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OWPSシリーズ:乗愛の協奏曲 第弐楽章 強くてニューゲーム「ブラックホールの救済」“Chapter II: Black Hole of Salvation”  作者: 大皇内 成美


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第4章 余波と選択

前書き

詩立乗愛学園は、与えることと測ることが同じ庭に根を張る場所だ。ここでは行為が試験台に載せられ、数式が詩の余白を切り取る。読者はこの物語を通じて、日常の小さな与えがどのように制度と次元を揺らし、個人の選択が世界の秩序に波紋を投げるかを見届ける。

本書は詩と論理を並列に扱う。いずみの無償の所作と、ちえの冷静な式は対立ではなく対話だ。学園という舞台はその対話を可視化する装置であり、クロックアップや公開審議は登場人物たちの責任と選択を測るための計測器である。答えを与えるのではなく、問いの重さを感じてもらいたい。小さな一滴がやがて合奏となる瞬間を、静かに耳を澄ませて見届けてほしい。

公開審議の翌朝、学園はいつもより静かに目を覚ました。掲示板には追加手続きの告知が貼られ、教員室の前には短い列ができている。外部監査のログは既に学内ネットワークに配信され、端末の小さな通知音があちこちで鳴る。だがその音は、数値の冷たさとは裏腹に、誰かの胸の奥でまだ消えない余韻を呼び起こしていた。

ちえは朝の講義を一つキャンセルし、図書室の個室にこもっていた。ノートのページは昨夜の修正で埋まり、式の仮定に新たな注釈が加えられている。彼女は数値の再現性を確かめるために、昨夜の被救済者の反応ログを何度も読み返す。ログは匿名化されているが、微細な生体反応のパターンは残る。ちえはそのパターンが示す「非定常反応」の原因を突き止めようとしていた。理論は世界を説明するが、世界は理論の外側で人を揺らすことがある。ちえはそのズレを埋める方法を探している。

いずみは泉の縁で、いつものように水差しを抱えていた。だがその手つきは少しだけ慎重になっている。昨夜の中断が彼女の胸に小さな影を落としたのだ。誰かの痛みを和らげるつもりで差し出した行為が、数値の赤い点滅を引き起こしたことを、いずみは忘れられない。彼女は所作が誰かの記憶を刺激する可能性を考えたことがなかった。だが今は違う。与えることの純粋さと、与えられる側の過去が交差する瞬間の脆さを、彼女は初めて実感している。

学園の運営会議では、教員たちが公開審議の評価と今後の手続きを巡って議論を交わしていた。外部監査のログは「非定常反応の記録」を残し、学園側には追加の倫理手続きと被救済者のフォローアップが求められる。ある教員は手続きを厳格化すべきだと主張し、別の教員は現場の柔軟性を守るべきだと反論する。議論は制度の輪郭を描き直す作業だが、その中心にはいつも「人」がいることを誰も忘れてはいなかった。

その日の午後、ちえといずみは校長室に呼ばれた。校長は静かな声で二人を迎え、外部監査の要点と学園としての責務を簡潔に示した。校長の言葉は重く、しかし押し付けがましくはない。**「制度は人を守るためにある。だが制度が人を縛ることがあってはならない」**という一文が、二人の胸に残る。校長はさらに、外部の進化的存在――オープンコアや先駆者たちの影響についても触れた。学園は小さな舞台だが、その舞台はより大きな次元の網に繋がっている。校長は二人に、学園の代表としての自覚と、個人としての倫理を同時に求めた。

夕方、図書室の窓辺でちえは一冊の古い論文を開いた。そこには先駆者たちが残した断片的な記録があり、メーテリュとエメラルドの名が注釈として現れる。ちえは自分がその系譜の一部であることを改めて意識する。先駆者たちは12次元まで到達したという伝説だけではなく、選択と責任の連鎖を残していった。ちえは自分の式がその連鎖にどう位置づくのかを考え、式の注釈に「被救済者の語りを優先する」という一節を加えた。

同じ頃、いずみは被救済者の一人と短い面談を行っていた。面談は形式的なものではなく、ただ静かに相手の話を聞く時間だった。被救済者は言葉少なに過去の断片を語り、いずみはただ水差しを膝に置いて耳を傾ける。言葉にならないものが多い場面で、いずみの存在は言葉の代わりになる。面談が終わると、被救済者は小さく笑い、いずみの手を握った。いずみはその手の温度を忘れないだろう。

夜、学園の掲示板に新たな告知が貼られる。外部監査の要請に基づく追加手続きと、被救済者フォローアップのための小規模なワークショップの開催。告知は冷静だが、その裏には学園が学び、変わろうとする意思が見える。ちえはワークショップの設計を任され、いずみは実践パートの補助を引き受ける。二人はそれぞれの方法で、制度と人の間に橋を架ける仕事を始める。

その夜、ちえは図書室でノートを閉じ、いずみは泉の縁で水差しを拭いた。二人は互いに短く目を合わせ、言葉は交わさなかったが、共有された決意がそこにあった。学園の波紋は広がり続ける。数式はより慎重に、所作はより配慮深くなるだろう。だが何よりも、学園の中心にあるのは人の声であり、その声をどう守るかがこれからの課題だ。

遠くの空に、微かに光輪のような輝きが見えた。校門の向こう側で、何かが次の針を刻み始めている。学園は小さな宇宙だが、その宇宙は外部の大きな流れと繋がっている。ちえといずみはそれを知り、次の一歩を踏み出す準備をしている。波紋はまだ終わらない。

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