ドラゴンとの邂逅 中編
氷のように白い岩肌に囲まれた洞窟の奥。
外の吹雪の音はここまで届かず、代わりに静寂が支配していた。
その中心に――いた。
巨大な白い体を丸め、翼を半ば広げたまま眠るホワイトドラゴン。
鱗は月光のように淡く輝き、吐息のたびに冷たい霧がゆっくりと宙へ溶けていく。
まるで雪山そのものが呼吸しているかのようだった。
「……寝てる、よな?」
カズトが小声でつぶやく。
巣の周囲には、自然に剥がれ落ちたらしい純白の鱗がいくつも散らばっている。
小さなものは人の手のひらほど、大きいものに至っては、大人が思いっきり手を拡げて何とか抱えられるほどの大きさがあり、表面は透き通る氷の結晶みたいに滑らかだ。
カズトは慎重に足を踏み出す。
砂利一つ鳴らさないよう、息すら浅くして。
しゃがみ込み、そっと一枚の鱗を拾い上げた。
――軽い。
なのに、指先にびりっと魔力のような震えが走る。
「すげぇ……これ一枚で村が一年暮らせるぞ……」
小声でそう言いながら、布袋に鱗を入れていくカズト。
仲間たちも少し離れた場所で同じように集め始めた。
その時。
ごぅ…………
低く、重い息の音が変わった。
カズトの手が止まる。
さっきまで規則正しかった吐息が、わずかに乱れた気がした。
嫌な汗が背中を伝う。
ゆっくり。
ゆっくりと、巨大な瞼が持ち上がった。
氷の結晶のような、蒼白の瞳。
まっすぐに。
しゃがみ込んだままのカズトを捉える。
視線が、合った。
時間が凍りつく。
喉がひゅっと鳴ったが、声は出ない。
逃げなきゃいけないのに、足が地面に縫い付けられたみたいに動かない。
ホワイトドラゴンの瞳が細められる。
怒りか、警戒か、それとも――ただの好奇心か。
次の瞬間。
洞窟の空気が、びりびりと震えた。
ドラゴンの喉の奥が、淡く白く光り始める。
カズトはようやく理解した。
(あ、これ……バレてる)
そして思った。
(起きてるならダメだったやつだこれ)
誰も、まだ動けない。
洞窟の空気が、凍ったまま砕けない。
ホワイトドラゴンは完全に目を覚ましていた。
雪嵐を閉じ込めたような蒼白の瞳が、侵入者を値踏みするように細められている。
低く唸る喉の奥で、白い光が脈打つ。
次の瞬間には極寒のブレスが吐き出されてもおかしくない距離。
カズトの喉がひくりと動いた。
逃げ場はない。
背後には仲間、横には巣、そして目の前には伝説級の捕食者。
ドラゴンがゆっくりと首を持ち上げる。
鱗同士が擦れる重い音が、洞窟全体に響いた。
ゴゴ……と、前脚がわずかに動く。
爪が岩を削り、火花の代わりに霜が散る。
一歩踏み出されれば終わる。
(やるしか、ない……!)
カズトの心臓が耳の裏で爆発しそうになる。
それでも、震える足を無理やり地面に縫い止めた。
ドラゴンの喉の光が強まる。
冷気が集まり、空気中の水分が一瞬で白く凍りつく。
その瞬間。
カズトが先に動いた。
「待っ――!!」
仲間の制止も聞かず、カズトは勢いよく懐に手を突っ込む。
ドラゴンの瞳孔がわずかに開く。
“武器”と判断したのか、首がしなり、いつでもブレスが撃てる構え。
そしてカズトは――
それを引き抜き、両手で高く掲げ、ドラゴンへ突きつけた。
「これ、お近づきの印ってことでぇぇぇ!!」
静寂。
命のやり取りが始まるはずだった空間に、場違いな甘い香りがふわりと漂う。
カズトの手の中にあったのは――
分厚く切ったトーストの上に、これでもかと染み込んだ蜂蜜。
山盛りのホイップクリーム。
溶けかけのバターが黄金色に光る。
ハニトーだった。
アリーナのおやつだった。
ホワイトドラゴンの喉の光が、す……と弱まる。
冷気の代わりに、鼻先がひくりと動いた。
甘い匂いが、静かに洞窟に広がっていく。
ドラゴンの巨大な瞳が、ハニトー → カズト → ハニトー、とゆっくり往復した。
一方その後ろで。
「……」
アリーナが、無言でカズトを見ていた。
その視線はブレスより冷たい。
「……ボクの……おやつ……」
小さく、しかし確実に恨みのこもった声が洞窟に落ちる。
伝説の魔獣。
命がけの対峙。
極限の緊張。
その中心でカズトは、溶け始めたホイップをぽたぽた垂らしながら、必死に微笑んでいた。
「ど、ドラゴンさん……甘いの、好きじゃない?」
ホワイトドラゴンは、カズトの差し出したそれをじっと見つめていた。
巨大な鼻先が近づき、ふす、と温かい(人間基準では氷点下だが)息がハニトーにかかる。
甘い香りが白い吐息に乗って揺れた。
洞窟の全員が息を止める。
数秒。
いや、体感では数分にも思える沈黙ののち――
ぱくり。
ハニトーは、カズトの両手ごと、きれいさっぱりドラゴンの口の中へ消えた。
ついでにカズトも消えた。
「カズトぉぉぉ!?」
「ちょ、バカぁぁぁ!!」
仲間の絶叫が洞窟に響く。
アリーナは一瞬、おやつの心配とカズトの安否の間で感情が大渋滞した顔になる。
ドラゴンの喉がごくりと動きかけ――
ぺっ。
次の瞬間、何かが唾と一緒に地面へ吐き出された。
べちゃっ、と洞窟の床に転がるカズト。全身よだれまみれ。
「ぶはぁっ!! 生きてる!! まだ生きてる!!」
「食べ物じゃなかった」みたいなテンションで吐き出された男が、必死に酸素を吸い込む。
ホワイトドラゴンはそんな彼に一瞥もくれず、
もぐ……もぐ……
口の中のハニトーを、実に丁寧に咀嚼していた。
洞窟に響く、やけに上品な咀嚼音。
やがて――
ごくん。
満足げに喉が鳴る。
そしてドラゴンはゆっくりと目を細め、低く響く声で語り始めた。
『……ほう』
声は地鳴りのようだが、どこか穏やかだ。
『まず、この白き泡……ホイップクリーム。
空気の含ませ方が絶妙だ。軽い。だが乳のコクは失われておらぬ』
巨大な舌が唇をぺろりと舐める。
『これはただの家畜の乳ではないな。
角持つ白獣……山岳地帯に棲む乳魔獣のものだろう。脂肪分が高く、希少な……S級素材だ』
仲間たちがざわつく。
『そしてこの黄金の蜜』
ドラゴンの瞳が細まる。
『森の深層に巣食う、巨大な殺人蜂……ジャイアントキラービーの蜂蜜。
花の魔力を濃縮したような香りと甘み……命がけでなければ採れぬ逸品だ』
カズトがよろよろ起き上がりながら思う。
(あれ命がけ素材だったの!?以前、メイがタイガーベアを倒してから、時々、差し入れてくれる蜂がいるんだけどなぁ)
『だが、何より――』
ドラゴンは少しだけ顎を上げた。
『主役はパンだ』
洞窟にいる全員が「そこ!?」という顔をする。
『外は香ばしく、中は水分を保ったまま焼き上げられている。
この小麦……寒冷地で育つ高魔力品種。人里ではほぼ流通せぬはず』
……まぁ、ダンジョン産だからね。
感慨深げに目を閉じるホワイトドラゴン。
『……久しく忘れていた。
“贅沢”というものを思い出させる味だった』
洞窟を満たしていた殺気は、いつの間にか完全に消えていた。
冷気すらどこかやわらいで感じる。
仲間たちはへなへなと座り込む。
助かった……らしい。
カズトはまだぬるぬるしながら、震える親指を立てた。
「せ、成功……?」
その後ろで。
アリーナが、無言で立っていた。
拳を震わせ、目にうっすら涙を浮かべて。
「……S級素材の……特製ハニトー……ボクのおやつ……」
洞窟の空気が和む中、ただ一人だけ、別ベクトルで限界を迎えていた。
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