中 帰り待つことは楽ではない
異世界で専業主夫をする僕の朝は早い。
日の出とほぼ同じ時間に起き、ソフィアを起こさないようそっとベッドを出る。
簡単に身支度をすると、まずはソフィアの朝ごはんとお弁当の準備。朝はパンとサラダとヨーグルト、それからソフィアの好きなフルーツ、だいたいはリンゴかキウイ、お弁当はサンドイッチとチーズが定番だ。
それからソフィアのローブとブーツの手入れ。毎日は大変だけど、危険な冒険者という仕事においてソフィアの体を守ってくれる大切な道具だから手は抜けない。
「今日もソフィアを護ってよ。」
そう念じながら汚れを取り、ブラシをかけ、ほつれや破れを修繕する。
このあたりでソフィアを起こす。ソフィアが起きてからは出かけるまであっという間だ。
「じゃあ行ってくるわね。お願いしておいたこと、よろしくね。」
「わかったよ、ソフィア。今日も頑張ってね!」
ソフィアを送り出すと、家の掃除、洗濯、買い物、役所の手続、それからソフィアから頼まれた用事を済ませる。最近は慣れてきたので合間に休憩もとれるようになった。
ソフィアが泊まりの仕事の時以外は、夕飯の準備をしてソフィアを待つ。
ソフィアは基本は肉が好きだが、モンスターを丸焼きにした日は肉を食べる気がしないらしいので肉と魚のおかずを両方を用意して選んでもらうことにしている(そして余った方を僕が食べる)。
これが毎日続くため、トータルの労働量を考えると、転生前よりも、冒険者パーティの頃よりも、もしかしたら忙しいかもしれない。
しかし、あの頃のような、吐き気を覚えるような圧迫感はない。それだけでも間違いなく僕は幸せなのだろう。
この日も肉と魚の夕飯を準備し、ソフィアの帰りを待っていたがなかなか帰って来ない。
「お腹空いたな〜。」
ソフィアに肉か魚か選んでもらう必要があるので、僕が先に食べるわけにはいかない。
僕は待つしかなかった。
それにしても遅い・・・。
もしかして強いモンスターに出くわして全滅したとか・・・!?
家事をしている時は感じないが、待っている時は不安を感じてしまう。もう戻ってこないかも・・・。
そんな不安と戦いながらも帰りを待っていると、日付が変わる頃にソフィアが帰ってきた。相当に酔っ払って。
「いや〜、別パーティと共闘したら、その後一緒に飲むことになってさ〜。」
「あ〜、そうだったんですね。心配しましたよ。晩ご飯どうします?」
「飲んできたって言ったでしょ?あんたわたしを肥えさせる気?肥えた魔導士?肥えた魔道士なんて面白いじゃない!キャハハッ!」
何が面白いかわからないが、とりあえずローブを脱がせてハンガーにかけて、着替えさせてベッドに連れて行った。
ソフィアをベッドに寝かせると、そのままベッドに引き込まれた。
「まだ片付けが・・・。」
「いいじゃないか、あとで。」
「フワッ、いやそんな乱暴に・・・。」
「なんだ〜。君の腰回りだいぶプニプニだな〜。食っちゃ寝のダラダラ生活でだいぶたるんでるんじゃないの〜!?」
その後もソフィアはベッドの中でしつこく僕の脇腹の肉をつまんできた。
翌朝、朝ご飯に昨日の夕飯に作った肉料理を出したら、「朝からそんなに食べれないよ。君がお昼に食べてよ。」と言われたので、奥に下げて替わりにいつものパンとヨーグルトとフルーツを出した。昨日しつこくつかまれた脇腹が痛い・・・。
ビュッ、ビュッ!
ソフィアに体の緩みを指摘された僕は、空いた時間に空き地で木刀の素振りをすることにした。
「わ〜!すご〜い!」
「お兄さん、剣士さん?」
鋭い振り音に惹きつけられたのか、子どもたちが集まってきた。まだまだ剣士としての腕も鈍ってないな。
「ねえねえ!剣士さんなの?僕も剣士になりたいんだ!」
8歳くらいの男の子がキラキラした目で見上げてきた。
「ああ。前は冒険者をしてたんだよ。ソフィアのパーティで盾役と剣士をしてたんだ。」
「すご〜い!じゃあ今は?」
その子はまだキラキラした目で僕を見上げている。
「今は・・・、ちょっと休んでる・・・。」
僕が目をそらして言葉を濁すと、その子は「ふ〜ん」と言いながら走って行ってしまった。
なんで、あの子に、今はあの大魔導士ソフィアを支える主夫をしてるって正直に言えなかったんだろう・・・。
「おや、いつものお兄さんじゃないの?どうしたの?こんなとこで棒を振り回して?職場復帰するの?」
通りかかったコマリさんが声をかけてきた。コマリさんは市場などで会えばよく話す顔見知りだ。主婦歴20年以上で、よく手抜きに見えない省力家事のコツなどの役立つ知識を教えてくれる。
ちなみにこの世界の庶民には結婚制度はなく、したがって面倒な離婚制度もない。気に入らないことがあれば一方的にすぐ別れることができるため、子どももいないのに、20年以上も専業夫婦を続けているコマリさんは相当なレアケースである。
「ああ、コマリさん、実は・・・。」
僕はコマリさんに昨夜からモヤモヤしてることを話した。帰りが遅い時に感じた不安、せっかく準備した夕飯を食べてもらえなかったこと、体形の緩みをしつこくいじられたことなど・・・。
「ホホホッ、わたしもそんなことあったわね・・・。」
コマリさんは隣に座って穏やかに微笑みながら聞いてくれた。
なるほど主婦歴が長いコマリさんから見れば僕のモヤモヤなんてちっぽけなもんなんだ。
「あ〜、そうですよね。ちなみにコマリさんはどんなきっかけでダンナさんを許せたんですか?僕はまだモヤモヤしちゃって・・・。」
そう言うや否や、コマリさんはギュンッと勢いよくクビをひねって僕の方を向いた。
「何言ってるの?許せるわけないじゃない。」
コマリさん、急に真顔になった。怖い。
「あいつが何も言わないまま帰りが遅くなって、何度も何度もいらないご飯作らせて、それをわたしが食べる羽目になるから太るんでしょうが!それをいつもいつも、わたしの不注意みたいにいじってきて・・・。もういい加減、あいつのデブいじりには飽き飽きなんだよ!!」
ああ、コマリさん、なんか変なスイッチ入っちゃったみたい・・・。
「あっ、でもコマリさん、20年以上一緒に暮らしてますよね。やっぱり円満な関係のコツとかあるんですか?僕もあやかりたいな〜。」
僕は必死になって話をそらそうとした。
「それはね、いつでも相手を捨てられるように準備しておくことだよ。」
急にコマリさんが魔女みたいな悪い顔をしてささやいてきた。どうやら別のスイッチを入れてしまったようだ。
「わたしは実は魔導士の資格を持っててね。まあ今は薬を調合するとかの小遣い稼ぎしかしてないけど、その気になればあいつの何倍も稼げるし、いつでも捨てられるって思えばこそ我慢できるってもんさ、ヒヒヒッ・・・。」
なるほど、本当に魔女だったか・・・。
「でも、そんなこと言って20年以上続いてるじゃないですか〜。やっぱり愛してるからですかね〜。うらやましいな〜。」
空気を変えようとおどけてみたが、魔女のコマリさんには通用しなかった。
「それはあいつが浮気だけはしなかったからさ。浮気したらその瞬間に捨ててやる。10年以上前からずっとそう決めてるけど、なかなか浮気だけはしないからね〜。まああいつが隠すのがうまいだけかもね。ヒヒヒッ。」
「そっ、そうですか・・・。」
僕は引きつった笑いをするしかなかった。
「兄ちゃんも覚えときな。いつでも捨てられるように準備して心に余裕を持つこと。それが円満に見える秘訣だってね。」
そんなコマリさんの言葉を採用する気はまったくない。そもそも僕がソフィアを捨てるなんてあり得ない話だ。
しかし、これをきっかけにあることに気づいてしまった。
逆にソフィアはどう思っているんだろう?
彼女こそ、いつでも僕を捨てられるって思ってないだろうか?
ソフィアに急に捨てられるかもしれない・・・。その時は僕はいったいどうしたら・・・。
ー2ヶ月後ー
「ソフィア、夕食の後に聞いて欲しいことがあるんですが。」
準備に1ヶ月かけ、伝えるのを1ヶ月ためらい、この日の夕食時、ようやく勇気を出せた。
「ああ、いいけど、今じゃダメなの?夕食後は新しい魔導書の研究に充てたいし、ご飯食べながらでいいでしょ。」
「ああ、はい・・・。」
僕は出鼻を挫かれたが絞り出した勇気までは挫けなかった。
「あの・・・僕は、このままでいいのかと思って、新しく始めたいことがあるんです。」
「なに?ジムにトレーニングに行きたいとか?前に比べると少しマシになったみたいだけど、まだまだ肉がダブついてるもんね。フッ。」
ソフィアは鼻で笑ってきた。
「いや、そうじゃなくて、治癒師の試験を受けたいんです。」
「治癒師?なんでまた?」
ソフィアは訝しげな視線を投げかけてくる。
「実は最初は僧侶を考えて、前にパーティにいた僧侶のサンドラに相談したんです。そしたら僧侶は修行が長くて大変だけど、治癒師なら試験に受かればなれるからやってみればって言ってくれて・・・。治癒師でも回復魔法とか解毒魔法は扱えるみたいだし。」
「へ〜。サンドラと会ってたんだ〜。仲良かったんだね〜。知らなかった〜。」
ソフィアは真顔になって抑揚なく言った。なぜか目は合わせてくれない。
「いや、サンドラと特に仲が良かったんじゃなくて、ソフィアの役に立てればと思って・・・。ほら怪我して帰ってきたとき、僕が回復魔法使えたら便利かなって。」
「ふ〜ん。」
ソフィアは真顔のままで、やはり目を合わせてくれない。
「それにソフィアが怪我とかでクエストに出れなくなった時は代わりに僕がギルドから依頼を受けて家計を支えられるかなって思いまして・・・。」
「ふ〜ん、足がすくんでギルドにすら行けなくなった君が依頼を受けて家計を支えるね〜。」
ソフィアは表情を殺したまま、天井を見ている。正直、何を考えているのかわからない。
「少しでもソフィアの役に立ちたいんです。迷惑はかけないようにしますので!!」
僕はテーブルに手をついて頭を下げた。
「まっ、やってみれば!だけど家事の手は抜かないでよね。それが条件よ!」
そう言ってソフィアは席を立ち、奥の部屋へ入って行った。
僕はその少し肩をすくめた後姿を見ながら、機嫌を損ねたかもしれないとハラハラした。