カンナの苦悩
訳アリで、本日2話目の投稿です。
朝にEp69が投稿されていますので、まだの方はそちらから
カンナたちの足音が廊下の向こうへ消えていくのを聞き届けてから、カズトはゆっくりと息を吐いた。
静まり返った執務室に、ふっと空気が揺らぐ。
「で、実際のところどうするの?」
いつの間にか、カズトの背後のソファーに、エルが腰かけていた。脚をぶらぶらさせながら、いたずらっぽい目でカズトを見ている。
「聞いてたのかよ」
「そりゃね。あんな面白い場面、見逃すわけないじゃない」
くすくすと笑いながら、エルはひらりと机の上に降り立った。距離が近い。近すぎる。
カズトは書類を適当にまとめながら、肩をすくめる。
「……まぁ、あれは半分本気、半分揺さぶりだ」
「半分も本気なのが問題なのよ、あんたは」
エルは呆れたように言いつつ、どこか楽しそうだ。
カズトの視線は、自然と扉の方へ向いた。さっきまで、そこに立っていた少女の姿を思い出す。
真っ直ぐで、折れそうで、それでも折れまいと歯を食いしばっている目。
姫巫女カンナ。
国のためなら自分の人生すら差し出すつもりはある……だけど、いざその段階になるとおびえてしまう……、あの不器用な覚悟。
(ああいうのは、放っとけないんだよな……)
米の産出国。
日本に似た文化。
政治的価値も、交易の未来も、いくらでも理由は挙げられる。
だが本音は、もっと感情的だった。
守りたい、と思ってしまったのだ。
それが国なのか、文化なのか、それとも――あの少女自身なのかは、自分でもはっきりしないが。
「それで? 嫁発言は?」
エルがにやにやしながら顔を覗き込む。
「……もちろん、ハーレムのためだ!……といいたいが、半分以上は、あいつのあの顔が見たくてな」
「最低」
即答だった。
「自分でもそう思う」
苦笑しながらも、カズトは否定しない。
あの状況での「嫁になれ」は、実質的には首輪だ。
人質と大差ない。
それが分かるからこそ、カンナは苦しんだ。
そして、その葛藤を浮かべた表情に、カズトは妙な満足感を覚えてしまったのだ。
「はぁ、ほんと趣味が悪いわぁ」
エルはそう言いながら、机の上を歩いてきて、カズトの肩に腕を回した。
「でもまぁ、そういう意地悪なところも含めて――あたしは好きよ?」
耳元で囁かれ、カズトは顔をしかめる。
「やめろ、近い」
「照れてる照れてる♪」
その瞬間、バン、と勢いよく机が叩かれる。
「エル様、近いですっ、離れてくださいっ!!そういうのは、夜になってからベッドの上でお願いしますっ!」
今まで黙っていたルミナスが、もう我慢なりませんっ、とばかりに、カズトの肩に絡みついているエルを見て、目をつり上げる。
「仕事中ですよ!? おにぃちゃんの邪魔をしないでください!」
「いいじゃない、減るもんじゃなし」
「減ります! 威厳とか! 威厳とか、威厳とか……いろいろ!ただでさえないのにっ!」
……いや、ルミナスさん?ちょっと俺の評価酷くない??
カズトがそう思って落ち込んでいるのをよそに、ルミナスとエルの攻防は続く。
ルミナスはエルの腕を引っ張り引きはがそうとするが、エルは面白がって、ますますカズトの背中にしがみつく。
「やーん、ルミナスちゃんこわーい」
「誰のせいですか誰の!」
二人がぎゃあぎゃあと騒ぐ中、カズトはソファーにもたれ、天井を見上げる。
騒がしい。
だが、この賑やかさが嫌いではなかった。
「……なぁ、エル」
「んー?」
まだルミナスに引きずられながら、エルが振り向く。
「俺、たぶんさ」
少しだけ真面目な声に、二人の動きが止まる。
「カンナギの国、見捨てられねぇわ」
エルは、ふっと表情を和らげた。
「ふぅん、いいんじゃない?」
「政治的価値もある。米もある。文化も面白い」
カズトは指折り数える。
「でも一番は――」
言いかけて、少しだけ笑った。
「困ってるやつが目の前にいるのに、知らん顔できるほど、できた人間じゃなかったらしい」
ルミナスは小さく微笑み、胸に手を当てる。
「それがおにぃちゃんですよ。誉めてあげます♪」
エルも肩をすくめた。
「知ってる。だから面倒ごとが集まってくるのよ。」
「うるせぇ」
けれどその声には、どこか楽しげな響きが混じっていた。
ダンジョンの周りは魔の森と呼ばれる厳しい難所が広がっている。
その向こうには、ホワイトドラゴンが守護する紫焔山脈が広がり、そこを超えたその先には、カンナが守ろうとしている国がある。
「さて……」
カズトは立ち上がり、軽く伸びをした。
「悪い魔王様を演じるとしますか。善人の俺様には難しい役どころだけどな。」
「悪い魔王って……素よね?」
「否定できませんね」
二人の突っ込みを受けながら、カズトはメインルームへ向かう。
マイと、今後の相談をするためだ。
姫巫女がどんな答えを出すにせよ――
もう、自分のやることは決まっているのだから。
◇ ◇ ◇
石畳を踏みしめるたび、靴底から伝わる感触までもが新鮮だった。
ルミナスの軽やかな足取りの後ろを、カンナは半歩遅れて歩く。さらにその後ろには、鎧の擦れる音を響かせながらガルドたち護衛兵が続いていた。異国の街のど真ん中だというのに、その隊列だけがやけに故郷の匂いを残している。
けれど視界に広がる光景は、カンナの知る世界とはまるで違っていた。
色とりどりの布が張られた露店。
焼き菓子の甘い匂い。
大道芸人の周りにできた人だかり。
身なりのいい商人と、作業着のままの職人が、同じ屋台で笑い合っている。
「……すごいな」
思わず漏れた声は、独り言のつもりだった。
「でしょー?」
振り向いたルミナスが、いたずらっぽく笑う。
「シャガートは“ごちゃまぜ”が売りなんだよ」
ごちゃまぜ。
その言葉は、不思議と胸にすとんと落ちた。
西方諸国は身分の差が厳しい――そう教えられてきた。
生まれで未来が決まる世界だと。
けれどこの街では、少なくとも表から見る限り、誰もが同じ地面の上を歩いている。
カンナのあずかり知らぬことではあるが、シャガートの街が、こういう風になったのはここ最近のことだ。
魔王カズトが、街を支配すると宣言したのち、表立っての身分による扱いの差はなくなった。
貴族も平民も、等しく「魔王サマの配下」というのが根本にあるからだ。
それらの価値観に我慢ならない者は、すでに町を出ている。
平民にしてみれば、今までと扱いが変わるわけでもなく、それどころか、貴族様の横暴におびえたり、泣き寝入りしなくてもよくなった。
残った貴族階級の者たちは、元々平民を不当な使ったりはしておらず、また、「貴族の義務」を理解し、実践している者たちが多かったため、特に反発する者はいなかった。
結果として、街の意識は一つになり活気あふれるようになったのだ。
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ガルドが小さく息を吐いた。
「……カンナギ国にも、こんな活気があれば……」
その呟きに、他の兵士たちも苦笑混じりに頷く。
羨望。
誇り高いはずの自国の兵が、隠しきれないそれをにじませている。
カンナの胸の奥で、何かが静かに形を取り始める。
(もし……)
自分がここへ来た意味。
魔王のもとへ嫁ぐという話。人質同然の立場。
(この国と繋がることで、カンナギ国が変われるなら……)
この街のように、人が笑い、交わり、縛られすぎない場所に近づけるのなら。
(それなら……私が、人質として差し出される価値は、あるんじゃないか)
胸が少しだけ熱くなる。
怖さとは違う、決意の芽のようなもの。
そのとき。
「でもさぁ」
やけに間延びした声が、すぐ横から落ちてきた。
「おにぃちゃんのこと愛せないなら、嫁になっても無駄だよ?」
足が止まりかける。
ルミナスは前を向いたまま、けろりと続けた。
「おにぃちゃんは、あれでいて純情なの。ハーレムを作るんだ!って言いながら、嫁になる人みんなに“愛”を求めてるからねぇ」
――愛。
その言葉は、刃物みたいにまっすぐ胸へ刺さった。
国のため。民のため。未来のため。
それらは全部、カンナが必死に積み上げてきた“理由”だ。
でも。
(……私は……)
あの魔王の顔を思い出そうとする。まだ数えるほどしか会っていない。強くて、大きくて、どこか底知れない存在。
怖くないと言えば嘘になる。
けれど、嫌悪しているかと問われれば、それも違う気がする。
(愛せる……?)
胸の奥を探る。
けれどそこにあるのは、使命感と責任と、少しの好奇心だけ。
そもそも、一国の姫として育てられたカンナの中には、「国のため、家のために嫁ぐ」という考えが根付いている。
それは、王家に生まれたものとしての義務であり、当たり前のことであった。
そこに”愛”などというものは、存在しない。
恋も、憧れも、誰かを求めて胸が苦しくなるような感情も――カンナにとっては、物語の中でしか存在しないものだった。
(愛する自信なんて……)
考えれば考えるほど、足元が揺らぐ。
国の未来を背負う覚悟は決めかけていたのに、たった一つの問いで、心はこんなにも簡単に迷子になる。
街の喧騒が遠のいた気がした。
笑い声も、呼び込みの声も、水の流れる音も、全部が膜の向こう側の出来事みたいにぼやけていく。
(私は、何を差し出そうとしてるんだろう)
国のために自分を使うことと、誰かを愛することは、同じじゃない。
その違いを、今さらのように突きつけられ、カンナの意識は静かに、自分の内側へ沈んでいく。
答えのない思考の海へ、音もなく……。




