ep3 意思疎通が難しい
中道家へと到着した。
中に入ると、龍我が先に靴を脱ぐ。
「ちょっと待ってて」
龍我は玄関を抜けた廊下の先にある洗面所へと駆けていった。
シンマオは素直に待ち、玄関の観察を始める。
広々とした白い大理石の土間。その横にあるシューズラックは戸が付いていない開放的デザインとなっていて、数多もの靴が丁寧に収納されていた。
廊下はホコリ一つ落ちておらず清潔が保たれている。右側には洋式のドア、左側は和式のふすまがそれぞれ二つずつ取り付けられるほか、二階へと続く階段も見受けられる。
見慣れた側からすれば何の変哲もない家だが、シンマオには全ての景色が真新しい。視界に入るもの全てが求知心を刺激するものであった。
じっくりと玄関から見える景色を眺めていると、龍我が濡らしたタオルを持って玄関に戻ってきた。
「はい。まずはこれで、足拭いて」
龍我はタオルをシンマオに渡した。彼女は靴を履いておらず、足裏まで汚れている。奇麗な廊下に泥を塗らないよう、足の裏汚れを玄関に落としてもらおうとしたのである。
「分かたアル」
軽快な声と共に首を縦に振る。しかしシンマオは足の裏ではなく、自らの腿のあたりをせっせと拭き始めた。
「あぁ……。違うな、拭くのは足の裏だけでいいんだ」
またも人間とアンドロイドの壁を感じた。シンマオはどうすれば足を拭けるかは分かっても、何故足を拭かなくてはいけないのかを分かっていないようであることに気付き、正確に伝授する。
「ワタシ、全部の汚れ落としたいアル。これは足の裏にだけ使える布なのカ?」
「う~んっと……。俺はな、シャワーを使って汚れを落として欲しいんだ。だから今は足の裏だけ拭いてもらって……」
龍我は諦めない。幼児に物事を教えるように、理屈から丁寧に説明しようとする。
「シャワー? シャワーというのは足の裏の汚れ、落とせないのカ?」
シンマオの常識の欠如はまたも想像を超えていた。シャワーすら分からないとなると、どこから教えればいいのか分からなくなる。龍我は少しばかり思考がストップし、口を開けたまま固まってしまった。
「待つアル。調べるアル」
龍我との対話を諦めたのか、シンマオは頭にある二つの団子のような丸い突起に指を置いた。そのポーズはとんちでも行うかのようである。
「何してるの?」
「検索中アル」
シンマオはそれ以降何も言わなかった。さらに、顔に表示していた目や口が消え、のっぺらぼうのようになってしまった。
指一つ動かず微動だにしない。この状態だと、シンマオがただのマネキンにしか見えない。龍我はじっと待ち続けた。
「分かたアル!」
一分ほど経って、顔の液晶画面に表情が浮かび上がり、再び動き始めた。
「シャワーというのは、水が出る機械のことアル。リューガ、シャワーのあるところまでワタシを連れて行くアルな?」
「そう。合ってる」
素っ気なく答える龍我。検索能力がどんなものかは分からないが、期待のできるものではない。シンマオの常識ではどんな検索エンジンを搭載しても寝耳に水の可能性が高いからだ。
「ワタシの足の裏に汚れあると、ここも汚れてしまうアル。シャワーの後、ワタシ、ここをまた歩くアル」
シンマオは廊下を指差した。一つ一つの要素は間違っておらず、後はそれらを線で結ぶだけである。
「そう!」
打って変わってテンション高く相づちを打つ。やっと理屈を理解してくれたのだと、嬉しさで体が浮く気分であった。
「だから、ワタシが歩く前、ここもシャワーで洗えばいいアル!」
「違う!」
もどかしさが込められたツッコミは、腹の底から叫ばれた。シンマオとの意思疎通には長い道のりが続くのであった。
それからも龍我は何故足の裏だけ玄関で拭くのかを根気よく教えた。苦労の末、シンマオはやっとその理屈が分かり、言う通りにしてくれた。
足裏の汚れを落とした後、龍我によって浴室前の洗面所に案内される。
「この先にシャワーがあるから……。シャワーの使い方、分かる?」
「ワタシ、調べたアル。問題ないアル」
そう言われても、どうも信用しきれない。龍我は眉間にしわを寄せて疑いの目を向けた。
「行くアル」
視線だけでシンマオが察することは無かった。問題がないから沈黙していると判断したためか、着ていたチャイナドレスのボタンを外す。元がボロボロであったため、ボタンを外すとするりと彼女の体を抜け落ち、ボディの全体像が明かされる。
四肢以外の胴体は黒くなく、むしろ反対に薄いクリーム色。遠目から見た外観はレオタードを着ているかのようであった。
「ちょおっ!?」
衣服を身に着けていないシンマオに、龍我はびっくりした。
「ハ、裸は不味いって! 良くない良くない!」
龍我は自分の眼を覆って見ないようにする。傍から見れば女性型マネキン人形と大差ないが、彼の瞳には非常に官能的な造形として映っていた。
「ワタシ、シャワー使うアル。服を脱ぐのは違うカ?」
「いや……そこはいいんだけど、俺の前では、っていうか……」
体を洗う際は裸になること自体は間違っていない。そのため、説明がより難しかった。
「検索するアル」
再び頭に手を当て、硬直。この状態になると本当に一寸も動くことが無く、視覚も聴覚も途絶える。完全に自分の世界に入っているといえる。
「……分かたアル」
じっとすること約三十秒。前回より早く答えを導けた。
「人間、子供残すのに必要な場所、隠すアル!」
シンマオは自らのボディの至る所を触りはじめた。最初は胸部に手を添え、そこから徐々に下半身に向けて手を動かした。その様子は妙に艶めかしい。
「だが、ワタシは持ってないアル。問題ないアルな!」
シンマオはかなり嬉しそうな様子で両手を腰に当て、笑顔で問題がないと宣言した。しかし、肝心の話し相手が目の前から消えていた。辺りを見回すものの、龍我の姿は見当たらない。
「リューガ、どこ行ったアルか?」
「聞いてる」
声が聞こえたのは廊下と繋がる扉の奥、龍我は検索中に洗面所を出ていたのである。
「とにかく……俺の前で裸はやめてくれ!」
理屈で納得させることを諦め、ストレートに頼むことにした。