朝の光と、ふたりの約束
のぞみは、目覚ましが鳴るよりもずっと早く、ぱちりと目を開けた。
カーテンの隙間から射し込む朝の光が、静かに彼女を包む。胸の奥に残っているのは、昨夜のゆうとの電話の余韻。疑われて、でも最後には謝ってくれた。彼が泣いてまで自分を想ってくれる、その姿が愛おしくてたまらなかった。
布団から抜け出し、軽やかな足取りで階段を降りる。
ダイニングには、パンを大きく頬張りながらスマホを操作する夏美の姿があった。
「おはよう、夏美」
のぞみの声は、自然にやわらかく弾んでいた。
「ん、おはよー、お姉ちゃん。今日早いじゃん」
夏美は口いっぱいにパンを詰め込みながら、怪訝そうに目を細める。
のぞみは椅子に腰を下ろし、ふと手を膝に置いて息を整えた。
昨夜のことが心に蘇る。ゆうの震える声、疑いと不安。彼の涙。
そのすべてを思い出すと、胸の奥が妙にくすぐったくなり、微笑みがこぼれてしまう。
「ねぇ、夏美。昨日ね……」
言葉を選びながら、のぞみはゆうとのやりとりを妹に語り出した。
最初、夏美は目を丸くして驚いたが、やがて肘をついて腕を組み、ふんふんと頷きながら聞いていた。
「へぇ〜、ゆう君ってそんなにお姉ちゃんのこと好きなんだ?」
半ば呆れたように、それでいて少し羨ましげに夏美が言う。
「うん……ほんとにね。私のことで不安になっちゃって……泣いちゃってたの」
のぞみは恥ずかしそうに目を伏せながらも、頬には確かな幸福感がにじむ。
「なにそれ、純情すぎるでしょ」
夏美はパンを飲み込むと、ふっと目を細め、わざとらしく肩をすくめた。
「そんな男子が同級生にいたなんてね。もし私の方が先に知ってたら、絶対落としてたのに」
「ちょっと! 夏美にはまだ早いでしょ!」
のぞみはぷっと頬を膨らませ、カップを取る手が少し強くなる。
夏美はケラケラ笑いながら、カップを持ち上げてコーヒーを一口すすった。
「冗談だってば。でも……いいなぁ、お姉ちゃん」
「……なにが?」
「だって、そんな風に真剣に想ってもらえるんだよ。普通、なかなかないじゃん」
夏美の声はほんの少し本音を混ぜた響きで、唇を尖らせていた。
のぞみは俯いて、コーヒーの表面に視線を落とす。
照れくささと誇らしさと、どうしようもなく込み上げてくる嬉しさ。
「私の方が先にゆう君と出会えてて、本当に良かった……」
小さくそう呟いた声は、夏美の耳にもしっかり届いた。
夏美は「ふーん」と曖昧に返事をしながらも、姉の横顔をじっと見つめた。
そこに浮かぶ穏やかな笑顔が、彼女の胸にわずかな寂しさを刻んでいった。
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朝の駅。通勤通学の人々で賑わう雑踏の中、のぞみは改札を抜けて待ち合わせ場所へ急ぐ。
そして見つけた。少し緊張したように立つゆうの姿。
「おはよう、ゆう君」
声をかけた瞬間、自然と笑みがこぼれる。
「おはよう、のぞみさん」
ゆうは彼女の顔を見た途端、昨夜の不安と後悔が一気に胸を押し寄せてきて、思わず足を止めた。
真剣な眼差しを向け、彼は言葉を絞り出す。
「のぞみさん、昨日は……本当にごめん。僕、勝手に勘違いして……疑ったりして……ごめんなさい」
のぞみは驚いたように瞬きをしたが、すぐに柔らかな笑みで首を振った。
「ううん、気にしてないよ。むしろね、そんなに心配してくれて……嬉しかったの」
「……え?」
思わず聞き返すゆう。声が震える。
のぞみは頬をほんのり染めて視線を逸らした。
「だって……私のことで泣いちゃうくらい真剣だったんでしょ? そんなふうに想ってもらえるなんて、すごく幸せだなって」
その一言に、ゆうの心臓は大きく跳ね、胸が熱くなる。
彼は言葉を失い、代わりに彼女の手を強く握った。温かさが指先から心臓にまで伝わる。
電車が入ってきて、ふたりは並んで座席に腰掛ける。
まだ繋いだままの手。
車窓に流れる街並みがぼやけるほどに、互いの存在だけが鮮やかに感じられた。
「ねぇ、ゆう君。これからも……一緒に、こうして通えたらいいね」
のぞみが小さく囁く。
「もちろんだよ。のぞみさんとなら、毎朝でも毎日でも……」
ゆうは笑顔を隠せず、声が震えた。
その笑みを見て、のぞみも心から微笑む。
大学に進学しても、時間が合う日にはこうして二人で朝を過ごしていた。
電車が終点の難法駅に到着する。
降り立った二人は改札の前で立ち止まる。右に進むのぞみ、左に進むゆう。
「じゃあ、またね、ゆう君。帰ったらLINEするから」
のぞみは名残惜しそうに振り返り、軽く手を振った。
「うん。またね」
ゆうは立ち尽くし、のぞみの後ろ姿が雑踏に紛れるまで見送った。
その瞳には、彼女を失いたくない気持ちと、彼女を好きでたまらない想いが、すべて込められていた。




