17・可愛いは世界を救い、可愛いは身を滅ぼす
「ふう……今日はこのくらいにしておきましょうか」
「は、はひ……」
馬車の中で、私とユリくんはゼェゼェ言いながら対角線上に離れて座った。
別に何もやましいことはしていない。
手を握った後に抱きついただけでユリくんはパニクりすぎて酸欠になり,今も顔が真っ赤。
そして私は、まるで追い詰められた子ウサギのようなユリくんに興奮しすぎた。
全くもって、健全な理由ですね。
ユリくんは死にそうな顔してるけども。
「……こんな私を、あなたは見苦しいと思わないか?」
涙目で問いかけてくるユリくんは、眉が下がっていて私の様子を凄く気にしているようだ。
というか、見苦しい!? 誰がそんなこと思うの!? 可愛すぎて抱き枕カバーにして毎日抱えて寝たいくらいなのに!
「全く思いません」
私がきっぱりと言いきると、ユリくんはほぅ、と安心したように息をついた。
「そう言ってもらえると、安心する」
そして、はにかみながら笑い掛けてきた。ぐ、ぐぅ~。
いやここで悶えたらダメだ、頑張れ私。ユリくんのこのとろっとした笑顔は至宝だけど、これを向けられる度に体力を消耗していたら体が持たない!
「私の方が3歳も年上なのだし、しっかりしなければと思っているのだが。……どうも、昨日からあなたには甘やかされている気がする」
キリリと表情を引き締めて「年上の威厳」的なものを出そうとしているユリくん。
あー、無理。
「可愛い……」
「可愛い?」
「あっ!」
まずい! オタクの必須スキル「心の中だけで叫ぶ」が発動失敗してしまった!
どうしよう……いや、隠し通すのは無理だから、もう開き直ってしまおう。
「ユリウス様は可愛いです。だから、つい甘やかしたくなるんです」
「ええっ!? 私が可愛い!? そ、その、可愛いという言葉は、女性に対して使うものではないか?」
出たな、一見もっともに見える「可愛い論」!
可愛いは性別も種族も国境も越える最強の概念ですよ!
「可愛いに男女は関係ありません! 昨日私に抱きしめられていたときのユリウス様の顔は、そりゃもうサイッコーに可愛かったんですから! 私はあの顔を他の誰にも見せたくない!」
「そうか、良かった! ……良かった、のかな? い、いや、婚約者とはいえ年若い令嬢に甘えるなど」
「甘えるのは嫌いですか? 私はユリウス様を甘やかすのは好きです」
「うう……あああ……」
勢いで畳み掛けたら、昨日思いっきり胸に抱きしめられたことを思い出したのか、ユリくんはまた目をグルグルさせて茹だってしまった。
……だから、そういうところが可愛いんじゃー!!
「わた、わたしは、その……」
「仕方がありません……ユリウス様が嫌なのでしたら、今後は――」
「嫌ではない! 嫌ではない……が」
少し目を伏せてしおらしくしてみせたら、ユリくんが咄嗟に本音を吐き出した。そして我に返ったみたいで、語尾がどんどん小さな声になっていく。
「…………少し、恥ずかしいと思っただけだ……」
「……かわいい。ごちそうさまでした……」
「はっ、これが『可愛い』なのか!?」
私が手を合わせて召されそうになっていたら、ユリくんはこの世の真理に辿り着いたようだった。
「私の前では……素直に甘えて良いんですよ」
「~~ッ! ………………た、たまに、なら…………」
多分今血圧が物凄く上がってそうな顔で、ユリくんはその照れ顔を見せないように窓の外に顔を向けてしまった。
かわいい。
ユリくんが外に視線を向けたのは「これ以上構われると死にます」のサインだと思ったので、私も口をつぐんで窓の外を見た。
馬車はちょうど王宮に入ったところらしい。庭園が遥かに広がっていて、揺れも少なくなった。
まっすぐに延びた道は煉瓦で舗装されているのが見える。ああ、だから規則的な揺れが、不思議と電車を思い起こさせるのね。
カタタンカタタンと小さく揺れる馬車の中、ユリくんとふたりで無言のまま庭園を見る。
「あ、ピンクのバラ」
電車と違ってゆっくり景色を見られる馬車の中、私が気づいたのはお見舞いでもらった花がまとまって咲き乱れている場所だった。
他にも淡い黄色や白のバラがたくさん咲いている。この一角はバラ園なのかもしれない。
「ああ、今朝のバラはここから切ってきてもらった」
「……髪に挿してもらった花を、置いてきてしまいました」
折角ユリくんの手から直接もらった花だったのに、出かける前に支度をしたときにうっかり外してしまったことを今更思い出す。
私の声に残念さが滲んだのに気づいたのだろう。クラリッサ、と彼が私の名前を呼んだ。
「あなたと初めて会ったときに、あそこに見える四阿へ行くつもりで行けなかった。午後にでも落ち着いたら、一緒に行ってくれないだろうか。庭園を一番よく見ることができる場所なんだ」
「はい、ご一緒します」
「その時に――オホン、また、あなたに似合う花を探そう」
優しい王弟殿下は、少し照れながら私に笑い掛けた。