姫巫女 その5
「取りあえずは、事情を話してくれるか?」
カズトは、まずカンナに事の次第を尋ねることにした。
「あの……女神様から、事情はお聞きになっていらっしゃらないのですか?」
この男は女神様の依頼を受けたといった。だったら詳細も知っているのではないか?とカンナは思ったのだが、返ってきた答えは意外なものだった。
「いや、女神のネェちゃんは『カンナギの姫巫女が困ってる』って言っただけだからさ」
「おにぃちゃんは、それだけで即答しちゃったんだよね。で、詳しいことも聞かずに飛び出しちゃって……」
ルミナスが、どこか呆れたようで、しかし誇らしげにも聞こえる口調で補足する。
――それだけで?
カンナは一瞬、思考が止まった。
国家の危機も、政治的な思惑も、見返りも関係ない。ただ「困っている」という一言だけで、未知の土地へ、険しい山を越えて駆けつけたというのか。
(なに、それ……)
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
詳しい事情も聞かず、相手が何者かも深く考えず、ただ助けに来た。
それは無謀とも言えるし、愚直とも言える。けれど――。
(英雄って……こういう人のこと、なの……?)
カンナの視線は、無意識のうちにカズトへ向いていた。
先ほどまで「胡散臭い謎の男」だった彼の存在が、脳内で凄まじい勢いで書き換えられていく。
背後に後光が差し、どこからともなく清らかな風が吹き、穏やかな微笑みで人々を救う聖人君子。
重荷を背負う者の苦しみを理解し、見返りを求めず手を差し伸べる高潔な魂の持ち主。
(あ、あれ……? さっき「侍女の胸が・・・・・・」とか言ってた気が……)
そんな些細な違和感は、都合よく霧散した。
カンナの中で、カズトの株は音を立てて爆上がりし、もはや天井知らずである。
「……あの」
思わず、改まった声で呼びかけてしまう。
カズトは不思議そうに首を傾げた。
その何気ない仕草すら、今のカンナには「飾らぬ高潔さ」に見えてしまうのだからもう手遅れだった。
(や、やっぱり……英雄様……)
彼女の想像の中で、カズトは完全に人智を超えた存在へと昇華しつつあった。
――この人だ。
カンナの胸の奥で、何かが決定的に噛み合う音がした。
(そう……彼こそが、女神様が使わしてくださった救世主……)
脳内で、いつの間にか厳かな神殿の鐘が鳴り響く。
天上から柔らかな光が差し込み、その中心に立つのは――言うまでもなくカズトだった。
困窮する国に現れ、名も告げず、見返りも求めず、ただ「困っているから」という理由だけで手を差し伸べる英雄。
それは偶然などではない。必然だ。女神の導きに違いない。
(だからなのね・・・・・・女神様は私が行くべきだと・・・・・・・彼と出会わせるために・・・・・・・)
カンナの妄想は、もはや加速を始めていた。
カズトが歩けば道は開け、剣を取らずとも争いは鎮まり、彼が一言語れば人々は涙を流してひれ伏す。
彼の背には常に聖なる光が宿り、その影すら清めの力を持つ――そんな設定が、脳内で勝手に公式化されていく。
(ああ、だから私はこんなにも胸が苦しいのね……私の……運命の、人……)
使命に殉じる孤高の救世主と、その隣に寄り添う姫巫女。
試練に立ち向かい、幾多の困難を共に乗り越え、やがて国を救い、世界を救い――最後には静かに手を取り合う二人。
(うん、これはもう、そういう運命……)
現実では、カズトはカンナを見て「巫女服・・・・・・いいっ!」とか呟いているだけなのだが。
だがその一言すら、カンナの中では「単なる照れ隠し」に自動変換される。
妄想は膨らみ、理性の防波堤を軽々と乗り越えていく。
もはや止まる理由はなかった。
(女神様……ありがとうございます……)
カンナは胸の前でそっと手を組み、内心で深く祈る。
その瞳に映るカズトは、すでに一介の冒険者ではない。
――世界と彼女自身を救う、選ばれし運命の存在になっていた。
(この人にすべてを託そう)
カンナはそう決意すると、腹を括ったように語り始めた。
カシミア共和連合国の現状――政治は分断され、軍も経済も限界に近く、もはや崩壊は時間の問題であること。連合の一角を成すカンナギ国もまた、その余波から逃れられず、このままでは共倒れになるのは避けられないということ。
「だからこそ、このままじゃ駄目なんです」
カンナの声には、迷いよりも切迫感があった。
現状を打破するには、常識を超えた、思い切った行動が必要だ。その鍵として彼女が挙げたのが、かつて内乱により荒廃しながらも、わずかな期間で飛躍的な復興を遂げたパンニャ領の存在だった。
「あの国には、再生の方法を知っている人材と仕組みがある。どうしても、その力を借りたかった」
正規のルートでは時間がかかり、また邪魔が入る可能性も大きいため、険しい山越えを選んだこと。危険を承知でこの道を進んでいる理由。
カンナは一つ一つを飾らず、包み隠さず語った。
話を聞き終えたカズトは、軽く息を吐いた。
彼女の言葉の端々から、逃げでも理想論でもない、切実な覚悟が伝わってきたからだ。
◇
――――――あ、これダメなヤツ。
話を一通り聞き終えて、ルミナスは内心でそう結論づけた。
(うわぁ……完全にアレだ……)
要するにこれは、「自分の力じゃどうにもならないから助けてください。その代わり、できることは全部差し出します」という構図だ。
言葉は丁寧で、立場は国家規模、背負っているものも重い。けれど――本質は、嫌というほど見覚えがあった。
(規模が“個人”か“国”かの違いなだけで……)
追い詰められて、選択肢を失って、最後に縋るように差し出す切り札。
それは、かつて自分が使った手であり、リーシアやセリアも同じだった。
ルミナスは、そっと横目でカズトを見る。
(で、こういう話を聞いたあとに、おにぃちゃんが言い出すセリフは――)
脳内で、嫌になるほど再生された未来予想。
『俺のモノになれ』
(……はい来たー)
まだ何も言っていない。
なのに、もう聞こえた気がした。確信に近い予感だった。
理屈ではない。
これまでの経験が、はっきりと確定された未来を予測している。
(あー、カンナお姉さんも、勘違いしてるし、おにいちゃんが言えば即落ちだよね……)
ちらりと視線を向ければ、カンナは頬をわずかに紅潮させ、決意と祈りと妄想が混ざり合った、非常に危うい表情をしている。
「何でもします」という言葉が、今にも口から零れ落ちそうだ。
(はぁ……どうしようね)
ルミナスは小さくため息をついた。
次の瞬間、カズトが口を開く。その内容は、一字一句まで正確に、彼女が予想した通りだった。
そして、カンナが、考える間もなく「なりますっ!」と答えたことも。
(……うん。やっぱり、こう来るよね)
ルミナスは、これ以上空気が熟成する前に動いた。
カズトとカンナのちょうど間に割って入る。
「ちょ、ルミ――?」
横から聞こえるカズトの声は、今は無視だ。
ルミナスはカンナの正面に立ち、逃げ場を塞ぐようにまっすぐその目を見つめた。
ふわふわと桃色の何かが漂っていた瞳が、少しだけ現実に引き戻される。
「ね、カンナお姉さん」
落ち着いた、しかしはっきりとした声で告げる。
「おにぃちゃんはね。悪い人じゃないよ。そこは本当。すごくいい人……でも――魔王様だよ?」
その言葉は、容赦なく放たれた。
「…………え?」
カンナの思考が、完全に停止する。
救世主。女神の使徒。運命の人。
それらの単語が、頭の中で一斉にコケた。
「ま、魔王といえば……」
指を折りながら、震える声で語り始める。
「こう……厚顔無恥で」
「唯我独尊で」
「自分が世界の中心だと思ってて」
「オラオラ系で」
「俺様至上主義で」
「力こそ正義とか言い出して」
「気に入らないと怒鳴って」
「言うこと聞かないと力でねじ伏せて」
「精神的にも肉体的にもDV気質で」
「しかも反省しないタイプの……!」
最後の方は、もはや修飾子というより怨嗟だった。
「……魔王……さま……?」
そのタイミングを見計らったかのように、横から気の抜けた声。
「ボク、悪い魔王じゃないよ」
親指を立てて、にこっと笑うカズト。
「…………」
カンナの脳内で、後光が消えた。
神殿が崩れ落ち、鐘の音が不協和音に変わる。
「え……え……? ……英雄……私の運命の人……」
「違う違う」
ルミナスは即座に首を振る。
「完全に勘違い。盛大な誤解。おにいちゃんは良い人だけど、女神様が遣わした救世主とか、運命の人とか、そういうのじゃないから」
一つ一つ、丁寧に、しかし確実に幻想を潰していく。
「大体、助けに来たのも、カンナお姉さんが「姫巫女」だって事だったからだし。」
「え?」
「おにぃちゃんの好みなんだって、聖女様とか姫巫女様ってのが。」
「……えっと……。」
「放っておけないから、最終的には来ただろうけど、お姉さんが姫巫女じゃなかったら、もっとごねてたよ?」
「………」
カンナの表情が、目に見えて混乱していく。
頬の赤みが引き、代わりに理解不能なものを前にした人の顔になる。
「じゃ、じゃあ……私が思ってた、その……」
「全部、脳内補完」
ルミナスは即答した。
「しかも、かなり都合のいいやつ」
「……うぅ」
カンナは小さく呻いた。
理想化されていた像が、音を立てて崩れていく。
その横で、カズトは首を傾げる。
「えー?ぼく悪いスラ……じゃなかった、魔王じゃないよ?」
「おにぃちゃんは黙ってて」
「はい」
即座に大人しくなる魔王様。
ルミナスは改めてカンナを見る。
「いい? これはあくまでも一般的な交渉。ちゃんと冷静に、考えよ?おにいちゃんの……魔王様のモノになるの?」
幻想の熱に浮かされていた空気は、ようやく落ち着きを取り戻しつつあった。
カンナは混乱したまま、それでも必死に現実を受け止めようとしていた。
――英雄でも救世主でもない。
でも、少しお人好しで、空気を読まない、なんだかんだと言いながら悪くない魔王。
目の前にいる“本当の”カズトを、カンナは冷静な目で見極めようとするのだった。
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