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OWPSシリーズ:乗愛の協奏曲 第弐楽章 強くてニューゲーム「ブラックホールの救済」“Chapter II: Black Hole of Salvation”  作者: 大皇内 成美


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第5章 つながる声

前書き

詩立乗愛学園は、与えることと測ることが同じ庭に根を張る場所だ。ここでは行為が試験台に載せられ、数式が詩の余白を切り取る。読者はこの物語を通じて、日常の小さな与えがどのように制度と次元を揺らし、個人の選択が世界の秩序に波紋を投げるかを見届けることになる。

本書は詩と論理を並列に扱う。いずみの無償の所作と、ちえの冷静な式は対立ではなく対話だ。学園という舞台はその対話を可視化する装置であり、クロックアップや公開審議は登場人物たちの責任と選択を測るための計測器である。答えを与えるのではなく、問いの重さを感じてもらいたい。小さな一滴がやがて合奏となる瞬間を、静かに耳を澄ませて見届けてほしい。

朝の光はいつもより柔らかく、図書室の窓辺に埃の粒がゆっくりと舞っていた。公開審議の余波は学内の空気を変え、誰もが昨日の出来事を胸のどこかで反芻している。掲示板にはワークショップの案内が貼られ、参加者の名前が小さな文字で列挙されていた。ちえの名前、いずみの名前、そして数名の学生委員の名前。そこに、教員の署名と短い注記が添えられている。**「被救済者の語りを中心に据える」**という一文が、今回の方針を端的に示していた。

ちえは朝一番で図書室に入り、ワークショップの資料を整理していた。ノートの余白には昨夜の修正が残り、式の注釈がさらに増えている。彼女は理論の精度を上げることに没頭するが、同時に「語り」をどう数式と接続するかを考えていた。数式は測定を可能にするが、語りは測定の意味を与える。ちえは二つを結ぶための小さなプロトコルを作り、ワークショップで提示するための短い説明文を書き上げた。

一方、いずみは泉の縁で参加者のための小道具を準備していた。水差しはいつものものだが、今日は複数の小さな容器と布、そして香りのする小片を用意している。彼女の考えは単純だ。言葉にならないものを受け取るための「場」を作ること。水は冷たく、布は柔らかく、香りは記憶の扉をそっと叩く。いずみはそれらを並べながら、誰かが安心して語れるように自分の所作を調整していく。

ワークショップの会場は小さな講義室だが、椅子は円形に並べられ、中央には小さな泉を模した盆が置かれている。学生たちが集まり、被救済者と名乗る数名が静かに席につく。彼らの表情は様々だ。語ることに慣れている者、言葉を探す者、そして語ること自体を恐れている者。ちえはいくつかのルールを読み上げる。匿名性の確保、語りの途中での介入禁止、そして語りが終わった後のフォローアップの約束。ルールは冷たいが、そこにあるのは尊厳を守るための配慮だ。

最初の語り手は、昨夜の被救済者とは別の学生だった。彼は小さな声で、ある日の放課後に起きた出来事を語り始める。言葉は断片的で、時折途切れる。いずみはそっと水差しを取り、語り手の手元に一滴の水を落とす。水は言葉の代わりにはならないが、沈黙を埋める役割を果たす。語りが進むにつれて、ちえはノートにメモを取り、式のどの仮定が語りのどの部分に対応するかを記していく。数式と語りが同じページに並ぶ瞬間は、ちえにとっては新しい発見の連続だった。

語りが終わると、参加者は静かに拍手を送る。拍手は評価ではなく、存在の確認だ。ちえはその拍手の音を聞きながら、式の注釈に一行を加える。**「語りの非線形性を許容する項」**という短いフレーズだ。理論は少しだけ柔らかくなり、語りの揺らぎを受け止める余地を作る。学問的には曖昧に見えるが、現場ではその曖昧さが人を守る。

ワークショップの途中、外部からの短い通信が届く。オープンコアの遠隔端末からの簡潔なメッセージだ。解析は継続中だが、今回のプロトコルは「被救済者の語りを優先する」という方針に整合的である、という旨の注記が付いている。端末の表示は冷たいが、その一行は学園の方針を後押しする力を持っていた。ちえは安堵の息をつき、いずみは小さく笑った。外部の視線は厳しいが、完全な敵ではない。

午後、ちえといずみは校長室に呼ばれ、ワークショップの初回報告を行う。校長は二人の報告を静かに聞き、いくつかの改善点を示す。**「制度は人を守るためにあるが、人を縛らないこと」**という言葉が再び出る。校長はさらに、先駆者たちの記録に触れ、学園が次元的な影響を受ける可能性についても言及する。メーテリュとエメラルドの名は、ここでも静かに響く。校長は二人に、学園が外部とどう対話するかを常に意識するよう促した。

夕方、図書室の片隅でちえはいくつかの古い記録をめくっていた。先駆者たちの断片的なメモ、実験ノート、そして詩のような断章。そこには技術的な記述と、深い孤独の痕跡が混在している。ちえはその孤独を感じ取り、自分の研究が誰かを孤立させないようにする責任を改めて自覚する。理論は人を助けるための道具であり、道具は使う者の倫理を映す鏡でもある。

夜、いずみは泉の縁で一人、今日の語りの残響を聞いていた。彼女の手は水差しを優しく包み、指先に残る水滴の冷たさを確かめる。誰かの語りを受け止めることは、時に重い。だがその重さは、共有されることで軽くなる。いずみはそう信じている。彼女は明日の準備として、いくつかの布と香りを新たに用意し、静かに眠りについた。

その夜、掲示板に小さな紙が一枚貼られる。**「ワークショップ継続決定。参加者の追加募集」**という短い文言だ。学園は学び、制度は変わり始める。ちえといずみはそれぞれの方法で橋を架け、学園の小宇宙は少しだけ形を変えた。波紋は広がり、次の波がどこで砕けるかはまだ見えない。だが確かなことが一つある。声はつながり、声は変化を生む。

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