島津の退き口
関ヶ原の戦いが終わろうとしていた。西軍が決定的に劣勢に立たされる中、島津義弘は本陣に座したまま、戦況を冷静に見守っていた。彼の目の前には、戦場が広がっている。東軍の軍勢が迫る中、西軍の将兵たちは次々と壊滅していく。その様子を義弘は無言で眺めていた。
「いかなる時も、冷静さを失うな…」
義弘は内心で呟きながら、周囲の動きを観察していた。西軍の敗北は避けられない。だが、彼の頭には一つの考えが浮かんでいた。それは、どんな形であれ自軍を無事に撤退させることだった。
「退くか、進むか…」
義弘は自らに問いかけた。戦場を前に、決して焦ることなく、瞬時に判断を下すのが彼の流儀であった。家康の軍勢が西軍を圧倒している中、義弘は冷徹に「退く」選択をする。
「今は生き延びることこそ、勝利に繋がる。」
彼は周囲の将兵に目を向け、撤退の命令を下した。その声は響き渡り、義弘の指示で島津軍は静かに、しかし確実に退却を始める。
戦場の中央では、激しい戦闘が繰り広げられていた。西軍の将兵たちは必死に戦っていたが、島津軍の隊列はその中で一際冷静に動き始める。東軍の追撃部隊が迫る中、島津義弘の部隊は目まぐるしく陣形を変え、巧妙に敵を翻弄していた。
「全軍、急ぎ退却せよ!」
義弘は馬を駆けながら命じた。だが、ただ逃げるのではなかった。彼の目指すのは、ただ一つ。無事に戦場から撤退し、薩摩に帰ること。退却しながらも、常に東軍の動きを読み、余分な戦闘を避けながら確実に距離を取っていった。
だが、敵の追撃は熾烈だった。数度、義弘の部隊は東軍の追撃部隊に接触し、短い戦闘が繰り広げられた。だが、島津軍はどこまでも冷静だった。東軍の追撃をかわし、また新たな陣形を取っては一歩一歩後退していく。その戦法はまさに「島津の退き口」と称されるべきものだった。
追撃を受ける中、義弘は不意に後ろを振り返った。彼の馬の背には、部下たちがついてきている。どんな時でも義弘を信じ、共に戦う者たちだ。その姿を見ると、義弘の心に新たな決意が湧いてきた。
「ここで負けるわけにはいかん。」
彼はさらに鞭を入れ、馬を走らせる。時に追撃部隊と交錯し、時に山の中を潜り抜けながら、義弘とその軍は無事に戦場を離れることができた。撤退した先で待ち受けていたのは、彼の故郷・薩摩への帰路だった。
戦後、島津義弘の名は戦場での冷静さと指揮力を称賛され、彼の「退き口」は名将の名にふさわしい戦術として語り継がれることとなった。
だが義弘にとって、最も誇りに思うべきは、戦場を離れるその瞬間まで、部下と共に生き残ることに全力を尽くしたその姿勢だった。それこそが、彼が戦場で最も重んじた「武士道」であり、戦後の彼の心の中に深く刻まれるものだった。