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私と58歳の新人さん

実家の母から言われた日。

時間通りに行こうとしたら、娘のみゆ(2歳)が出発直前でぐずり始めて手がつけられない状態になった。辛抱強く語りかけても「やだあああああ」と叫ぶだけ。

玄関で顔を真っ赤にして泣きじゃくり、転げ回る我が子。

どうして出かける時、こうなるんだろ。

みゆが泣いていると、みゆの姉のゆま(5歳)もつられて泣き出した。

こうなるともう、どうにもならない。

私が約束の時間になっても来ないから、義母が心配して電話を掛けてきた。

電話口からも十分過ぎるほど聞こえたらしい、娘たちの泣き声に色々と察したらしい。

義母はそっちに行くからと言って電話を切り、わずか20分ほどで駆けつけてくれた。

その間私は、二人の子供が嫌だと泣いて話すのを、ひたすらにうんうん聴き続けるだけだった。

役立たずここに極まりかも。

「これ、ゆまちゃんとみゆちゃん来るから、買っておいたの持ってきたわ! 二人とも、おばあちゃんと一緒にケーキ食べない?」

「けーきたべゆぅ」

ケーキという言葉に、二人は泣き止んで、義母の持つ箱に視線が釘付けになった。

「あ、お義母さん、甘いものは……」

「いいから、いいから。さあ今のうちに行ってらっしゃい!」

そうじゃない。

甘いものの食べ過ぎは体に良くないから、ケーキはお誕生日だけと決めているのに。

もしかして私が預けている時、勝手に食べさせてたのと疑問が浮かぶ。けれども今はそれよりも、実家に行くしかない。背中を押されるがまま、お願いしますと頭を下げて家を出た。




***




義母の家に行くまでに、娘たちがぐずる可能性も考えて、早めに時間を設定していた。

けれども泣き喚きなどで、結局のところ母が指定した時間を大幅に遅刻してしまった。

実家の玄関を開けると、両親の靴とは違う、見知らぬ靴が綺麗に並べておいてあった。きっとケアマネさんのだろう。

ちなみに家事育児に追われて、ケアマネさんについて何にも調べられなかった。

「お母さん、遅れてごめん。上がるよ」

実家だけど声をかけてから。母からの返事はなかった。

玄関を上がってすぐの、応接間的に使われている座敷の襖を開けると、母が声を上げて笑っている姿があった。

奥には、優しげな笑みを浮かべた中年の女性が座っていた。多分、母と同年代くらいかな。

私を見て、ぺこりと頭を下げてくる。

「どうもこんにちは、私はおばあさまの担当のケアマネになります、穂門けいこと申します。よろしくお願いします」

見た目と違わぬ、穏やかな口調で挨拶をしてくれた。私は慌てて遅れたことを謝罪すると、にこにことした笑顔で、いいんですよ気にしないでくださいと言われた。

「小さいお子さんがいるとね、やっぱり時間通りに動けるもんじゃありませんからねぇ」

「でもね、ホトケさん。この子、要領悪くってねぇ。昔から遅刻が多いんですよ。だから今日もね、ちょっと早めの時間を教えておいたんです。そしたらホトケさんが来た直後だからね、まあまあ良しとするしかありません」

母は私の行動を見抜いていたらしい。理由はともあれ遅刻したのは確かなので、反論の余地はない。

でもそれよりも。

「ホトケさん?」

「ああ、私の苗字と名前の一部を切り取ってホトケって呼ぶ方が多いんですよ。ほら、私の眉間にちょうど大きな黒子があるでしょう。トレードマークってやつですね。一度会ったら忘れられない顔なんですよぉ」

ホトケという名前に違わぬ、仏顔。なんだかご利益がありそう。それでいいのだろうか、ホトケさん。

「まあそれじゃ、お孫様のほのかさんも来られたようだし、お話しさせていただいてもよろしいかしら」

「お願いします」

「それじゃまずは、介護保険の仕組みをね。……って言っても、難しくて私も理解するのに、ものすごく時間がかかったのでね。実はまだ自分でもわかってないっていうか、ざっくりといきます」

ざっくりといっていいのかしら。というか、わかってないってどういうことだろう。

私の疑問に答えることもなく、ホトケさんは介護保険と書かれたパンフレットを広げた。

「介護保険っていうのは、市町村が主体の保険ってことね。介護が必要な方に、自分らしく自立して生活して頂くための保険って思っていただければ」

自分らしくってどういうことだろう。私も母も首を傾げるばかり。

詳しくは市が配ってるパンフレットを読んでくださいと、差し出してくる。説明これで終わりなのと思ってホトケさんを見る。

「まあもっと簡単に言いますとね、ご本人、今回の場合はお祖母様のるりさんがご自宅で暮らしていくのを、お手伝いする保険ってことです」

「……はあ」

まだちょっとわからない。ケアマネさんて、車椅子借りたり、デイサービスへ通うときの手続きをしてくれるだけじゃないのか。

「具体的に言いますと、そうねぇ。デイサービスへ通うことを提案して紹介したり、自宅へヘルパーや看護師、リハビリの方にきてもらうように手配したり、それから手すりとかね、ベッドとか、車椅子とか。福祉用具って呼ばれるものをレンタルする手配をします」

なんか色々と手配してくれるけど、やっぱり直接的に何かしてくれる人ではないんだ、ケアマネさん。

「というわけでね、まずるりさんのご希望から言いますと、デイサービスの利用はないです」

「なんで!?」

「ちょっと、ほのか」

思わず声を上げて聞いてしまった私に、母が慌てて嗜めた。けれどもホトケさんは、うんうんと笑顔で頷いて、わかりますよと言った。

「まあ誰もが一番最初に想像するのが、デイサービスですからねぇ。ただね、るりさんなんだけど、デイサービスは死んでも行かないっておっしゃってて……」

「はあ」

祖母の性格を考えると、確かに無理そう。折り紙やったりみんなで歌をうたったりなんて、幼稚な真似できるかいって怒り出しそうだと思った。

「私はデイサービスに行ってほしいんだけどねぇ。おばあちゃん、骨折は治ったけどお風呂が心配で」

「骨折、治ったんだ」

確か腰の骨を折った大怪我だったんじゃと、電話で聞いたことを思い出す。

すると母がため息を吐きながら、それがねと困ったような声で言った。

「おばあちゃん、骨だけは丈夫だから、お医者さんも驚くスピードでくっついちゃってね。元気いっぱい、ご飯も三食残さず食べて、病室前の廊下をずっと歩き回ってるものだから。早く退院してくださいって言われちゃったのよ」

祖母の性格を考えると、簡単に想像がついた。

「元気が有り余っていらっしゃるし、リハビリもできるから、デイサービスをお薦めしたのだけれども。あまり乗り気ではないようでしたからねぇ」

「祖母はデイサービスに向いてないと思うんですけど」

ああいうのは、もっとこう、認知症のすすんだ人たちが行くところじゃないかな。と、思ってたら、ホトケさんと目が合ってしまった。じっと見つめられたかと思うと、すぐにニコニコ顔に戻る。

「皆さんね、デイサービスっていうと折り紙やったり歌をうたったりって言いますけどね。今はね、色々とあるんですよ、デイサービス。フィットネスジムみたいな運動だけのところとか、アミューズメントパークって感じのものもありますし。温水プールに演奏会、料理教室もやってたり」

「えっ、でもそういうのって、お高いんでしょ?」

デイサービスに興味を惹かれた母が、お金を心配して聞いていた。確か祖母は国民年金で、もらえる金額少なかった気がする。

「なんと、今なら、介護保険適応でお風呂ご飯おやつ付き一回1000円前後!」

「えええっ!?」

母よ、ノリが良すぎないかと、ほのかは思った。

呆気にとられてると、ホトケさんはバッグからメモ帳を取り出す。けれども手元から離したり目をさらに細めたり。母が老眼ってどうしてもああなるのよと、同情的だ。

「ごめんなさいね、老眼鏡忘れちゃって……。ええと、るりさんは要介護1でしたからね、デイサービスのご利用がお薦めだけど、本人が拒否してらっしゃるから。訪問つまりお家に来てもらうリハビリはどうかしら?」

リハビリ。それなら祖母もやりそうだけど、でも。

「あんまり家に人を入れたがらないのよねぇ」

そう、それ。祖母は人が来るなら絶対に掃除をして、身綺麗にしてなくちゃ気が済まない性格だから、リハビリの人が来るなら母に掃除をしろだのお茶菓子を買ってこいだの、色々とうるさいかも。

「あらそれじゃ、看護師さんかヘルパーさんにお風呂手伝ってもらえたらと思ったけど、無理そうねぇ」

困ったわと、ホトケさんが全く困ってるようには見えない顔で言った。

今、看護師っていってたけど。看護師がお風呂に入れるの? そういうのはヘルパーさんの仕事じゃないのと次から次へと疑問が湧いてしまう。次から次へとわからないことだらけで、頭が混乱してきた。

「……とまあ、色々と話してみましたけど。私もいっぱい詰め込んできたから、わからなくなっちゃって」

ふふふと、ホトケさんが呑気な笑い声をあげた。

「はあ、なんだか色々とあるんですねぇ」

母が少し疲れたような声で言った。それには全面同意だった。するとホトケさんは、笑顔でそうなんですと頷く。

「そうそう、つまりね。何かしらサービスがあるかもしれないから、とりあえずケアマネに聞いてみてってことなんです。私もね、わからなかったら調べてくるんでね」

これも調べてきたんですよと、ホトケさんはメモを手に言った。

「先輩ケアマネさんが詳しい人でねぇ、るりさんに必要そうなサービスとか親切に教えてくれました」

それでいいのかと、ちょっとホトケさんに疑問が浮かんだ。というか、先輩ってどういうことだろ。

「あらぁ、先輩ケアマネさんはお仕事長いんですか?」

「ええ、ええ、ケアマネになって10年だそうですよ」

「ホトケさんもそれくらい?」

母の問いに、ホトケさんは笑顔でいいえと答えた。

「私はケアマネになってほんのこれだけです」

指が五本。五年て事かと思ったら。

「五ヶ月の新人ですよぉ」

「えええええっ!!??」

大声をあげた私に対し、ホトケさんはふふふと笑っている。いや笑ってる場合じゃないでしょうに。

「し、新人!?」

「そうですねぇ、58歳の新人ってことになります」

「あ、あの、別のケアマネさんにお願いできませんか?」

いくらなんでも新人なんて、祖母の今後を相談するのは不安すぎる。確かうっすらと、ケアマネは変更ができるときいた事がある。こういう時はもっと、ベテランのケアマネさんをお願いしたい。

しかし母は、隣でギョッとした表情を浮かべて私を止めた。

「ちょっと、なんてこというの!? やっと見つけたんだから、変なこと言わないでちょうだい。それに優しくて良い方じゃないの、ホトケさん。話しやすくて好きだわ」

「だって、新人って……」

「あのぅ、ケアマネの資格について説明しますとですね。基礎資格ってものが必要になってくるわけです。介護福祉士とか、看護師とかね。いっぱいあるけど、それぞれの職業で五年以上の実務経験がなきゃ、受験すら申し込めない資格なんですよぉ」

めちゃくちゃ難しい資格だというのは、知ってるけど。

それでもやっぱり、ベテランにお願いしたいって思っちゃうのはしかなたない。だって大事な祖母の今後を決めるのに、新人さんは本当にちょっと遠慮したい。

私が新人看護師だった頃も、似たようなことを言われてたのを思い出してしまった。

採血するのも嫌がられたり。モタモタしてるから、先輩から睨まれたり。

胃がキリキリしてきた。

新人ってだけで、人から色々と言われたりするのに、それを自ら言うだなんて。あの頃の病棟の先輩に言わせたら、甘えてるの一言に尽きる。新人ていうだけで全部許されると思わないでねと、何度怒られたことか。

そんな私の不安をよそに、ホトケさんはにこにこと朗らかに言った。

「私は介護福祉士として十年、看護師として八年の経験ありますかぁ。介護と看護に関しては、それなりに知識ありますので、安心してください」

あれ、私、すでに看護師のキャリアで負けている。大先輩だった。

「す、すみませんでした」

思わず恥ずかしくなって謝罪すると、ホトケさんは気にしないでくださいと鷹揚だった。

「いいんですよぉ。ケアマネなんて、何やってるかわかんないって人が多いんでね。実は私も、試験に受かって研修受けるまで、何してるかわからなかったんですよぉ、ふふふ」

「まったくもう、この子は。本当にごめんなさいね、ホトケさん」

「そういう不安は、誰だってあるものですからね。私が不安でも、私の先輩もいますから、安心してください!」

いざとなったら先輩も呼びますと、ホトケさんは堂々と言った。

自分でどうにかしようと思わないのだろうか。

「人任せだって思いました?」

「うっ」

考えを見抜いたかのようなホトケさんの言葉。

看護師の頃は、自分で考えてどうしてそうなったか根拠をとか、めちゃくちゃに言われてしまっていたから。

「ふふふ、こういうのはね、知ってる人やわかる人に聞いて相談するのがいいんです。いろんな職業の人がね、るりさんの今後の人生に関わっていくんですから。私が勝手にこうしろ、ああしろって言うのは、違うんですよぉ」

それって自分がないみたいじゃなかろうか。他人の意見に流されるというか。

「ほほほ、そうとも言いますかしら。でも舵取りはお任せください」

いまいち不安が拭えないけど、母がこれ以上余計なことは言うなと隣で睨みつけてくるので、私は口を噤むしかなかった。


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