1・転生悪役令嬢は、婚約者に課金したい
王宮の図書室は初夏でもうっすらと寒い。
私が歴史や地理の本を抱えて図書室から出ると、侍女のジェマが本を持ってくれようとした。
「いいのよ、これくらい。自分で持てるから」
「クラリッサお嬢様、それは私どもの仕事でございます」
ジェマは「人目があるんだから仕事させろ」と圧を掛けてきた。
うーーーん、慣れない、この扱い。
自分でできることを自分でやって何が悪いのかしら。でもまあ、侍女の仕事を取り上げてることになるのかな?
いやでも、侍女ってここ数日見てる限りでもやることが多くて大変そうだし、これくらい自分でやっても――。
「ああ、やはりここにいたのか、クラリッサ」
「殿下、何故こちらに?」
ジェマと私がお互い困惑した顔で見つめ合っているところへ、一目で高価とわかる服に身を包んだキリリとした青年が歩いてくる。
ユリウス・ウィリアム・プレスコット。柔らかそうな茶色い髪に若草色の目をした真面目そうな青年。国王の歳の離れた異母弟である彼は、私ことクラリッサ・マリエル・ボッティータの婚約者である。
「最近王宮でも勉強に打ち込んでいると聞いた。お茶を用意したから休憩しないか」
涼しげな声で言うと、彼は私が持っていた本をスッと取り上げた。
「殿下、それくらいは持てます!」
「女性に重い物を持たせるわけにはいかない。私はそう教育されてきた」
一欠片たりとも嘘が見えないまぶしいほどにまっすぐな眼差しーっ! 紳士! マジ王子! いや、王弟! いやいや、先王の息子だから王子でいいよね、もう!
「……ありがとうございます。その、お茶もお誘いくださって嬉しいです」
「えっ!? あっ、えーと、その……う、うん、喜んでもらえると、私も嬉しい」
一瞬キョドったあと、咳払いが必要だったけどもキリッとした顔に戻ったのはさすが。凄い、滲み出る好青年オーラは天に掛かる虹の如し!
ユリウス様の後について、私たちはテラスに向かった。木陰で日差しは遮られ、気持ちよい風が吹き抜けていくお茶にぴったりの場所だ。
既にワゴンが置いてあり、私たちが席に着くとユリウス様付きの侍女がすぐにお茶と焼き菓子を出してくれた。
いただきます、と言おうとして言葉を呑み込む。こっちの人は、そういうことは言わないらしい。危ない危ない。
「クラリッサは本当に勉強を頑張っているのだな、図書室の管理官も褒めていたぞ。最近のあなたは、とても頼もしく見える」
「そんな……このくらい、ユリウス様の妻になるものとして当然のことです」
ウフフ、もっと褒めていいのよ。その本音は隠して、私は微笑みながらティーカップを手にした。
口元に近づけたとき、紅茶とは違う香りが鼻をくすぐった。
色も薄いし、柑橘系の香りはどう考えても紅茶ではない。
「あ、美味しい……ハーブティーですね。とてもいい香りで、すっきりします」
一口飲んでこれはレモングラスとミントが入ってるなということはわかった。オレンジピールも入ってそう。
飲みやすい味にほっと息をついたら、目の前のユリウス様の顔がパァァァァ、と明るくなった。
褒められたときの犬ですか!? そんなに顔に出るの凄い! どれだけ褒められ慣れてないの!?
「よかったぁー! そうなんだ!……オホン! うむ、これは兄上――いや国王陛下が昔教えてくださった調合で、勉強の合間に飲むとリフレッシュする効果が……クラリッサ?」
今、素が出たぞー!! ぶぉーんぶぉーんってホラ貝が鳴るわ! 可愛いが過ぎるかよー! 我に返った後の表情引き締まりすぎでしょごちそうさまでーす!
内心叫びつつ、口から言葉が飛び出さないように俯いて堪える。あかん、肩が震える。
「クラリッサ!? 具合でも悪いのか?」
ガタリとユリくんが立ち上がる。やだぁ、おろおろしてるユリくん、完全に困った犬の顔してるじゃん!
ふぅーう、こんな可愛い20歳の王族がいてたまるかよ。目の前にいるけどな!
「なんでも……ございません。ユリウス様とこうしてお茶をできる幸せを噛みしめておりました」
嘘じゃない。本音100%。ユリくんは今の私の推し堂々一位だよ!
なんなら「キリッとして」「困って」「ハート作って」とかのうちわを持ってペンラを振りたい気持ちでいっぱいだ。困るな、課金のできない推し!
「あ、あううう……そ、そうか。それならよかった」
一緒にお茶できて幸せと言われるだけで、ユリくんは目元を染めて視線を逸らした。
ぐうかわ!
普段はしっかりしてるのに、ぼろっと素がでるの助かる!! 寿命が延びる!
私たちは今でこそこうして一緒にお茶をする仲だけども、数日前まではこんなこともなかったらしい。
――らしい、というのは、「クラリッサ」の中身が私じゃなかったからだ。
私がユリウスの婚約者、クラリッサとして過ごすことになったのは――とんでもない不幸な事故の末のことだった。