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魔王様のハーレムダンジョン ~俺は、ハーレム王になるっ~  作者: Red/春日玲音


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パンニャ公爵の苦悩

石造りの執務室は、夜明け前だというのに重苦しい空気に満ちていた。燭台の炎がかすかに揺れ、そのたびに壁に掛けられた紋章が歪んで見える。パンニャ領主ゲハルト・パンニャは、机に両肘をつき、組んだ指の上に額を預けたまま動かなかった。


報告書はすでに何通も目を通した。

――ハルゲル・ゲール、挙兵。

――代官所の一部が制圧され、領都南区で暴動。

――穀倉への放火未遂、鎮圧に成功するも負傷者多数。


どれも文字としては冷たい。だが、その一行一行の裏に、領民の恐怖と血の匂いがあることを、ゲハルトは痛いほど理解していた。


「……なぜだ、ハルゲル」


喉の奥で、かすれた声が漏れる。問いかける相手は、ここにはいない。


若い頃、剣を並べて戦場を駆けたゲール伯爵の顔が脳裏に浮かぶ。雨に濡れた野営地で、粗末な酒を分け合いながら未来を語り合った夜。互いに傷を負い、互いに背を預けて生き延びた日々。その信頼の証として、彼の治める領地の半分を任せたのだ。あの男ならば裏切らない。そう、信じて疑わなかった。


だからこそ、その息子ハルゲルの「多少の無礼」には目をつぶった。若さゆえの驕り、貴族の血にありがちな短慮だと、自分に言い聞かせた。叱責よりも、導くことを選んだ。

――それが、この結果だ。


机の上に置かれた家紋入りの印章が、やけに重く見えた。これを押せば、討伐命令は即座に発せられる。反逆者ハルゲル・ゲール。その名は歴史に「賊」として刻まれるだろう。そして、その父もまた、連座を免れまい。


「親友の息子を、討てというのか……」


胸の奥が、ぎしりと軋む。情に流れれば、領は崩れる。決断を誤れば、さらに多くの命が失われる。領主とは、誰よりも冷酷でなければならない立場だと、若い頃の自分は知っていたはずだった。それでも今、心は理に抗い、過去へと引き戻される。


執務室の扉の向こうで、また使者の足音がした。新たな報告だろう。悪い知らせであることは、もはや疑いようがない。


ゲハルトはゆっくりと顔を上げた。深く刻まれた皺が、長年の責務と後悔を物語っている。

逃げ場はない。迷いも、許されない。


「……領主として、決めねばならぬ」


それは誰に向けた言葉でもなく、自らを縛る鎖のように、静かに執務室に落ちた。



鐘の音が、低く、重く、途切れ途切れに領都に響いていた。警鐘だ。

それはもはや「備え」を告げる音ではなく、切迫した危機そのものだった。


ゲハルト・パンニャは城壁上から市街を見下ろし、唇を強く噛みしめていた。黒煙が幾筋も立ち上り、かつて整然としていた屋根並みのあちこちに、赤い火の舌が揺れている。兵の動きは散発的で、指揮系統の乱れは隠しようもなかった。


「防戦一方、か……」


誰に言うでもなく呟いた声は、風にさらわれて消えた。

報告はどれも同じ内容だった。ハルゲルの兵は勢いを失っていない。若さと熱狂に駆られた兵たちは、恐れを知らず、まるで止まることを知らない獣の群れのように押し寄せてくる。対するこちらは、疲弊し、疑心暗鬼に蝕まれていた。


――このままでは、討つどころか、討たれる。


冷たい現実が、胸の内に突き刺さる。

自分が倒れれば、この領はどうなる。指導者を失った城は瓦解し、略奪と報復が横行するだろう。罪なき領民が巻き込まれ、血を流す光景が、嫌というほど想像できた。


「……守ると誓ったのだ」


領主として。

そして、父として。


ふと、脳裏に娘の顔が浮かぶ。シーラ。まだ若く、世の残酷さをすべて知るには早すぎる娘。今、彼女はどこにいるのか。


娘は、領外に出たまま行方知れず。

商隊に同行したという情報を最後に、足取りは完全に途絶えている。国境沿い、街道、宿場、あらゆる場所に手を回し、密かに、そして必死に捜索させている。それでも――何一つ、確かな報せは届かない。


「……生きているのか……」


声にならない呟きが、喉の奥で砕けた。

城の中にいれば、少なくとも状況は把握できた。危険が迫れば、兵を向けることもできた。しかし今、娘は領外だ。戦の混乱、盗賊、あるいはハルゲルの手の者に捕らえられている可能性すら否定できない。


想像が、最悪の形で膨らんでいく。

それを振り払おうとすればするほど、心は深く沈んだ。


「領主としては失格だな……」


苦い自嘲が漏れる。

領を守れず、反逆を止められず、そして――娘一人、守れなかった。


だが、悲嘆に沈む時間は与えられなかった。

「もし、あの子に何かあれば……」


その先を考えることすら、恐ろしかった。

親友の息子に命を狙われ、領民の命を秤にかけ、さらに娘の安否に心を裂かれる。理性は悲鳴を上げ、感情は絡まり合って、出口を見失っていく。


だが、立ち止まることは許されなかった。


城門の下で、何かが爆ぜる音がした。続いて、伝令が駆け寄ってくる足音。血にまみれ、息を切らしたその姿を見ただけで、新たな凶報であることが分かる。


「領主様! 南門が――」


最後まで聞く必要はなかった。

ゲハルトは深く息を吸い、重い外套を翻して振り返る。思考はまだ混沌の中にある。それでも、決断だけは先送りできない。


考える時間はない。

嘆く暇もない。


状況は、容赦なく彼の背を押し、時間を与えてくれなかった。



「……猫の手、貸しましょうか?」


思い悩むゲハルトの背後、張りつめた空気を裂くように、突然、間の抜けた声が落ちた。振り返ると、そこに立っていたのは少女・・・・・エルの部下であるサキュバスのシリルだった。

深刻な作戦図が広がる机の前で、彼女はやけに場違いな装いをしている。両手には、ふかふかの肉球が縫い付けられた猫の手グローブ。にゃん、にゃん、と子猫がじゃれるような仕草で手招きをしてみせた。


だが、ゲハルトは眉一つ動かさない。視線は書類の一点に釘付けのまま、重たい沈黙が床に落ちる。


「……」


空振りだと悟った瞬間、シリルの肩が目に見えて落ちた。

「ほら見なさい、だからこんなの嫌だったのよ」

小声でぶつぶつと、ここにはいないカズトに向けて悪態をつく。

「『猫の手を貸す」とか、コッチの世界じゃ通じないっての……」


彼女はむすっとしながらも、諦めきれずにもう一度、今度はゲハルトの視界にぐいっと肉球を差し出す。深刻な状況を前に、ふにゃりとした肉球が不釣り合いに揺れた。


そのとき、ゲハルトの口元が、ほんの一瞬だけ緩む。


「……借りるとしたら、右だ」


その一言に、シリルはぱっと顔を輝かせる。

「最初からそう言ってくれればいいのに!」

にゃん、と勝ち誇ったように鳴き、場の重苦しさに小さなひびが入った。重圧は消えない。だが、ほんのわずか、息がしやすくなった気がした。


「ところでお嬢さんは何者で、何の用だね?」

ゲハルトが、ゴホンッと咳ばらいを一つしてから言う。

「言葉のとおりよ。ご主人様の命令でねぇ、ここが「猫の手も借りたいほど忙しそう」だから手伝ってあげようかと。」

「猫の手など役にも立たぬよ。今必要なのは、この場を打開できる力か知恵だ。」

ゲハルトは真面目にそう答える。目の前の少女が何者かなどどうでもよかった。ただどうしようもなく、愚痴がこぼれただけであり、それほどまでに追い詰められていたのだ。


「だから、そのお手伝いに来たんだけどね・・・・・・あとひと月、持ちこたえられそう?」

「無理だな。よくてあと三日。無茶しても1週間が限界だろうな。」

シリルの言葉に、ゲハルトは取り繕うことなく実情を告げる。

先程、南門が破られたという報告が入った。

幸いにも、第三城壁の一部が崩れただけなので、、そこからさらに侵攻するにはもう少し時間がかかるだろう・・・・・・。だけど、時間がかかるというだけの話。つまりは時間の問題、という事だ。


「そっかぁ。じゃぁ、プランAはダメ、と……じゃぁプランB・・・・・・じゃなくてCの方か・・・・・・大丈夫かなぁ?」

ブツブツ言うシリルから視線を外し、ゲハルトは領民の避難経路について頭を悩ます。


「――助けてあげよっか?」


不意に投げられたシリルの軽い声に、ゲハルトは顔も上げずに答えた。


「今更だ。自分一人が助かろうなどとは思っていない」


その声音には、既に覚悟を決めた者の乾いた諦念があった。だがシリルは肩をすくめ、どこか楽しげに首を振る。


「そうじゃなくてさ。ハルゲルを――この領都から追い出してあげるって言ってるの」


その言葉に、ようやくゲハルトが視線を向ける。だが返ってきたのは、期待ではなく、呆れを多分に含んだ溜め息だった。


「……出来ることならやってみろ」


今の状況は、包囲され、詰み上がった盤面そのものだ。今更、何をどう動かせるというのか。


「もう終わっている。奇跡でも起きない限りな」


「うん、だから奇跡の値段を言ってるんだけど?」


シリルは悪びれもせず、指を一本立てた。


「条件があるの。シーラちゃんに――ご主人様の“ハーレム”に入ってもらう」


その場の空気が、ぴしりと凍りつく。


「……は?」


ゲハルトの低い声に、シリルはにこにこと笑ったまま続ける。


「安心して。下世話な意味だけじゃないよ。名目上の側室、保護と後ろ盾付き。ご主人様の名前を使えば、ハルゲル派の貴族なんて一晩で黙る」


まるで市場で条件を並べる商人のような口調だった。だからこそ、余計に現実味があった。


「ふざけているのか……」


「大真面目。これ以上ないくらいにね。」


シリルの瞳から、冗談めいた光がすっと消える。


「この領都を守りたいなら、誰かが汚れ役を引き受けなきゃ。でしょ?」


重たい沈黙が落ちた。ゲハルトは歯を食いしばり、拳を握りしめる。詰んでいると思っていた盤面に、あまりにも歪で、あまりにも残酷な一手が差し出されたのだった。


それでも――それは、確かに「手」ではあった。


「あ、そうそう。一応言っておくけど――」


シリルは思い出したように、人差し指を立てた。


「シーラちゃん、もうハーレム入りしてるからね」


「……なんだとっ!」


ゲハルトの声が跳ね上がり、今にも掴みかからんばかりに一歩踏み出す。その気配を、シリルはひらりと手を振って制した。


「落ち着いてよ。そもそも言い出したの、シーラちゃん本人なんだから」


「……何?」


噛みつくような視線を向けられても、シリルは気にした様子もなく、淡々と――どこか呆れを混ぜながら話し始めた。


「今までのいきさつもあるでしょ。命を助けられて、道を示されて、背中を押されて。まあ、要するに……惚れてたんだと思うよ。ご主人さまに」


ゲハルトの表情が硬直する。


「それとは別にね、今回は本気で追い詰められてた。だからシーラちゃん、自分からお願いしたの。『何でもするから助けて』って」


その言葉は重く、そして痛烈だった。


「で、それに対してのご主人さまの返事が――」


シリルは肩をすくめ、わざとらしく言った。


「『身体を差し出せ』」


「……っ!」


「まあね、ご主人さま的には、そう言えばさすがに諦めるだろうって思ったらしいんだけど」


そこで、シリルはくすっと笑う。


「相手が悪かったよね。シーラちゃんにとっては、願ったり叶ったりだったんだから」


二つ返事で承諾。迷いも、躊躇もなく。


その光景が、語られずとも、ゲハルトの脳裏にありありと浮かんだ。拳が震え、歯が鳴る。


「……なぜ、止めなかった」


絞り出すような声に、シリルは少しだけ真面目な顔になる。


「止められなかった、が正しいかな。あの子、自分で決めたんだもん」


そして、ふっと力を抜いて、いつもの調子に戻る。


「ほんとさぁ。ご主人様もばかだよねぇ」


呆れ半分、愛想半分の笑みを浮かべて、シリルは言った。


「女心ってのが、まるでわかってないんだから」


重苦しい沈黙が落ちる。その中で、ゲハルトはようやく理解し始めていた。


これは取引ではない。

誰かが、すでに――覚悟を支払った後の話なのだ、と。


「それでもさ、一応は公爵様が了承済みじゃないと、あとあと問題が起きそうでしょ?」


シリルは軽く指を振りながら言った。


「だから条件の一つがそれ。形式って大事なんだよ?」


まるで帳簿の確認でもするような口ぶりに、ゲハルトはこめかみを押さえ、深く息を吐いた。理解が追いつかない。だが、理解しなければならない局面でもあった。


「……待て」


低く、抑えた声で問いかける。


「そもそも、その『ご主人様』とやらは――なにものなのだ?」


権力を持ち、貴族を黙らせ、ハルゲルを領都から追い出せる存在。しかも、公爵の了承すら“条件の一つ”で済ませる相手。


常識的に考えれば、答えは限られているはずだった。


だが。


「え? 言ってなかったっけ?」


シリルはきょとんと首を傾げる。その様子はあまりにも無邪気で、あまりにも場違いだ。


そして、まるで今日の天気を告げるかのように、事も無げに告げた。


「魔王様だよ」


――沈黙。


空気が止まり、時間が凍りつく。


「……は?」


ゲハルトの口から零れた声は、もはや言葉ですらなかった。


「魔王。世界の敵。人類の災厄。その魔王?」


「うん、その魔王様・・・・・・でも、災厄ってのはないかなぁ。あの魔王様、とことんお人よしだし、甘ちゃんだし・・・・・・ついでにヘタレだし。」


シリルはにこりと笑いながら言う。


ゲハルトは頭が追いつかない。盤面がひっくり返るどころか、盤そのものが別のゲームだったことを今さら知らされた気分だった。


「……なぜ、そんな存在が」


「さあ?」


シリルは楽しそうに首をかしげる。


「でもさ、考えてみてよ。貴族が逆らえなくて、公爵が無視できなくて、領都一つくらいどうにでも出来る存在って言ったら――」


彼女は、ゲハルトの顔を覗き込み、悪戯っぽく囁いた。


「むしろ、魔王様以外にいる?」


絶望の底で見えた最後の一手は、救いではなく――

世界そのものを敵に回す覚悟を伴う、あまりにも非常識な切り札だった。

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