のぞみのアルバイト
リビングのテーブルに広がっているのは、色とりどりのアルバイト情報誌だった。
蛍光色の見出し、写真に映る笑顔のスタッフたち。そこに顔を寄せているのはのぞみ。ページをめくる指先には、少し緊張と決意が宿っていた。
「……バイト、してみようかな」
小さくつぶやいた声は、自分自身に向けた確認のようでもあった。
親にばかり頼ってはいけない。大学生になった以上、自分で少しでも世界を広げたい。そんな気持ちが、のぞみをここに座らせていた。父からは「変な仕事でなければ構わない」と言われている。その言葉は重くはないけれど、責任感を芽生えさせる。
そんなとき――
「お姉ちゃん、それ何読んでるの?」
ふいに横から顔を覗かせてきたのは夏美。まだ高校生らしい無邪気な瞳が、キラリと輝いている。
のぞみは少し驚いて笑った。
「バイトの情報誌。私もそろそろやってみようかなって」
「ええっ! お姉ちゃんがバイト!?」
夏美は目をまん丸にして、勢いよく隣に腰を下ろす。情報誌を自分のもののように取り上げ、食い入るように眺めはじめた。
その様子は、まるで宝探しでもしているかのようだった。
「どれにしよっか~! 制服が可愛いとこ? それともまかない美味しいとこ? ねぇねぇ、どっち!?」
のぞみは思わず吹き出した。
「制服とかもいいけど……やっぱり、ゆう君が心配しないような仕事かな」
ゆうの名前を出すと、夏美は「なるほどね」と顎に手を当て、妙に大人ぶった顔になる。
「じゃあ、夜遅いのはダメ。怪しいおじさんが来るとこもダメ。あと、体力系すぎるのもダメだね」
「そうそう。あんまり疲れすぎても、勉強に響いちゃうし」
二人は真剣に考え込み、でもどこか楽しげだ。
やがて夏美がパッと指を差した。
「これどう!? カフェのスタッフ! 夜遅くないし、お客さんも優しそうだし!」
のぞみはページを覗き込む。
「へぇ……おしゃれだね。制服も可愛いし」
「でしょ! しかもさぁ……ゆう君が来たときに『いらっしゃいませ、ご主人様♡』って……」
「ちょっと、夏美! メイドカフェじゃないんだから!」
のぞみは慌てて夏美の頭をポンポン叩く。その頬はほんのり赤い。
「冗談だってば!」
夏美はケラケラ笑い、ページを次々めくる。
「でもさぁ、お姉ちゃんがバイトって、なんか大人っぽいなぁ。カッコいいじゃん」
「そ、そうかな」
「そうだよ! でもさ、ゆう君に言った?」
「まだ。決まってから伝えようと思ってるの」
夏美は唇を尖らせた。
「ふーん……でも、ゆう君、絶対心配するよね」
のぞみは苦笑しながら雑誌を閉じる。夏美の言う通りだ。きっと心配性の彼は、声を裏返らせて大げさに反応するだろう。
それでも――隠したまま決めてしまったら、また余計に不安にさせてしまうかもしれない。
のぞみはスマホを手に取り、深呼吸した。小さな吐息とともに決意を込めて、発信ボタンを押す。
ワンコール。ツーコール。
「のぞみさん! どうしたの?」
電話口から飛び込んでくる声は、いつものように明るくて元気いっぱい。聞いただけで心が少しほぐれる。
「うん……ちょっと話があって」
「なになに?」
のぞみが言葉を選んでいると、横から夏美が「早く言っちゃえ」と囁いてきた。観客のように目を輝かせ、ニヤニヤしている。
「実はね……アルバイトを始めようかなって思って」
その瞬間、受話器の向こうの空気が変わった。
「えっ!? どうして!? なんでバイトなんか――」
ゆうの声は裏返り、慌てふためいている。
「えっ、いや……ちょっとは自分でお金を稼いでみたいし、親に甘えてばかりもどうかと思って……」
「でも! のぞみさんがそんなことしなくてもいいじゃん! もしかして……お小遣い足りてないの? 困ってる?」
のぞみが言葉を探していると、隣で夏美は肩を震わせて笑いを堪えていた。
「違うの! 困ってるわけじゃなくて、社会勉強も兼ねてやってみたいなって」
「うぅ……でも、のぞみさんが大変になっちゃったら……」
ゆうの声はどんどん沈んでいく。予想通りだ。
「どんなバイトにするの?」
「カフェにしようかな。お酒も出さないし、夜遅くもないし」
「カフェ……?」
「うん。『アラモード』か、『ミルフィーユ』か、『マロニエ』ってとこ」
「えっ、大学の近くのカフェにしたら……僕から遠くなる……?」
「ちょっと待って! そこ!?」
のぞみは思わずツッコむ。その瞬間、夏美はとうとう爆笑。
「ぷっ……ゆう君、お姉ちゃんの親みたい!」
「えっ!? ち、違……!」
電話の向こうで慌てふためく気配がする。
のぞみは苦笑しながら言った。
「心配してくれるのは嬉しいけど、お母さんみたいにならなくて大丈夫だから」
「……でも、疲れちゃったり、変な人に絡まれたりしたら……」
「大丈夫。そんな時間までやらないし、カフェだから酔っ払いもいないから」
「……ほんと?」
「ほんと」
「……心配だけど……のぞみさんがそう言うなら」
しぶしぶ飲み込むような声。その不器用な優しさが、のぞみの胸を少し熱くさせた。
夏美は横で「制服の話は?」と小声で煽ってくる。のぞみは首を横に振り、唇に指を当てる。
「ゆう君、とりあえず安心して。ちゃんと考えて決めるから」
「……決まったらすぐ教えてね?」
「もちろん」
電話を切ると、リビングにはすぐに夏美のニヤニヤ笑いが広がった。
「お姉ちゃん、めっちゃ愛されてるじゃん!」
のぞみは視線を逸らし、頬を赤くしながら小さく頷いた。
「……まあ、そうかもね」
心の奥で、嬉しさと照れくささがせめぎ合っていた。




