No.8 湖畔の村⑥
「こんな老人を相手に情けないですね」
カクハ・オーレルファーが手をぱんぱんと叩きながら呟いた。彼女の足下には長髪の男が石のように固まったまま倒れている。手には魔業銃を持っていて、それを構えた体勢のままだ。誰かが放ったか、何らかのことが原因なのだろう。森には炎が盛っていて、周囲を朱色に染め上げている。
「わたしには老人っていうほど、年老いているようにも思えないけれど」
そんな声がして老婆が振り返るとそこにクロエがいた。木の幹に寄りかかっていて、金色をしたフレームのモノクルを右目にしている。
「何を言っているのです? 見ての通り、わたしはしわくちゃの老体です」
「そうね。わたしよりは、全然、年寄りだわ」言いながらクロエがモノクルを外して、それを握り、開くと、もうそこにはモノクルがなくなっていた。「今のは魔術具。レンズを通して見た生物の、生体情報を見抜くの」
そう言ってから、クロエが余裕を見せている態度で老婆を見据える。もう、全部をお見通しとばかりに。すると、少ししてから老婆がふうっと息をついた。
「ホワイトウイングの学生さんは優秀なのですね」
「これでも、わたしは不良よ? セブンやアークの方が、よっぽど優秀。お姫様よりはましなつもりだけれど。……それにしても、凄いのね。あなたの鍛え上げられた肉体。筋力だけなら、セブンよりもずっと上。その気になったら、決勝戦でセブンに勝てたんじゃない?」
「それはどうでしょうね。わたしは50年やって、この程度ですから。あの方が50年もやれば、足下にも及びませんよ。あなたも、わたしと闘います?」
老婆が拳を構える。しかし、クロエは首を左右に振った。
「いいえ。それよりも、教えて欲しいわ。……どうして、あなたはその人を殺したのかしら?」
「この方ですか?」老婆が固まったまま動かない男を見下ろす。「正当防衛と言うではありませんか」
「魔闘術を50年もやって、素人を屈服させるのに殺すかしら? 理由によっては、わたしが裁く」
下方配置魔法陣がクロエの近くに展開された。そこから漏れ出す魔力がクロエの髪を揺らす。どこか憂鬱とした雰囲気が一変し、ぴんと張り詰める。ぱちぱちと音を立てる火の粉。風に揺らめき、炎に焦がされる葉。
「仕方がなかったんですよ。セブンさんとはもっと、やりたかったのです。鬱憤を晴らそうとしたら、この方があまりにも手応えがなくて、壊れてしまったんです」
「最低ね。化けの皮を剥いであげるわよ。――執行者・ガゼル」
魔法陣が輝きを増し、老婆の目を眩ませる。再び老婆がそこを見やると、巨大な鎌を肩に担いだ漆黒の甲冑がいた。全身から湯気のようなものを立ち上らせていて、兜の向こうで赤い光が宿って目となる。
「ガゼルは魔界の執行者。彼はわたしの下した裁きを実行する」
「魔術師というのは凄いのですね。このお方なら、わたしも楽しめそうです」
「そう。じゃあ、心行くまで楽しんで。あなたの罪は、過剰防衛による過失致死。それと、年齢詐称。――ガゼル、やってちょうだい」
「御意」
低く響く声がクロエに答え、ガゼルが動き出した。全長3メートルはあろう巨躯が鎌を振り上げ、老婆へ迫る。風を裂く、鋭い音がして鎌が老婆めがけて振るわれる。しかし、老婆が刃に手を添えて簡単に受け流した。そのままガゼルの胸当てに激しい蹴りが放たれ、巨躯が力負けして後退する。
「天禅流魔闘術・宙圧し」
間を詰めた老婆が、ガゼルに掌低を叩き込んだ。セブンのやったのとは違い、強烈な一撃だった。その一撃だけでガゼルの甲冑が砕け散り、そのまま吹き飛ばされてクロエの横の木に激突する。
「ガゼル……!」クロエが巨木をなぎ倒しながら崩れ落ちたガゼルの傍にしゃがむ。「大丈夫?」
「む、無念……。次、こそ、は……期、待……に副え、る――」
言葉の途中でガゼルの姿が透明になって消えた。魔界へ送還されたのだ。ゆっくりとクロエが立ち上がり、両手を合わせている老婆を見つめる。
「たった一撃でガゼルを倒すなんて、そうそう出来ることじゃない……。あなた、何者?」
「先ほどの魔術具で見透かしたのではないんですか?」
「生体情報しか読み取れない。つまり……あなたの表面上の情報しか見られないの」
「そうですか。では、あなたが宣言した通りに、わたしの化けの皮を剥いだら、教えてあげましょう」
「……面倒臭いわね。だけど、ガゼルがやられちゃったし仕方ないわね。……やったげるわよ」
クロエが言い、自身の前方に魔法陣を展開した。地面に対して垂直に設置されたそれは老婆へ向かっている。それを見て、すぐさま老婆が走り出した。地面が彼女の脚力に耐えられず、抉られる。セブンとの闘いで見せたスピードより、ずっと早い。魔法陣の横をすり抜け、魔界の執行者を一撃で屠った一撃がクロエへ向けられる。
「魔術にはね、こんなのもあるの」言った直後に、クロエへ向かって魔法陣から光が放たれた。「反魔術」
光はクロエへ向けられていたが、攻撃する為に接近していた老婆にも注ぐ。すると、老婆から紫煙が立ち上った。すぐさま彼女はクロエから遠ざかるが、すでに光を浴びてしまっている。紫煙は体積を増して、空へと上っていく。凄まじい量だった。少しも老婆の姿が見えずに、煙に呑み込まれてしまっている。
「これは魔術を打ち消すことを目的にした魔術。魔術って奥が深くて困るのよね。――敵に回すと」
「そう、ですか……。流石はホワイトウイングの学生さんです。……しかし、わたしが姿を、年齢を、偽っていたのは周囲に溶け込むのが目的だったのです」紫煙の向こうで老婆が言っている。「そうでないと、わたしの本来の姿では浮いてしまいますから」
煙が消えると、そこに老婆の姿はなかった。代わりにいたのは、――異形。
全身が薄い青色をしている。長く、角ばっている腕は普通に下ろしているだけで地面へ届きそうだ。人間とは絶対的に違う。2メーターと半分ほどの大きさ。男か女かも分からぬ、恐ろしい顔。全体的に関節部分が角ばっていて、固そうな皮膚を露出している。
「あなた……魔人?」
「違います。しかし、とても近い存在なのでしょう。――とある病なのです」
「病……。もしかして、あなた……咎人なの? 魔術の禁忌を破った者は、咎人となって神罰が下る。生死の狭間を彷徨わせられたり、魔界の最下層に幽閉されたり、――人であることを奪われたり」
クロエが言うとカクハが小さく笑んだ。しかし、人の顔と違うせいか、邪悪めいたものに見えてしまう。
「わたしは詳しく知りませんが、恐らくあなたの言う通りなのでしょう。この姿を隠す為に、わたしは魔術をかけていただきました。……しかし、悪いことだけではないのですよ、この体も。咎、とあなたは言われましたが……この姿になってからは、とても体が頑強になりましたから。さあ、再開しましょう。魔術師さんの実力というものを、見せてください」
言ってから、カクハが消えた。クロエの眼前に現れ、手刀で薙ぎ払う。地面を抉りながら転がり、クロエが顔を上げるとどこにもいなかった。一瞬し、地面にかかっている影に気づいて上を見ると指先まで硬質化しているカクハの手が落とされていた。
「――天圧衝」
小さな呟き。直後、その周囲の地面が盛大にひび割れながら抉れた。大地の欠片が衝撃で浮き上がり、崩したパズルのピースのように粗雑に散らばった。