16・密室殺人事件
「……リッサ、クラリッサ」
「はっ!?」
いっけない、また記憶が飛んでた!
密着とは言わないけど肩が触れ合うくらいの距離で隣に座っているユリくんが、私を心配そうに覗き込んでいた。
……一瞬にして事態を把握。
なんで4人乗りの馬車で並んで座ってるのよって、今自分でもツッコんだもの。
イメージ的には馬車って向かい合って座るような気がしてたんだけど、ユリくんは当たり前のように私の隣に座ってきたのだ。
そして以下略。
「やはり具合が悪いのではないか?」
「いえ! 体調はなんともありません!」
悪いのは暴走しすぎる乙女回路の方です。
「ユリウス様が――ずっとこんなに近くにいるので緊張してしまって」
「それはそうだ!」
ユリくんの声がひっくり返った。私が「肩が触れるほどの近く」にいることに改めて緊張したらしい。
こっちもこっちで大変だ……見ている分にはとても心の栄養オイシイ! なんだけど。
「で、では、これでどうだろうか」
ユリくんは揺れる馬車の中で立ち上がると、私の真向かいに座った。その時車輪が石にでも乗り上げたのかガタンと大きく馬車が揺れて――。
踏ん張りが利かなかった私は思いっきり前のめりになり、自分でもまずいと思った。ユリくんがハッとした顔で私を抱き留めようと腕を差し伸べてくれて。
その僅か1秒程度の出来事が、スローモーションで感じた。
……つまり、私は真向かいにいたユリくんに抱きついてしまい!
「ぴゃあああ!」
「あああああ! 胸胸胸腕腕腕腕! 大胸筋と上腕二頭筋!」
ふあああああ! 程良く筋肉の付いた腕の感触! 胸が硬い! 朝も抱き上げられたから知ってた!
……いや、ユリくんの「ぴゃあああ」もだけど、私の悲鳴もどうなのよ! 思わず素が出ちゃった! 傍から見たら変態の叫び声だわ、これ。
慌てて離れながら、私たちはふたりとも真っ赤になって顔を押さえていた。
「ユリウス様……心臓が持ちません」
「私も、同じことを考えていた。気が合うというのは素晴らしいことだな」
少し違う。そう思ったけど言うのはやめておくことにした。
ユリくんは、ずっと見向きもされなかったクラリッサが「心を入れ替えた」から、浮かれてるんだよね。
推しは尊い。そう、それはあくまで「手の届かないところにいる推し」の話だ。
ユリくんだって尊いけども、毎回毎回この調子で全力で萌えてたら本当に萌え死にしてしまう。
死因・萌え死に。なにそれ最高か。墓碑に是非刻んで欲しいわ。
「ユリウス様、私たちは、もう少しお互いに慣れなくてはなりません」
「い、今ぁ? ……この状態からか?」
「そうです、今からです」
私の提案にユリくんは困り果てた仔犬の顔であちこちに視線をさまよわせ、深呼吸をすると拳を握りしめて「よし」と呟いた。
そんなに気合いが必要なことだろうか。まあ、私もユリくんの反応次第で鼻血を噴く可能性があるからなんとも言えないけども。
「えいっ」
ちょっと可愛い声を上げて、私は向かいのユリくんの手を取った。まずはこのくらいからでしょう。
私はユリくんの不意打ちに弱いんであって、自分からだったら手を繋ぐのもハグするのも平気なはず。
突然私に手を握られて、ユリくんは飛び上がりそうな勢いで驚いてた。
「ひゃっ!」
え……何その可愛い声……。まるで私が幼気な女の子に手を出したヤバいおじさんみたいじゃないですか。
「と、突然何を」
「慣れてください、ユリウス様」
「無理無理無理無理! 今まで一緒に歩いたこともほとんどなかったのに!」
「でも今朝は倒れた私を抱き上げて運んだんでしょう!?」
目をぐるんぐるんさせながらユリくんは必死に身を捩るけども、狭い馬車の中では逃げ場もそれほどなく。
「……っ、く、クラリッサ……手を、離して欲しい」
息を詰め、目に涙を溜めて私を見上げてくるユリくんが可愛すぎて……ああああ、どうしてくれようか!
「ユリウス様は、私に手を握られるのが嫌なのですか」
「そんなことは、ない。……だが」
馬車の隅に追い詰められて、ユリくんは小動物のようにぴるぴるしていた。うう、抱きしめたい。
「あなたの手が、こんなに柔らかくて温かいなんて知らなかった……だ、だから、その……ずっと握っていて欲しいけど、壊してしまいそうで」
そ、そんな上目遣いで目を潤ませながらなんてことを言うの!
もうダメ。私は馬車が揺れた拍子にユリくんを思いっきり抱きしめた。
「ハイ! 世界文化遺産認定! 息してるだけで尊みMAX! ガチ恋上等、受けて立つわ! ありがとう世界! さようなら世界! 我が生涯に一片の悔いなし!」
「ひえ……ひぇぇぇ……」
車内には、ブチ切れた私の叫びとユリくんの力ない悲鳴が満ちた。