領主との交渉 前編
「この勝負、引き分けよ」
静かだが有無を言わせぬ声音で、エルはそう告げた。
その瞬間、張り詰めていた空気が弾ける。
「は? 冗談じゃないですよぉ!」
最初に噛みついたのはリラだった。破られた城壁の向こう、混乱の残る街並みを指差し、勝ち誇ったように言い放つ。
「防御は破られた。魔物は壁を越え、街の中まで侵入してる。結果は明白でしょう。私の勝ちですよ」
「それは違うわ」
即座に、シーラが低く反論した。視線は冷静だが、その奥に強い自負が宿っている。
「魔物が町中に入り込んだのは、刻限を過ぎてからよ。約束は“刻限まで街を守る”こと。その時刻までは、一体たりとも通していない」
シーラは一歩も引かず、言葉を重ねる。
「条件通りに達成した以上、勝者は私」
二人の主張が正面からぶつかり合い、空気が再び険悪になる。
エルはその様子をしばらく黙って見つめてから、小さく息を吐いた。
「……だから引き分けだと言ったの」
淡々とした声が、対立する二人の間に落ちる。二人の視線が火花を散らす中、エルは一歩前に出た。
「防御は刻限まで機能し、その直後に破られた。どちらの主張も事実で、どちらも条件の一部しか見ていない……勝敗は、力の誇示でも言葉遊びでもない。目的は“街を測る”ことだったはずよ?」
彼女は短く言い切る。
「とにかく、結果は引き分け。異議は認めない」
沈黙が落ちた。やがて、リラが肩をすくめ、シーラは視線を逸らした。
納得はしていない。それでも否定できない現実だけが、その場に残っていた。
「ちょっと待ってくれ」
張りつめた空気を切り裂くように、カズトが一歩前に出てエルに詰め寄った。
勝敗の余韻に浸る間もなく、必死な表情で叫ぶ。
「引き分けだって言うならさ……その、“お仕置き”のペナルティはどうなるんだ!?」
一瞬、言葉を詰まらせてから、勢いに任せて続ける。
「つまり、その……両方と、エッチなことをしていいってことなのか?」
場の空気が、別の意味で凍りついた。
エルは一瞬きょとんとした顔を見せたかと思うと、すぐに口元をつり上げ、小悪魔のような笑みを浮かべた。
楽しそうに、しかしはっきりと言い放つ。
「残念だけど――どっちも負けていないのだから、『お仕置き』はナシよ」
その言葉が耳に届いた瞬間、カズトの全身から力が抜けた。
「……そんな……」と情けない声を漏らし、その場にがくりと膝をつく。
希望に満ちていた数秒前が嘘のように、完全に崩れ落ちるカズト。
その様子を見ていられなかったのか、アリーナがそっと近づき、彼の隣に腰を下ろした。
「……元気出しなさいよ」
そう言って、慰めるように肩に寄り添う。
勝負は引き分け。
そして、カズトだけが、別の意味で完敗を喫していた。
◇
重厚な石造りの執務室に、静かな緊張が満ちていた。
シリルを半歩後ろに伴い、カズトは領主ゲハルトの前に立つ。玉座代わりの椅子に腰掛けるゲハルトは、最初こそ好奇心を隠さず、まじまじとカズトを見つめた。
「……なるほど。これが“魔王”か」
低く唸るような声。年若い――どう見ても若造だ。だがゲハルトは、すぐに視線を横へ滑らせた。無言で佇むシリル、その背後に控えるエルの存在を見逃さない。
(高位魔族を従える者を、見た目だけで侮るほど、儂も老いぼれてはおらん)
ゲハルトは表情を引き締め、形式的な挨拶を済ませると、交渉の席に着いた。
「では、本題に入ろう。事前に聞いている条件を、改めて確認したい」
カズトは一つ頷き、落ち着いた声で告げる。
「シャガートの街から南西一帯。その領域を、俺――魔王の領土として正式に認めてもらいたい。その代わり、パンニャ領に対する不可侵を誓う」
ゲハルトの眉が、わずかに動いた。
だが驚愕や拒絶ではない。むしろ計算の色だ。
「……不可侵条約、か。魔族相手とは思えんほど、理性的な要求だな」
「無用な争いは好まない。守るべきものがあるのはそちらも同じ……だろ?」
その言葉に、ゲハルトは一瞬だけ目を細めた。
続いて提示されたのは交易条件だった。
「交易は対等、かつ平等に。関税、通行料、物資の価格――いずれも、一方的な優遇や搾取は行わない」
「人間の領主同士の条約と、何も変わらんな」
「変えるつもりはない。むしろ、なぜ変えないといけない?」
ゲハルトは低く笑った。
(魔王を名乗る男が、ここまで“普通”とはな……)
そして、最後の条件が告げられる。
「もう一つ。シーラを、俺の……嫁……として正式に認めてもらいたい。同時に、シャガートの街の代官に任じる」
室内の空気が、わずかに張り詰めた。
しかしゲハルトは、反射的に否定しなかった。
「……政略結婚か?」
「いや。彼女自身の意思であり、……契約でもある。あと、能力も、街を治めるに十分あるから、シャガートの代官としては問題ないし、その方が、そっちにとっても都合がいいだろ?」
少しだけ、言いにくそうにしている態度に、ゲハルトは違和感を覚えたが、まぁ、若い者ならばそんなものだろうと、気に留めずにおく。
そして、少し考えたのち、ゲハルトは深く息を吐き、背もたれに身を預けた。
(領土要求は限定的。不可侵。公平交易。人質にもならぬ婚姻……魔族相手に構えていた儂が、馬鹿らしくなる)
沈黙の後、ゲハルトは机を指で軽く叩いた。
「よかろう。提示された条件、すべて受け入れる」
カズトは内心で、わずかに驚いた。
――正直、少し吹っ掛けすぎたかもしれない、と思っていたからだ。
「ただし」
ゲハルトの声が、低くなる。
「この平穏を破るのは、決してそちらからであってはならん。魔王殿」
カズトは真っ直ぐにゲハルトを見返し、はっきりと答えた。
「そちらが何もしてこなければ、こちらが動く理由はない。正直言って、人族の問題にかかわっていられるほど暇じゃないんだよ。」
その言葉に、ゲハルトは初めて、完全に納得したように頷いたのだった。
ようやく1000PVです。
表現を過激にしてノクターンに引っ越そうかなぁ……
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