ep2 感情はあるけれど
「はじめましてアル。ワタシの名前、シンマオというアル」
アンドロイドは、急にカタコト気味の日本語になってしまった。その話し方はまさにステレオタイプの中国人キャラである。
所作自体は滑らかで、中に人が入っているかと疑いたくなるほどだ。そんな女性型のアンドロイド〈シンマオ〉に、龍我はきょとんとしてしまった。
「そう……シンマオっていうの」
「キミの名前、なんというカ?」
シンマオは首を右に傾げて尋ねた。
「ああ、俺の名前は龍我、中道龍我だ」
親指を自分の顔に向け、龍我はやたらと自信ありげに名乗った。
「リューガというのカ。覚えたアル」
顔に映し出されているシンマオの表情は、ニッコリとしたものへと変わった。目は上に盛り上がったかのように曲線を描き、口は赤い半円型に開かれる。
顔文字のような笑顔に、龍我はクスリと笑ってしまった。
「リューガ、頼み事していいカ?」
再び真顔に戻るシンマオ。
「おう、何でも言ってくれ」
「ワタシの体、汚れているアル。汚れ落とせる所、ないカ?」
アンドロイドも体の汚れというものを気にするらしい。ここまで認識できることに感服し、かなり高度な思考回路を持っていそうだと思った。
体を洗える場所。水浴びだけであれば裏山に流れる川でも良いが、汚れを落とせるとは言い難く、水浴び後に体を拭くこともできない。銭湯などの施設にアンドロイドを突然連れて行くわけにもいかない。
そんなことを考えた末、自宅の浴室を貸すことにした。龍我が山道を下り、シンマオがその後を付いていく。
「リューガ、いい人で助かたアル」
感謝の言葉を貰い、龍我は嬉しさを嚙みしめるように口角を上げる。口を抑えて喜びが鎮まるのを待った後、体の向きを変えて後ろ歩きで下り始めた。
「ま、俺より親切な奴は滅多にお目にかかれないだろうからな。シンマオ、君はかなり運がいいと思うぜ」
シンマオの方を見ながら、彼女にドヤ顔で指を差す。本人は格好が付いていると思っている。
「ワタシ、運がいいのカ。運、いいアルか!」
シンマオは〈運がいい〉という部分に強く反応した。表情が笑顔になり、両手を上げて喜んだ。
「でさ、俺的には君のことも知りたいんだが」
現在、アンドロイドについて分かっているのは名前のみ。龍我はシンマオの素性をもっと知りたくて仕方無かった。
「何を答えればいいカ? 知っていれば答えるアルよ」
「全部といえば全部……。じゃあ手始めに、君は何者なんだ? どこから来たの?」
質問したいことが腐るほどある中、一番聞きたいところを選んだ。アンドロイドと言っても、それだけでは情報が少なすぎる。現代科学を明らかに超えた存在が、一体どこから作られたのか、興味は失せない。
「場所は分からないアルな」
あっさりとした回答が返ってきた。
「じゃあ、どうして来たかは?」
分からないと言われても、めげることなく別の質問をぶつける。
「どうしてかは分かるアル。デキソコナイ、言われたからアル」
またもあっさりと回答するシンマオ。しかし今回の内容は全くの別物、龍我の顔を曇らせる。
「ワタシ、大砲に詰められたアル。大砲、ドカン! と言ったアル。ワタシ、飛ばされたアル」
自らが見聞きした記憶をもとに、裏山に到着するまでの経緯を話す。表情は基本形と思われる真顔のまま。拙い日本語ではあるが、端的に話される事実だけでその情景が伝わってくる。
オブラートに包まず言えば捨てられたわけだが、シンマオは苦しそうにしたり、悲しそうにしたりすることは一切無く、淡々と話し続けた。
「こ、これ以上は話さなくていいや……」
精神的ダメージが累積したのは龍我のほうである。心苦しい話に、聞いているだけで心労が溜まっていった。
龍我の自宅は閑静な住宅街に所在していて、裏山から十五分ほど歩くと到着する。
裏山から降りると、細い通りが果てしなく続く道へと出た。
「この辺、見通し悪いからさ、交差点には気を付けてな」
道路を指差す龍我。この辺りの交通量は多くないが、気の緩んでいるドライバーが事故を発生させることがあるため、注意を払うよう呼び掛けた。
「コウサテン、とは何アルか?」
しかし、シンマオにとってはそれ以前の部分に壁があった。
「あ、知らない?」
「知らないアル」
シンマオが真顔で答える。冗談を言っている気配はない。本当に彼女の辞書に〈交差点〉の言葉がなさそうだった。
「そっか……道は分かるか?」
龍我は一瞬驚いたが、諦めることなく交差点の説明をしようとした。
「分かるアル」
「その道と、道が、こう……重なってる場所、が交差点なんだ」
交差点を言葉だけで説明するとなると中々難しい。光線を放つかのように腕と腕をクロスさせ、視覚的に理解してもらおうとした。けれど、シンマオは真顔で聞き続けるだけで、特に反応がない。
「交差点に着いたらもう一回教えるよ」
伝わっている感触が全く無かったため、直接見て知ってもらうことにした。百聞は一見に如かずということわざを、こうも実感する日はない。
「教えられたら、聞くアル。リューガ、いい人アル」
シンマオは話こそ理解できなかったが、龍我の努力は感じ取ったようだ。
「そそ、俺いい人なんだ」
精一杯自身を繕う龍我。内心では、上手く説明できなかったことの無念さで打ちひしがれていた。
同時に、シンマオの会話能力にも興味が湧いてくる。喋り方だけでなく、単語そのものまで知らないことを目の当たりにし、どの程度までなら話が通じるのかを測りたい気持ちが発生していた。
「日本語……いや、話すことって、難しい?」
まずは単刀直入に質問。シンマオが理解できるよう、できる限り易しい日本語を選んで尋ねた。
「ワタシ、難しいが分からないアル」
またもや、シンマオは龍我の想像を超えてきた。
「そこから?」
「難しいの意味は分かるアル。だが、何が難しいものなのか、分からないアル。ワタシ、難しいと感じることができないアル……」
全身の仕草や声色の使い分けは、感情のない存在では不可能なほど繊細である。それにも関わらず、〈難しい〉という概念を持ち合わせていないというのだから、奇妙奇天烈極まりない。
「要は感覚が掴めない……ってこと?」
そんなシンマオを龍我は理解しようと寄り添った。
「そうアル。人間の感覚、掴めないアル」
うつむきながら言うシンマオ。心なしか、声が少し低くなったように聞こえる。本人も気にしているところがあるようだ。
「なるほどな……。でも、俺がいい人ってのは分かったんだろ?」
「良い悪いは分かるアル。だが、それ以外が分からないアル」
要するに、自分の感じたことを正負でしか区別できないのである。〈難しい〉は負に寄っているものであるが、他の負に該当する形容詞との違いが分からないのだ。
「それだけ分かれいいと思うぜ。後はいずれ分かるようになるさ。だから……えーっと、感覚を掴めないままでもいいってことだ!」
これまでのやり取りで、シンマオに感情が存在することは目に見えている。龍我は彼女を暗い気持ちにさせたくない一心で、励ましの言葉をかけた。
「そうカ。ワタシ、感覚掴めなくていいのカ。良かたアル」
シンマオはすんなりと納得した。素直に聞き入れられるあたり、やはり人間とは心の在り方が違うらしい。