アルメリアの聖女騒動 その3
「じゃあ、俺がもらってもいいかな?」
場違いなほど軽い声が、張り詰めた空気を切り裂いた。
ざわめきが走り、人々は思わず振り返る。
その中心を、まるで散歩でもするかのような足取りで進んでくる男がいた。
カズトは、貴族たちの間を遠慮なくかき分け、ついには王太子セドリックと、断罪されたばかりのイリシスの間に立つ。
「……何者だ?」
セドリックは露骨に眉をひそめ、無遠慮な侵入者を値踏みするように見下ろした。
だが、すぐに耳打ちが入り、男がシーラの代理として来た冒険者であると知ると、その表情は一変する。
「ほう……冒険者、だと?」
鼻で笑い、口元を歪める。
「祝いの席に、一介の冒険者を代理によこすとは……ずいぶんと舐められたものだな」
視線を左右に巡らせ、わざと周囲にも聞こえる声で続ける。
「内乱で国がボロボロだから、貴族を寄越す余裕もないのか? それとも、こちらを馬鹿にしているのかな」
くすくすと、貴族たちの失笑が広がる。
セドリックは、その反応を楽しむように、さらに言葉を重ねた。
「まあ、いい。冒険者など、しょせんは使い捨ての駒だ。そんな身分の者にくれてやるには――」
ここで、ちらりとイリシスを見る。
白い指が、ぎゅっとドレスの裾を掴んでいた。
顔を伏せ、唇を噛みしめ、何かに耐えるように、ただ沈黙を貫いている。
弁明も、抗議もない。
その姿は、もはや“聖女”ではなく、裁きの結果を受け入れるしかない一人の少女に過ぎなかった。
「――その貧相な偽聖女は、お似合いだろう」
セドリックは、勝ち誇ったように口角を吊り上げる。
「好きにするがいい。国外追放の身だ。誰のものになろうと、王家の知ったことではない」
嘲るような笑いを浮かべながら、軽く手を振って承諾した。
そのやり取りの最中、カズトは終始、肩を震わせていた。
怒りではない。笑いだ。
(……何もしなくても、聖女が手に入りそうだなんて)
心の中でそう呟き、必死に表情を引き締める。
今ここで吹き出してしまえば、すべてが台無しになる。
唇の端を噛み、わずかに俯いて、なんとか笑いをこらえる。
王太子は、その様子を怯えと勘違いしたのか、ますます満足げに鼻を鳴らした。
「そうだ、せっかくだから贈り物をしてやろう。」
セドリックは指を鳴らすと、横から二人の男が出てきて、イリシスを押さえつける。
そして、ドレスをずり下げ、鎖骨の下あたりに呪紋を刻む……隷属の紋だ。
アッという間の手際の良さだった。
他の者が見ている前で、聖女たっだイリシスは奴隷へと落とされた。
これ以上ない屈辱だろう。イリシスは顔を伏せ、項垂れている。
「ほら、お前の奴隷にしてやったぞ。好きにするがいい」
―――こいつ、マジか?
カズトは言い知れぬ思いが心の奥底から湧き上がってくるのを感じた。
怒り……ではない。歓喜だ。
―――セドリック王子か、、いい奴じゃね?
まず手に入らないだろうと思われた、聖王国の星精霊聖女。
それを奴隷にして、タダでくれるなんて……なんてできた人なんだ。
「王太子からの贈り物、ありがたく頂戴いたします。」
だから、カズトは、心から礼を述べる。
「菲才の身ではありますが、セドリック様が力を欲した時、一度は無償で力をお貸しすることを約束しましょう。」
「ふんっ、この俺様が、卑しい冒険者の力を借りることなどないと思うが……まぁ、覚えておこう。」
カズトのへりくだった態度に気分を良くしたのか、セドリックは機嫌よくなり、集まった者たちに、もっと騒いでいいぞと声をかける。
場は盛り上がり、セドリックたちの姿は群がる人々によって見えなくなる。
こうして、嘲笑と侮蔑の中で、イリシスは、まるで不要な戦利品のように、軽々しく他者へと“渡された”。
そして当の本人は、ただ黙って、俯いたまま、何ひとつ語らなかった。
◇ ◇ ◇
イリシスが三つのとき、世界は音を立てて崩れた。
森道を進んでいた一家を、盗賊たちが襲った。剣の閃き、悲鳴、血の匂い。幼い彼女の視界には、倒れ伏す両親の背中だけが焼き付いた。名を呼ぶ声も、伸ばされた手も、二度と戻らない。イリシスは泣き叫ぶ間もなく、乱暴な手に抱え上げられ、闇へと連れ去られた。
その先に待っていたのは、人としての価値を数えられる場所だった。薄暗い倉庫、囁かれる金額、冷たい視線。奴隷商は淡々と準備を進め、彼女の小さな腕に刻印具を当てようとした――その瞬間、扉が破られた。
鋼と魔法の音が空気を裂き、冒険者たちがなだれ込む。怒号と戦闘の混乱の中、イリシスは床にうずくまり、ただ震えていた。刻印が肌に触れることはなかった。血と汗にまみれながらも、冒険者の一人が膝をつき、優しい声で名を尋ねた。彼女は、か細くそれに答えた。
救われた後、イリシスは彼らに保護され、アルメリア聖王国へと移動する。道中は簡素だったが、恐怖の中にも初めての安堵があった。焚き火の温もり、分け与えられるパン、眠る前に掛けられる毛布。失われたものの大きさを、彼女はまだ理解しきれていなかったが、世界にはまだ手を差し伸べる人がいることを、体で覚えていった。
五歳になると、教会の目に留まる。清らかな魔力の兆し――聖女の素養があると見なされ、彼女は教会で教育を受けることになった。石造りの回廊、静かな祈りの時間、読み書きと教義、そして人を思う心を重んじる教え。生活は質素で、贅沢とは無縁だったが、規則正しく、穏やかだった。
十歳を迎え、選別の儀式で聖女見習いとなるまでの日々。イリシスの暮らしは、慎ましくはあったが、安穏としていた。朝の鐘に起き、学び、祈り、夕べには小さな窓から差す光を眺める。過去の影が夜に忍び寄ることはあっても、彼女は歩みを止めなかった。
救われた命は、いつか誰かを救うために――その想いが、静かに、確かに、彼女の中で育っていた。
十歳になったイリシスは、聖女見習いとしての修行に励みながら、教会の外――街へと足を運ぶようになっていた。
最初は、ほんの些細なことだった。転んで擦りむいた子どもの膝、重い荷を運んで腰を痛めた商人、長年の咳に悩む老女。イリシスは教えられたばかりの治癒魔法を、祈るように、確かめるように使った。未熟な魔法は奇跡と呼ぶには程遠く、完全に癒すことはできない。それでも痛みは和らぎ、傷は早く塞がる。その変化に、人々は目を丸くし、そして笑顔になった。
街の人々にとって、イリシスは「小さな聖女さま」だった。礼を言い、焼き菓子を分け、時には銅貨を喜捨として教会へ託す。治癒の恩恵を受ける彼らもまた、彼女に温かさを返した。頭を撫でる手、名前を呼ぶ声、何気ない世間話。
教会は本来、こうした行いを厳しく律する立場にあった。未熟な見習いが外で力を振るうことは、危うさを孕む。それでも、街から寄せられる感謝と喜捨は無視できないほど多く、「子どものやることだ」と目をつむる者が増えていった。結果として、その黙認は日常となった。
イリシス自身にとって、その時間は何よりも大切だった。幼い頃に失いかけた、人との触れ合い。その温かさを、街の中で少しずつ取り戻していく。笑顔に救われ、感謝の言葉に胸が満たされる。修行の厳しさの合間にある、確かな幸福。彼女は、その日々がずっと続くものだと、どこかで信じていた。
そして、運命の日が訪れる。
十二歳、選星の儀。
厳かな聖堂に星光が満ち、祈りと沈黙が重なる中で、彼女は選ばれた。
星精霊聖女――《マリアスター》。
名が告げられた瞬間、祝福のざわめきと、畏怖の視線が交錯する。
イリシスはただ立ち尽くし、理解が追いつかないまま、その光を身に受けた。
その日を境に、彼女の人生は静かに、しかし確実に軋み始める。
街の温もりも、ささやかな幸せも、もう手の届かない場所へと遠ざかっていく。
選ばれたことは祝福であり、同時に――彼女から、当たり前の未来を奪う始まりでもあったのだった。
悪女追放のオマージュですww
追放されておわりってお話ですけど
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