のぞみ、ついに免許取得
のぞみは免許センターの窓口を離れ、手の中に収まったばかりの免許証をまじまじと見つめていた。まだ新しいプラスチックの光沢が、朝の光を反射してきらめいている。そこに印刷された自分の顔写真は、少し緊張で強張っていたけれど、それもまた、この一瞬を証明するように思えた。
「……やったぁ」
小さな声と一緒に、思わず右手を握ってガッツポーズを作る。長かった教習所の日々、冷や汗をかきながら挑んだ卒業検定、そしてさっきの学科試験。全部が報われた瞬間だった。
けれど、心のどこかでまだ実感が追いついていない。自分が車を運転するなんて、本当にできるのかな。ドキドキする胸の音を抑えようと、のぞみは深呼吸した。
***
家に帰ると、ダイニングには父が新聞を広げて座っていた。朝の光がテーブルクロスの模様を浮かび上がらせ、日常の匂いがいつもより鮮やかに感じられる。のぞみは、免許証を胸に隠し持ちながら椅子に腰掛けた。
「お父さん……あのね」
声は自然と小さくなる。サプライズの秘密を抱えているみたいで、ちょっと恥ずかしい。
父は新聞を折りたたみ、顔を上げた。
「ん、どうした?」
「……私、免許取れたの。だから……今度、一緒にドライブしてほしいなって」
口にした瞬間、胸が熱くなる。父に一番最初に打ち明けることができて、少しホッとした。
父の眉が驚きと喜びで動いた。
「そうか! 合格したのか。よく頑張ったな、のぞみ」
「うん……ありがとう。でも、まだ一人で運転するのはちょっと怖くて。最初はお父さんが隣にいてくれたら安心するんだけど」
真剣な声に、父は新聞を机に置き、腕を組んで頷いた。
「なるほどな。よし、任せろ。まずは慣れることが一番だからな。父さんが横で見ていてやる」
その会話を聞いていた夏美が、椅子から勢いよく身を乗り出した。
「えっ!? お姉ちゃん運転するの!? それ絶対乗りたい! 私も助手席座る!」
のぞみは慌てて両手を振った。
「ちょ、ちょっと待って! 最初はお父さんと二人で練習するつもりだったの!」
「やだやだ、私も一緒に行く! だってお姉ちゃんが車走らせるなんて、一生に一度の瞬間じゃん! 見逃せないよ!」
頬をぷくっと膨らませる妹に、のぞみは困った視線を父に向ける。父は口元に苦笑を浮かべて、肩をすくめた。
「まぁ……夏美がいいって言うなら、一緒でもいいんじゃないか。ただし、運転中にお姉ちゃんの邪魔はするなよ」
「わーい! ありがとお父さん!」
夏美は椅子の上で小さく跳ねるほど喜び、のぞみはため息をつきつつも、その姿に思わず笑ってしまった。
「ほんとにもう……しょうがないなぁ」
内心では、妹に最初のドライブを見てもらえるのも、悪くないかもしれないと感じていた。
***
翌日。父の車を借りて、のぞみの初めての公道デビューが始まった。
ハンドルを握った瞬間、手のひらがじんわりと汗ばむ。革のステアリングの感触が、いつもより重く思えた。助手席には父と夏美。三人分の視線が自分に集まっているようで、心臓がまた早鐘を打つ。
「大丈夫か? 緊張してる?」
父が静かに問いかける。
「……うん、緊張してる。でも、大丈夫。落ち着いて運転する」
そう答えながら、のぞみは深呼吸を一つ。そしてキーを回すと、エンジンの音が胸の奥まで響いた。慎重にアクセルを踏むと、車はゆっくりと前へ進み出す。
最初の交差点、信号、横断歩道。全部が大きな壁のように迫ってきたけれど、のぞみは一つずつ乗り越えていった。
「お姉ちゃん、普通に上手じゃん! なんかプロみたいだよ」
助手席の夏美が感心したように声を上げる。その無邪気な言葉に、のぞみは少し照れくさそうに笑った。
「それは言いすぎ。でも……ありがと。ちょっと自信ついたかも」
父も頷き、窓の外に視線を向けながら呟く。
「危なげない運転だな。よし、落ち着いて走れてる」
街並みを抜け、ショッピングモールの駐車場に到着。のぞみは深呼吸し、車庫入れに挑戦する。ミラーを確認し、後ろを振り返り、少しずつハンドルを切る。車体が枠の中に吸い込まれるように収まっていく。
「……入った!」
ハンドルを戻した瞬間、体から力が抜けていく。
「おぉ、やるな、のぞみ」
父が穏やかな笑みで頷き、夏美は両手を叩いた。
「お姉ちゃん、めっちゃかっこいい!」
息を切らしながら笑うのぞみの頬には、汗が光っていた。けれどその表情は誇らしさに満ちていた。
「ふふ……ありがとう」
シートから背中を離し、のぞみはハンドルに触れた自分の手を見つめた。この手で、ついにどこへでも行けるんだ。そう思うと、心の奥からじんわりと熱が広がった。
「うん、のぞみ。もう大丈夫だな」
運転を終え、車庫に車を停めると、父が満足そうに頷いた。
「本当!? お父さん、もう心配しない?」
「ああ、お前の運転なら安心して任せられる」
「やったぁ!」
のぞみはハンドルの上でガッツポーズをした。
これまでの練習の成果が認められて、嬉しさが込み上げてくる。
「でも、調子に乗るなよ。運転は常に慎重にな」
「はいっ! わかってます!」
そんな父との会話を、リビングのソファでくつろいでいた夏美が聞いていた。
そして、満面の笑みを浮かべながら、のぞみに駆け寄る。
「お姉ちゃん、おめでとう! じゃあさ、じゃあさ! 今度は私とドライブに行こ!」
「えっ、もう?」
「だって、お姉ちゃんの助手席、私が一番乗りしたいもん!」
「えぇ……ゆう君より先に?」
「そりゃそうでしょ! 私の方が付き合い長いんだから!」
「確かに……」
可愛い妹のお願いを無下にできるはずもなく、のぞみは笑いながら頷いた。
「わかった、じゃあ明日、お昼からちょっとドライブしよっか」
「やったー! 楽しみ!」
夏美は飛び跳ねて喜び、のぞみもそんな妹を見て微笑んだ。




