姫巫女 その3
「……おにいちゃん、近くに行っても大丈夫?」
物陰から、そっと小さな影が顔をのぞかせる。
不安と好奇心が入り混じった声で問いかけるルミナス。その金色の瞳は、白銀の巨体――ホワイトドラゴン・ユキから離れない。
ユキはその視線に気づくと、ぐるりと首を巡らせ、何か言いたげにカズトへと目を向けた。言葉は発さずとも、「説明しろ」とでも言いたげな圧を放っている。
「あー……えっとな」
頭をかきながら、カズトは苦笑交じりに切り出す。
「前に素材集めでここに来たとき、知り合ったんだ。ユキはその時の――」
そこまで聞いたユキが、わざとらしく深いため息をついて口を挟む。
「あの時は本当に大変だった……。こ奴がな、『お前が欲しい』などと言い出して、嫌がる私の、身にまとっているモノを、1枚、また1枚と引き剥がし……」
その瞬間、ルミナスの視線が氷のように冷たくなり、一直線にカズトへ突き刺さる。
「ち、ちがっ――!」
慌てて両手を振り、声を荒げるカズト。
「鱗だからなっ! 欲しいって言ったのは素材だ! ドラゴンの鱗! 紛らわしい言い方するんじゃねぇ!」
言い訳するカズトの横で、ユキはくつくつと喉を鳴らし、明らかに楽しそうに目を細めている。誤解されるのを百も承知で、あえてそう言ったのが見え見えだ。
軽蔑と疑念が半々に混じったルミナスの視線を浴び続けるカズトと、それを面白がるホワイトドラゴン。
緊張感と妙な空気が漂う中、ユキだけが、その邂逅を心から愉しんでいるのだった。
ひとしきり笑い終えると、ユキは満足したように大きく息を吐いた。
「まったく……からかい甲斐のある人間だ」
そう呟いた直後、ユキの白銀の鱗が淡く輝き始める。周囲の空気が一気に冷え込み、吐く息が白く染まった。地面に薄く霜が広がり、まるで一瞬で冬が訪れたかのようだ。
ユキの巨体が光に包まれ、輪郭が揺らぐ。骨のきしむ音や破裂するような派手さはなく、雪が静かに舞い落ちるような、どこか幻想的な変化だった。白い光が収束するにつれ、ドラゴンの姿は徐々に小さくなり、やがて――
そこに立っていたのは、一人の幼い少女。
ルミナスと同じ年頃に見える、小柄な幼女だった。腰まで届く髪は雪原のような純白で、光を受けるたびに淡く青みを帯びてきらめく。前髪の隙間から覗く瞳は、澄み切った氷湖を思わせる薄氷色で、見つめられるだけで心の奥まで冷やされるような、不思議な透明感を宿している。
肌は雪のように白く、ほんのりと冷気をまとっているかのようだ。身に纏う衣は、氷の結晶を模した淡い水色と白を基調とした簡素な装いで、裾や袖口には霜の模様が自然に浮かび上がっている。足元に触れた地面は、彼女の一歩ごとにきゅっと凍りつき、細かな氷の音を立てた。
「どうだ?」
幼い外見とは裏腹に、口調だけは先ほどのまま、どこか尊大で余裕に満ちている。
ルミナスは思わず目を見開き、カズトは言葉を失った。
雪と冬、そして氷――
そのすべてを凝縮したような少女が、くすりと微笑みながら、二人の前に立っていた。
「………………なんで幼女?前はもっと大人びた姿だっただろっ!」
あまりにも率直な疑問を、カズトはぽつりと漏らした。
人化したユキは、雪の精のような幼女姿のまま、くるりとその場で一回転する。ふわりと白い髪が舞い、周囲に細かな氷の粒がきらめいた。
「何だ、不満か?」
そう言いながら、ユキはにやりと口角を上げ、ちらりと視線をルミナスへ向ける。
「この姿が好きなのだろ?」
「はぁ!? な、何言って――」
即座に否定しかけたカズトの言葉は、ユキの含み笑いによって遮られる。
「ほう、違うのか? だが……」
ユキはわざとらしく首を傾げ、ルミナスを見ながら楽しそうに笑った。
「お前のそばには、ちょうど同じくらいの年頃の娘がいるではないか。番なのじゃろ?」
「おい! 誤解を招く言い方するな! これ以上ロリコンのイメージをなすりつけるんじゃねぇ!」
必死に声を張り上げるカズト。しかしその背後から、遠慮のない一言が飛んでくる。
「……おにいちゃん」
静かだが、妙に重い声。
振り返ると、ルミナスがじっとカズトを見つめていた。少し首を傾げ、困ったような、でもどこか冷静な表情で。
「説得力がないよ」
「ぐはっ……!」
見えない矢が心臓に直撃したかのように、カズトはその場に膝をつきかける。
「な、なんでだよ……!? 俺、何もしてねぇだろ……?」
肩を落とし、目に見えて落ち込むカズトを見て、ユキはついに堪えきれず声を上げて笑った。
「ははは! やはり面白いな、人間は」
ルミナスはそんな二人を交互に見つめ、ため息ともつかない息を小さく吐く。
冷たい空気の中、
ユキの笑い声と、カズトの打ちひしがれた背中だけが、やけに賑やかに響いていた。
「それで――今回は、なに用じゃ?」
ひとしきり笑った後、幼女の姿のユキが、腕を組んで小首を傾げる。その口調だけは、山の主たるホワイトドラゴンそのものだった。
「鱗なら、好きなだけ持っていくといい」
そう言って、ユキが指先を軽く振る。
すると、澄んだ氷音とともに空間が揺らぎ、白銀の鱗が次々と現れては、カズトの目の前に積み上がっていった。雪片のように舞い落ちながら重なっていくそれは、どれもが完璧な形と輝きを保ち、見る者の目を奪う。
「……っ」
思わず、誰かが息を呑んだ。
カンナをはじめとする一行は、声を上げることすら忘れ、ただ目を見張っていた。
ドラゴンの鱗――それは武具に使えば国宝級、売れば莫大な富を生む至宝。
(……あの鱗の、たった一枚でもあれば……)
胸の奥に、ふと浮かんだ思考。
疲弊した国の財政、足りぬ物資、救われる民の顔。
(……いけない)
カンナは小さく首を振り、その考えを振り払う。
それはあまりにも浅ましく、そして危険すぎる。目の前にいるのは、交渉相手などではない――畏怖すべき存在、ホワイトドラゴンなのだから。
一方で、当のカズトはというと。
「おいおい、相変わらず豪快だな……」
積み上がった鱗を前に、呆れと苦笑を混ぜた声を漏らしながらも、どこか気安い態度だ。
「必要な分だけでいいって。毎回そんなに出されても、持って帰れねぇよ」
「遠慮するでない。どうせまた生える」
ユキはけろりと言い、くすりと笑う。その視線には警戒も威圧もなく、旧知の友人を見る親しみだけがあった。
――その光景が、カンナたちの緊張をさらに強める。
(……なぜ、ドラゴンと、あれほど自然に会話を……)
彼らの目に映るカズトは、得体の知れぬ男。
ホワイトドラゴンに気に入られているらしいが、それがなおさら不気味だった。
ユキにとってのカズトは「旧知の友」。
だが、カンナギ国の一行は違う。無断で山域に踏み込んできた、ぶしつけな侵入者にすぎない。
だからこそ――今のうちに。
カンナは一歩前に出て、深く一礼した。
「失礼いたします」
その声に、和やかだった空気がわずかに引き締まる。
「そろそろ……私どもの立場と状況を、整理させていただけませんでしょうか」
怒らせず、刺激せず、それでもこの山脈を越えねばならない。
畏怖と警戒を胸に抱きながら、カンナは慎重に言葉を選んだ。
この場の均衡が、極めて危ういものであることを、誰よりも理解していたからだった。
ユキとの出会いは、また後日……
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