論できない言葉は、心の逃げ場を一つずつ潰していく。
――価値がない。
そう言われたわけじゃない。
でも、そう言われたのと同じ意味だと、カンナには分かってしまった。
国も、民も、自分も。
差し出せるものはもう何もない。
誇りも、立場も、未来も、全部が崩れ落ちた後に残ったのは、ただ「お願いすること」だけだったのに。
その最後の手段すら、秤に乗せる前に切り捨てられた。
指先がじわりと冷える。力が入らない。
それでも拳を握ったのは、崩れ落ちないための、ほとんど反射だった。
顔を上げれば、きっと何かが壊れる。
王族として保ってきた最後の薄い殻が、音を立てて砕ける気がした。
だから俯く。
視界を閉じれば、相手の表情を見なくて済む。
自分がどれほど哀れな存在になっているか、突きつけられなくて済む。
胸の奥で、小さな声が何度も繰り返す。
(分かっていました)
(でも、もしかしたらって……)
希望と呼ぶにはあまりに弱い、ただの願望。
それが今、完全に潰えた。
絶望は、激しい感情じゃなかった。
叫びたくなるようなものでもない。
ただ静かに、重く、冷たい水みたいに心の中へ流れ込んできて、
気づけば足元まで満たして、もう一歩も動けなくしている。
カンナは何も言えなかった。
言葉にすれば、最後の「立っている自分」まで崩れてしまう。
だからただ、唇をきつく結び、震えが漏れないように息を止める。
それでも肩は小さく揺れていた。
助けを求めたはずなのに、
今はもう、助けてもらえる資格すら自分にはないのだと理解してしまった人間の、行き場のない沈黙だった。
重苦しい沈黙を破ったのは、本当にかすかな感触だった。
くい、と。
服の裾が、遠慮がちに引かれる。
カズトが視線を落とすと、そこには小さな手。
そして、その手の持ち主――リズが、心配そうに見上げていた。
「どうした、リズ?」
いつもの調子で問いかける声は柔らかい。
けれどその空気はまだ、さっきまでの現実的で冷たい話の名残を引きずっていた。
リズは少しだけ眉を寄せて、言葉を探すみたいに口を開く。
「カンナギ国……襲われてるの? なくなっちゃう?」
その言い方は幼くて、けれど核心をまっすぐ突いていた。
カズトは一瞬だけ言葉を選び、それから肩をすくめる。
「うーん、そうかもしれないなぁ。でも、このダンジョンまで戦争は来ないから大丈夫だよ」
安心させるための声音。
事実でもある。ここは安全圏だ。少なくとも“自分たちは”。
けれどリズは、こくんと頷く代わりに、ふるふると首を横に振った。
金色の髪が小さく揺れる。
「カンナギ国の近く……タマモお姉ちゃんいる」
リズの指先に少しだけ力がこもる。
「森の中の、おうち……獣人のみんな、いるの。リズ、前に助けてもらったの」
言葉はたどたどしいのに、そこに込められた気持ちははっきりしていた。
“他人事じゃない”という、ただそれだけの真実。
「助けるの……ダメ?」
上目遣いでも、涙声でもない。
ただ、不安と願いがそのまま乗った声だった。
打算も、価値も、見返りもない。
そこにあるのは、「大事な人が危ないかもしれない」という、あまりに単純で、強い理由だけ。
カズトは一瞬、言葉を失う。
さっきまで自分が並べていた理屈が、急に色あせたものに思えた。
価値がどうとか、割に合わないとか。
間違ってはいない。けれど――
目の前の小さな手は、そんな計算を一切知らない。
ただ、「助けたい人がいる」と言っている。
カズトは小さく息を吐いた。
呆れたようで、でもどこか吹っ切れたような笑みが浮かぶ。
「……はぁ」
頭をがしがしと掻いて、それから顔を上げた。
「よし、助けに行くぞ」
あまりにもあっさりした宣言。
けれどその一言で、場の空気がはっきりと変わった。
リズの顔がぱっと明るくなる。
裾を掴んでいた手が、今度はぎゅっと握り直された。
一方でカンナは、はっと顔を上げる。
信じられないものを見るような目。
さっきまで突き落とされたはずの絶望の底に、細い光が差し込んだみたいに。
「た、助けて……くださるのですか……?」
声はまだ震えている。
けれどその震えは、さっきまでの“終わり”の震えじゃない。
カズトは肩越しに軽く手を振る。
「勘違いするなよ。カンナギ国のためじゃない」
ちら、とリズを見る。
「大事なリズのお願いを聞くだけだ。……まぁ、その結果、カンナギ国を助ける必要があるかもしれないけどな。」
ぶっきらぼうな言い方。
でもそれが、彼なりの照れ隠しだと分かる人間は、もうこの場に何人もいる。
リズは嬉しそうに何度も頷き、カンナは唇を押さえ、こぼれそうになるものを必死に堪えていた。
絶望で凍りついていた時間が、今、ほんの少しだけ動き出した。
カズトはふと思いついたようにリズを見下ろした。
「ただし条件がある」
「じょうけん?」
小首をかしげるリズ。緊張感ゼロの仕草に、さっきまでの重い空気が少しだけ和らぐ。
カズトはわざと真面目な顔を作った。
「これからオレのことは “おにいちゃん” と呼ぶこと。いいな?」
カンナが目を瞬かせる。
リズはきょとんとして、それから意味を理解したのか、口を小さく開いた。
「おに……?」
一度、練習みたいに呟いてから、カズトの服をちょこんと掴む。
「……おにぃちゃん」
舌足らずで、少し照れくさそうで、でも嬉しそうな声。
その破壊力は、戦場の魔法よりよほど凶悪だった。
カズトは思わず顔を背け、拳で口元を押さえる。
「……よし、採用」
声がわずかに震えているのは気のせいではない。
リズは「えへへ」と笑い、もう一度確認するみたいに呼ぶ。
「おにぃちゃん」
可愛い。
これはもう反則級に可愛い。
条件を出した自分を全力で褒めたいレベルで可愛い。
その時だった。
背後から、氷点下みたいな声が落ちてくる。
「……ロリコン」
ぴしり、と空気が凍った。
振り返ると、そこには腕を組んだマイと、無表情でじっと見ているルミナス。
視線が痛い。物理ダメージありそうなレベルで痛い。
「ち、違うわ!!」
カズトは即座に全力否定。
「これはだな! 保護者的な! 兄ポジション的なやつでだな!?」
「言い訳が早い時点でアウト。やましい気持ちがある証拠です」
マイが冷たく言い放つ。
「しかも条件にするとか、なかなかの所業」
ルミナスが淡々と追撃する。
「風評被害!! 完全なる風評被害!!」
カズトの必死の抗議もむなしく、二人の視線は一ミリも和らがない。
当のリズはというと、状況がよく分かっていないまま、にこにこしながらもう一度。
「おにぃちゃん?」
その純度100%の呼びかけが、さらに疑惑を加速させる。
マイは深いため息をつく。
「……まあいいでしょう。早く準備しましょう、“おにいちゃん”?」
わざと強調した言い方。
ルミナスは両手を胸の前で組み、上目遣いで見上げてくる。
「私だけじゃ物足りないの?おにぃちゃん。ルミナスはいらない娘?」
「だから違うって言ってるだろ!?ってか、ルミナス、それ反則っ!」
カズトの叫びがダンジョンの通路に響く。
けれどその騒がしさは、さっきまでの重苦しい空気を完全に吹き飛ばしていた。
カンナは少し離れた場所で、そのやり取りを見て、思わず小さく笑ってしまう。
胸を締めつけていた絶望が、ほんの少しだけ軽くなる。
こんな人たちが来てくれるのなら――もしかしたら、本当に。
そんな希望が、今度こそ確かな形で胸に灯っていた。
ネコ耳娘のいう事優先なのは世の理です!
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