ep13 シンマオ、プールに襲来
更衣室にシンマオがいることなど知る由もなく、雀女は水泳の授業を楽しんでいた。
この学園では熱中症対策として、プールが室内に設けられている。水温の調整もしやすく、雨天決行であるため教師からも生徒からも、そして親からもこの施設は高評価を受けていた。
授業内では、泳ぎの上手さによってクラス分けが行われ、雀女は泳ぎが得意なグループに振り分けられていた。真面目そうな雰囲気には反し、彼女は勉強より運動が得意なタイプであった。
泳ぎの得意なグループでは、クロールで25メートル泳ぎ切る時間を毎度の授業で測定している。
そして今、雀女がタイムの測定の真っ最中であった。
「わぁー! 雀女ちゃん速~い!」
クラスメイトである仏衣結未は、人魚のように優雅かつ素早く泳ぐ雀女に歓声を挙げる。
「へへへ……まぁね」
泳ぎ切った雀女は、プールサイドに手を付けたまま水底を蹴り上げ、プールから上がった。自分でもかなり満足できた泳ぎであり、プールサイドを渡りながら鼻歌を自然と歌っていた。
その時、プール室に何者かが侵入してくる。
「ワタシ、泳ぎたいアル」
正体は言うまでもない。
しかし、格好については言及する必要があった。
朝に着ていた白いチャイナドレスではなく、代わりに上下黒のランジェリー。しかも布面積が少ない上にシースルーという、非常に扇情的な下着であった。上履きを履いたままであったが、足より上の部分が衝撃的すぎて、誰もそこに目は向けなかった。
シンマオ自体の特異性も合わさり、その場にいる全員の視線が一ヵ所に集まった。
「ちょおっ!? それ、私のじゃない!!」
雀女はその下着に見覚えがあり、思わず叫んでしまった。その叫びは公衆の面前で自らの下着を晒したことと同義であった。
「あ、あれが……中道の……」
「すっごい派手だなぁ……」
特に男子生徒の反応が妙に生々しい。同級生の下着を見る機会など早々ないので、邪な妄想が捗るのも無理はない。
失言に気付いた雀女は顔を赤らめ、上々だった気分が急降下する。
その憤りをぶつけるため、シンマオのほうへと向かっていった。
「何で着てるのよ!」
「ワタシ、水着持ってないアル。スズメ、自分のものをワタシが使っていいと言ったアル。ワタシのものと言ったアル。だから、スズメの服を借りたアル」
常識の欠如しているシンマオではあるが、勝手に人のものを使ってはいけないという知識は保有していた。
それにも関わらず、雀女の下着を身に着けた理由は「私のものは、自分のものだと思って使ってね」という朝の発言が、トリガーとなったためである。
「言ったけどぉ……何でも貸すって意味じゃないし」
もちろん、貸した靴は自分のもののように使っていい、というニュアンスで雀女は言った。人間の感覚であればそれ以外の解釈は考えられないであろう。またも起きた言葉のズレに、無性に苛立ってしまう。
「何より! これは水着じゃなくて下着!」
「シタギ? 水着ではないアルか?」
「そう、下着なの! こんなこと言わせないでよ!」
またも感情に任せて自分の下着であることを大声で叫んでしまう。雀女はさらに顔を真っ赤にさせて、プルプルと肩を震わせていた。
「シタギとは、言ってはいけない言葉なのか? 調べるアル」
シンマオが頭に手を当て、検索する。
「そんなことしなくていいのに! もう!」
早くこの場を去って欲しい、と雀女は思っていた。強引に動かそうと押すが、びくともしない。
「中道さん、こ、この子知ってるの?」
これまで尋ねる隙のなかった体育教師、水原先生は、シンマオが硬直したことによりやっと、話しかけるタイミングを掴むことができた。
「話すと長くなるので……」
だが、雀女は何も答えなかった。シンマオをこの場から移動させる方法を考えていて、他のことをする余裕が頭になかったためである。
四十秒ほどでシンマオは再び動き出した。同時に、表情が驚いているように変わった。
口は縦長の円形、瞳は黒い外周の中に青い点がポツリと打たれていて、ギャグチックな雰囲気の驚き方である。
「アイヤー! これは他人に見せてはいけない服だたアルか!」
シンマオは顔を両手で隠し、照れるような素振りを見せた。
「そう言われると余計恥ずかしいでしょうが!」
水着と下着の違い、そんなことは周知の事実である。だが、見せてはいけないものと明言されると、自分が下着を晒したという事実が露骨になり、羞恥の感情が湧き上がってくる。
一度は落ち着いた周囲のざわつきも、再び活性化していった。
「ワタシ、悪いことしてしまたアル……。どうすればいいアルか……」
真顔になるシンマオ。顔をうつむかせ、反省の色が見える。
「とにかくここから出てって……」
「分かたアル……」
悪いことをした自覚があるせいか、シンマオは暗いままであった。言われた通り、プール室から出ようと立ち上がった。
その時である。シンマオが足を滑らせてしまった。底がつぶれてツルツルになった上履き、水に塗れたプールサイド、両者の合わせ技がこの悲劇を生んでしまった。
「アイヤッ!?」
シンマオはプールに落ちてしまった。
「あ、あぁ……」
当然、雀女の下着も水の中。彼女は着られる下着を目の前で失ってしまった。