10・バラの花を持って王弟殿下がやってきた
お待たせいたしました。ユリくん戻ってきました!
「おはよう、クラリッサ!」
応接室に入った途端、ユリくんが立ち上がって私の側までやってきた。
「おはようございます、ユリウス様」
私も挨拶を返すけど、彼は私の顔をじっと見たままもう一歩近寄ってきた。
ちょっ……近い近い近い! 普通にしてるとただの顔がいい人じゃん!
はぁー、昨日の辛さが癒やされるぅ、ファンサありがとうございます!
「体調はどうだ? それが気になって来てしまった。お見舞いに朝摘みのバラを持ってきた」
お見舞いに、朝摘みのバラの花……ああ、朝から来たのはそのためなのか。
応接室にある大きな花瓶――いや、これは壺ですね、壺にはピンクのバラが一抱えほども生けられていた。
ユリくんとピンクのバラ……似合う、それは似合いますね。それを抱えて立ってるところを撮影してA0版のポスターにして天井に貼っておきたいですわ。
「ありがとうございます、とても綺麗ですね」
「その……きっとあなたに似合うと思って」
「ふっ」
出してはいけない笑い声を出したのは、同じく応接室にいた公爵だった。
いや、私も思ったけどね、クラリッサにピンクのバラが似合うと思ってるこの人の感性ちょっと狂ってるって。
ピンクのバラなんて可愛いイメージじゃないでしょう。深紅か純白だよ、外見から言っても。
「お父様」
「……我が娘と殿下が微笑ましくて、つい。いや、クラリッサは親からしても厳しい性格をしておりましたから、殿下と仲睦まじい様子を見ることができて一安心しております」
「そ、そんなことはない。確かに私もクラリッサのことをそう思っていたが、昨日は……その……ひゃっ!」
話している途中でユリくんが突然真っ赤になり、華麗なバックステップで私から距離を取った。
「昨日は……何かありましたか?」
傍から見たらかなりの奇行だけども、顔を押さえて呻いてるから、恥ずかしがっているのが丸わかりだ。
それをわかってて訊く公爵は、なかなかの性格をしてるみたい。
……正直、私も衝動的に抱きしめちゃったのを思い出しましたけどもね。
だけども! 母親の死因と重ねて私を心配してる悲しそうな顔を見て、抱きしめないでいられたか?
答えは、否! どう考えても否! それは雨に打たれている仔犬を見捨てるのと同じくらい無理なことです。
「殿下、何故クラリッサのことをピンク色のバラと? 我が娘は――そう、バラの色に喩えれば苛烈な深紅か何にも染まらぬ純白かと」
その後に「黒バラは黒ではありませんしな」と続けたのはちゃんと聞こえてましたからね?
公爵とクラリッサについて解釈が一致したのが、ちょっと嬉しいような悲しいような複雑な気分になるけども。
「あ、ああ……そうとも言える。だが」
公爵からの問いかけで復活したユリくんは、バラを一輪手に取った。そしてもう一度私の所へ戻ってきて、その茎をパキリと折ると私の耳の上に挿した。
甘い香りがふわりと鼻孔をくすぐるのと同時に、それよりも甘い声が耳に注ぎ込まれる。
「やはり、よく似合う。きっと柔らかい色もあなたらしいと思ったのだ」
目尻をとろっと下げて、私に向かって微笑むユリくん――私の呼吸は止まった。
致死量以上の萌えを摂取するとどうなる? 倒れるんだよ。
正確に言うと、膝が砕けるの。
「ぐっふ」
「クラリッサ!?」
萌えに負けた膝を恨みながら令嬢らしからぬ声を漏らし、私はその場にくたくたと座り込んだ。
ユリくんは飼い主が目の前で倒れたときの犬並みに、あわあわとうろたえていた。
そして私を抱き起こそうとする。ああああ、近い、顔が近いってば! 近いどころじゃない、抱きかかえられてる! やだ、なんかバラとは違ういい匂いがする! はー、どうしよう、ユリくんを構成していた空気を摂取してしまった! 嗅いだことのある匂いの気がするけど、表現する語彙が一撃で粉砕された!
「大丈夫か? やはり具合が悪いのではないか!?」
「………………尊死」
昨日は公爵に「生きたい」って言ったけど、このまま安らかに召されてもいい……。
目を閉じて私の魂がすうっと抜け掛け、川の向こうにおばあちゃんが見えたところに、バリトンの笑い声が響いた。
「はははは、殿下の見立ては間違いないようです。娘のこのような柔らかな感情を初めて目の当たりにしました。これは、確かにピンクのバラですな。――殿下、朝食を御一緒にいかがでしょうか」
「それは嬉しいが、クラリッサの体が心配だ」
キリッとした顔を公爵に向けるユリくん、ここだけ切り取れば最高に格好いい。はい、スクショして心のアルバムに保存しました。ふぅ……私の力はもうないわね。
「ご心配には及びません。クラリッサは……ただ、照れているだけです」
公爵は私を見て、ニタァ、と笑った。何その笑い方!
デリカシーのない父親ってサイテー!