口の上手い人たち
「……というわけで、再来週の水曜日に、体験での利用をお願いしますね」
「りょ。予定いれとく〜。退院後のアセスメント、送ってくれると超助かる」
「退院後に一度ご自宅へ訪問する予定なので、その後で送りますね」
「ありがと、ホトケさん」
ナースステーションの横にある相談室で、ホトケさんとリハちぃさんが話をしてた。
隠れて相談しているみたいで、なんだかちょっと気になる。
もしかしてこれ、見ちゃいけないところだったかな。
立ち去るべきかなって思っていると、リハちぃさんと目が合ってしまった。
「るりちゃむのお孫さん。どしたの〜?」
「あらほのかさん、るりさんに何かありました?」
二人がこちらを見て話しかけてきて、何も悪くないのに思わずびくついてしまった。
「あ、あ、あの、どうしてここで話を?」
「それはここが、相談室だからですけども」
首を傾げるホトケさん。そういうことじゃなくてと口籠ると、リハちぃさんがニヤッと笑っていった。
「あ〜、もしかしてぇ。私とホトケさんが悪巧みしてるとか思っちゃった系みたいな」
「うっ」
「ほほほ、そうですよ。悪巧みではないけれど、内緒の話してましたよ」
ホトケさんが笑いながら言った。そんな、祖母と仲良くやっていたように見えたのに、内緒話って。
「るりさんのね、お体の状態について聞いていたんです。こういうのは、プロに聞くのが一番だから」
「そうそう、聞きにきてくれるホトケさん、マジ最高〜。やっぱ連携って大事っしょ」
思ったより真面目な会話だったことに、私は驚いた。なんだろう、この人たちを見ていると、真面目か不真面目かの境目がわからなくなりそう。キャラが濃いっていうか。
「あたし、こういう見た目だけど、仕事はマジよりのマジでやってるんで。るりちゃむが家で生活でいるよーに、全力で行くんで、よろしく」
「は、はあ」
リハちぃさんが笑顔で手を握ってきた。
ギャルな見た目だから、てっきり爪が派手なのかと思ったけど。短く切り揃えられてた。
仕事とは真面目に向き合っているんだろうなって、思えた。
私と同い年くらいなのに、全然違う。
看護師をやってたからって、今の私は祖母のことで何の役にも立たない。介護の知識もないに等しい。
私って本当にダメだな。家族が困ってる時に、自分の祖母が大変な時に、本当に何もできないで。
オロオロして、それだけで。
「あの、祖母は本当に大丈夫でしょうか?」
「るりちゃむ、リハビリやる気ありありだから〜」
「そうねぇ、何度もお話ししてくださってるもの、祭響ダンスホールのラピスラ……」
「そうじゃなくて……っ! あ、あの、祖母は、その、体の状態がすごく悪いんじゃありませんか?」
ホトケさんとリハちぃさんが、二人で顔を見合わせていた。
「さっきの、おばあちゃんの数値、悪かったですよね」
看護師をしていたから、ちょっとだけならわかる。
酸素飽和度が低かった。肩で息をしていて、唇が青かったから。
祖母は、今まで元気に歩いていたのに。
それなのに椅子から立ち上がったら、大きくふらついて。
体だけが前へ傾いて、転びそうになってた。
実家で体操している姿を見たけど、あんなに息切れをしたりしなかった。
ベッドに戻るのもつらそうで。痩せてしまって体が小さくなっていて。
ペットボトルのキャップだって自分で外せない。
――不安が込み上げてくる。
おばあちゃんはどうなるのっていう不安が。
私には何もできないって不安が。
この先、どうしたらいいの。
「本当に、家に戻って大丈夫なんですか!? 病院で診ていてもらった方が……」
「ほのかさんは、看護師さんだったそうですものね。そうね、不安よね。るりさんは心配してくれる優しいお孫さんがいて、幸せだと思いますよぉ」
「そんなこと……っ」
思わず感情が込み上げてきて、涙が溢れてしまった。
人前で、本当に何やってるんだろう、私。
ホトケさんがしんどいよねぇと、優しく声をかけてくれ、さらに涙が溢れてしまった。
***
恥ずかしいところを見せてしまった。
相談室の椅子に座って、鼻を啜っていると、ホトケさんが落ち着いたかしらと声をかけてくる。
「……はい」
「これあったかいお茶、私の奢りだし。ちょっと飲んでみ」
リハちぃさんが、ペットボトルのお茶を差し出す。ありがたく受け取って一口飲むと、ほうっと息が出た。
「ほのかさんは、この前の退院前カンファレンスには出ていなかったものねぇ。お母様からはあまりお話聞けてないのでしょう?」
「はい。母は、私に祖母の介護を頼まないから、気にしなくていいとか、大丈夫だからとしか」
「そう、それは少し心配になっちゃいますよねぇ。普段離れて暮らしているとね、突然弱ったように見えたりするものだから」
ホトケさんは頷きながら、言葉を続けた。
「るりさんの状態をお話しするとね、骨折とともに廃用症候群というものを併発していたんですよ」
「廃用症候群……。あの、寝たきりの人がかかるっていう」
「ご高齢の方ならね、割とあることなのよね。体が痛かったり動かしづらかったりして、活動量が減る。そうすることで、食欲が減る。楽しみが減る。何もしたくないから、ぼんやりと横になっている。そうしているうちに、どんどんと筋力が減るから、さらに体が動かなくなるっていう、負のループですねぇ」
デイサービスなんて通いたくないと豪語して、家で過ごしていたそうだ。
少し前まで、公民館の体操教室とか、お友達と買い物とか。それから旅行にも行っていたけれど。
「今年の冬は寒かったでしょう。あれでねぇ、お家に閉じこもるようになって、そこからね」
「転んだ時は、久しぶりに出かけよーって気になったっしょ。超いい感じだけど、足がもつれたって。あと、脱水になってたみたいだし」
「脱水!? 冬なのに?」
「冬だからなんよー。マジ意味わかんねーよね」
「冬だとね、トイレに行きたくないって理由で、お茶とか水とか、飲み物飲まなくなるんですよぉ。だからねぇ、そういうこともあるわけです」
ホトケさんがやたらと詳しかった。そういうことまで知ってるんだと驚いていると、ホトケさんが口元に手を押さえていやねぇと言った。
「ほほほ、これでも訪問看護の看護師を務めてましたからね。ご自宅で暮らされるご高齢の方については、詳しい方ですよぉ」
訪問看護は未知の領域すぎて、私は何も言えなくなった。
確か病棟とは全然違うって聞いたことがあるけど。
ホトケさんは新人だっていうけれど、頼りになる人なのかもしれない。
「ケアマネの資格を持っている人はですね、誰しも歴史ありなんですよぉ。だからね、新人って聞いてびっくりしても、安心して頼ってくださいね」
先輩に聞きますからと、ホトケさんは胸を張って言った。
最後の最後でちょっと頼りないんだけれど。
「それにね、ほのかさんが看護師さんだからってのもあるんでしょうね。基本的に看護師さんは、安全重視ですから」
「安全重視?」
「医療的な観点から見ることが多いんですよぉ。病院は二十四時間、医療行為のできる方が常にいる。安心感が違いますからねぇ」
何かあったときにすぐに医療処置ができる。それは、私にだってわかる。すごく心強いことだ。
「でもね、るりさんは、今現在。医療的な処置は全く必要ないんですよぉ。だからこそ、自宅に帰れるんです」
そうはいっても、あんな状態で帰されても心配しかない。
ホトケさんは訪問看護をやってたっていうし、看護師さんに来てもらえないか聞いてみた。
「ほほほ、絶対にダメってことは言えませんけど。それを指示するのは私じゃなくて、主治医の先生ですからねぇ。なんの必要があって看護師が行くのか、そこが定かじゃないと無理ですねぇ」
「るりちゃむの場合、リハビリはうちに通うし。他に病気あるわけじゃないと、結構むずいっしょ」
このあたりのことは、退院前カンファレンスで話し合ったそうだ。
正直、退院前カンファレンスって参加したことがないので知らないのだ。私が働いていた病棟は、カンファに参加するのは師長もしくは主任って決まっていて、ヒラの看護師は情報をまとめるだけ。
私は情報まとめるの下手くそで、長い上に何言いたいのかわからないって、何度も怒られたけど。
「るりさんはね、歩けるけど誰かが見守りしたり、歩行器が必要な状態ではある。けれどご自宅は、それが置けるスペースがないでしょう? そうなると杖を使うようにって、理学療法士の方からご提案いただくことがあります」
「そうそう、るりちゃむ。せめて外へ行く時は杖使ってほしんだけどぉ」
「でもるりさんをお話をすると、杖を使うことも嫌がっていらっしゃる。きっとね、ご本人のプライドがあるんでしょう。そうなると私たちは、杖を使えと強要はできない。じゃあ何ができるかっていうと、生活環境を整えてあげるですよぉ。福祉用具をとりあえずおいて、使ってもらうんです。いらないって返されることもありますけどね」
「あるとマジ便利だから、そのまま借りる人もマジ多いし。高齢者あるあるだし」
だから玄関の上り口の高さを見てたのかと、思い当たった。
それならどうして外玄関を見なかったのだろうと不思議に思うと、外は嫌がられたからとホトケさんが言った。
「内玄関は良くても、外は人から見られるから嫌だって方は多いんですよぉ。ただね、外出が減ってるから、置きたくないから置かなくていっかって思いまして。ふふふ、出かけたくなったら考えます。まずは、ご自宅へ帰って、デイケアへ週一回通うのが目標です」
「そう、それ。超遠い場所にも一歩目が必要ってやつ。うちのデイケアでるりちゃむの意識、まじ高くしてやんし」
「あれ、おばあちゃんてリハビリに通うんじゃ?」
ホトケさんとリハちぃさんがにやっと笑った気がした。
「リハビリだし。るりちゃむが通うの、薮総合医療病院通所リハビリテーションっしょ」
「つまり、デイケア(通所リハビリテーション)。ほほほ、デイサービス(通所介護)ではないですから、嘘は言ってませんよぉ」
ホトケさん、仏のような顔をして、実はすごい人なのかな。