ep17 苦悩は続く
結構な量があったものの、雀女はラーメンを残すことなく、汁まで飲み干した。食後は、満足げに自らの腹を擦っていた。
食べ終えたのを確認したシンマオは、間髪入れず器を下げた。
「下げるアル」
ぶっきらぼうに下げる様子は、早く帰ってくれと言っているようである。シンマオにその気がないのは分かっているのだが、それでも間の悪さからそう感じさせてしまいそうであった。
「えっ……あぁ……」
雀女も思わず素の反応が出てしまった。ガラの悪い客という設定はすっかり忘れている。
悪い予感を察知し、今度は水を飲み干した。
「水アル」
飲み干されたコップに反応し、シンマオはコップを席に置く前に水を注いだ。
「……早すぎるわ」
呆れた顔になり、雀女はそれ以上言葉も出なかった。
「…………」
「…………」
雀女が固まると、シミュレーションは停滞してしまう。シンマオは沈黙を維持していて、他の人たちもどうフォローしていいかが分からなかった。
「ありゃりゃ……ストップ。もうやめだ! シンマオ、もう喋っていいぜ」
これ以上続けるのを不可能と判断し、龍我が両手を上げて練習の終了を求めた。
「分かたアル」
「う~む……」
達也の唸る声からは、深刻そうな感情が汲み取れる。
「ど、どうですか……やっぱり……」
龍我に手ごたえは全くなかった。少しだけ上向きになったのはシンマオが笑顔になった時ぐらいで、後はぎこちなさが目立ち、上手く接客対応が出来ているとは言えない。
「シンマオちゃん……水の出すタイミングとか、器下げるタイミングとか、もうちょっとゆっくりできないかな?」
だが、結未は諦めていなかった。あくまで今回は練習、この反省を活かせばちゃんと雇えるという希望を持っていた。
「ワタシ、ちょっとが分からないアル」
しかし、シンマオに曖昧な概念を理解できる力はなかった。
「ちょっとはちょっと……」
結未からすれば〈ちょっと〉が分からないという言葉の意味のほうが分からないだろう。
「具体的な数字が欲しいんだ。何分とか。難しいですよね……?」
龍我は険しい表情で説明をした。手ごたえがなかった影響で、声に覇気が乗せられない。
「うん、難しいなぁ。込み具合とかで臨機応変に対応しなきゃいけないし」
「そっか……」
再びため息をつく結未。しょんぼりとしてイスに座り、体を丸める。その姿は、もの悲しさがあふれ出ていた。作戦の第一段階で躓いてしまい、完全に計画倒れである。
「ワタシ、悪いことしてしまたアルか?」
落ち込んでいる結未に声をかけるシンマオ。
「ううん……」
「ワタシ、言われたことできなかたアルか?」
「ううん……それも違う。言われたことはできてたよ」
シンマオの問いに対し、首を横に振り続ける結未。そんな彼女に優しく寄り添ったのは父の達也である。
「結未、気持ちは嬉しかったよ。でもウチにはこの子を教育してまで雇う余裕はないんだ。ごめんよ」
その言葉には最大限の優しさが込められていた。しかし、仏衣家がシンマオの引き取り手になりえないことが明言され、龍我は胸の奥がキュッと引き締められていた。
用が済んだシンマオたちは、中道家へ帰ることとなった。
この時期の日照時間は長く、夕方ではあるものの空は青々としていた。清々しい青とは対照的に、龍我たちの周りは鬱屈とした青い空気であった。
右に龍我、中央にシンマオ、左に雀女。横幅をふんだんに使い、お互い距離を取りながら歩いていく。
「ワタシ、悪いことしてないアル。だが、引き取ってもらえなかたアル……」
シンマオがぼそりと言った。大きな声ではなかったが、閑静な住宅地ではしっかりと横にいる二人の耳に届いた。
「そ、そうだな……まぁそういうことも……」
できるだけオブラートに包もうとするも、上手く言葉にできず、龍我はしどろもどろする。
「噓付いたのよ、結未ちんが。あなたはいい仕事ができなかったの」
対して雀女は鋭く事実を突きつける。シンマオに遠慮など不要ということだろうか。手厳しい妹に、龍我は困惑した。
「ちょっ、雀女……!」
「どうして嘘を付いたアルか?」
シンマオは道路の左側に寄っていった。彼女にとって嘘というのはマイナスの行為。結未がなぜそんなことをしたのか、理解ができずに質問した。
「あなたを嫌な気持ちにさせたくなかったんでしょうね」
「そうカ。だがワタシ、噓付かれたのに嫌な気持ちになってしまたアル……。ワタシ、悪いアンドロイドあるナ……」
今度は傷ついたように雀女から顔を背ける素振りをみせる。自分の中にある感情の整理が上手く付けられていないのであろう。
「……嫌な気持ちになることは、悪いことじゃないぜ」
右端にいた龍我が、いつの間にかシンマオの傍まで移動していた。道路の左側に三列に歩いていても、人気がないために誰も文句は言わない。
「相手の思い通りになればいい奴ってわけじゃないからな。逆に相手の気持ちに応えられないからといって悪い奴になるわけでもない」
「そうカ。ワタシ、悪いアンドロイドではないアルか」
シンマオは龍我のほうを向く。顔は真顔のままであったが、落ちていた肩がやや上昇し、少し嬉しそうである。
「ああ! 引き取り手だってまた探せばいいだけだしな!」
さらに念を押す龍我。励ましのスイッチが完全に入り、熱い鼓舞を行った。
「ワタシ、悪いアンドロイドじゃないアル! 良かたアル!」
するとシンマオは表情を笑顔に変え、左腕を勢いよく上げた。それは、心の底から気にすることをやめた者の仕草であった。これまで悩んでいたことはすっかりと消え去り、スキップをはじめた。
「立ち直り早っ……!」
切り替えの早さを鼻で笑った雀女も、少し嬉しそうにシンマオを見つめた。