No.63 新しい旅路を①
「――どうしました、シュザリアくん。わたしに何か用事ですか?」
ホワイトウイングの学長室にシュザリアはやって来ていた。マクスウェルは窓際の安楽椅子に座って読書をしていた。
「学長、深魔の穴にいるセブンを迎えに行きたいんです。どうしたらいいですか?」
単刀直入にシュザリアが切り出すと、マクスウェルは顔を上げた。そうですねえ、と穏やか口調で言いながら本を閉じる。
「まず第一に深魔の穴というのは非常に濃度の濃い魔力が常に満ちている状態です。何の訓練もない、ただの魔術師や、一般人が飛び込むと魔力酔いを起こして昏倒、ひどければ死亡してしまいます。その点をどうやって解消すれば良いと思いますか?」
「……分からないです」
「よく考えてみて下さい。答えはちゃんと、あなたの中にありますよ」
安楽椅子を立ってマクスウェルは紅茶を淹れ始めた。シュザリアを上等な一人掛けのソファーへ促してから紅茶を渡す。再びマクスウェルは安楽椅子へ戻った。
「ヒント下さい」
「ヒントですか? 難しいですね……。例えば、深海へ潜る時に人はどんなものを使いますか?」
「深海……? 潜水服? ……分かった! 魔力酔いを起こさないように特別な服を着る!」
シュザリアが答えるが、マクスウェルは紅茶をすすって首を左右に振った。
「ちょっと違います。そんな服があれば便利ですが、残念ながらないのです。そうなると、どうすると思います? 発想は合っていますよ」
「魔術で、体を覆うとか……?」
「その通りです。あなたの得意な光の魔術を使えばいいと思います。あれはよく出来ていますね。外部からの影響を完全に遮断することが出来ますから」
「そっか。一雫の涙を使えば魔力酔いからも守れるんですね?」
「ええ。さて、これで魔界へ行く、という点はクリア出来ました。帰り道も同様です。続いて、魔界の歩き方ですが……あそこがどのような場所か、想像はつきますか?」
尋ねられてシュザリアは首を傾げた。
「アークが、こっちの世界よりずっと広いって言ってました。……それ以外は分からないです」
「そうですね。とても広い世界です。複雑に入り組んでいます。この世界は大地と海で全て繋がっていますが、魔界は違います。全体が巨大な階層で作られているようなものなのです。上下へ通じる階段は複数ありますが、なかなか辿り着けません。階段と表現しましたが、言葉通りの階段であればどんなに嬉しいことでしょう。酸の海の底が下の階に繋がっていたり、たった一本の蜘蛛の糸が上の階に繋がっていたりします。そういった場所を通るのは利口ではありませんから、別の階段を探さないとなりません。魔界というのは何とも攻撃的な場所です。ただ歩いているだけで誰かが襲ってくることもありますし、野原だと思って歩いたら芝が全部、鋭い刃で出来ているなんてこともあります」
「じゃ、どうすればいいんですか?」
「どうすればいいのかは、ケース・バイ・ケースですね。自分の力で、いかに上手く乗り切れるのかを常に考えなければいけません。そうして魔界を放浪していると、不思議と力がつくものです。昔の人は武者修行で魔界へ行ったものですよ。……帰って来られる人は万に一人もいなかったのですがね」
遠い目をしながらマクスウェルはまた紅茶を飲む。いつの間にかマクスウェルのペースに引き込まれ、シュザリアも紅茶を飲んだ。やって来た時は気が急いていたのに今は不思議とくつろいでしまっている。それでも頭は魔界のことでいっぱいだ。
「……そういえば、学長は魔界に行ったんですか?」
およそ、それを知っている前提で来たような態度だったくせにシュザリアは改めて尋ねた。
「ええ、行きました」
そして、それに動じることもなく穏やかにマクスウェルが答える。ほえー、とシュザリアは感心しながら紅茶をすすった。
「どうして?」
「大切な仲間が魔界に行ってしまったんですよ。……だから、本来は止めなければならない立場なのに、あなたにこうして教えてしまうんです」
「……三雄の人ですか? 大切な仲間って」
「はい。ストリュース・レバノスという、とても聡明な友です。ご存知ですか?」
「何となく……。ストリュース祭の」
「そうですか。それは何よりです。……それで、シュザリアくん。もし、本当に魔界へ行くのなら、覚悟だけはして下さいね。あそこは命を落としかねない、いえ――命を落とす前提で行くべき場所です」
小汚いバーの片隅にアークはグランギューロと並んで座っていた。アークの前にはオレンジジュース。グランギューロの前には蒸留酒がある。
「悪魔の懐刀を取られたか……」
「ごめんなさい……」
「謝ることぁねえさ。魔術具は人から人へ渡っていくもんだ」
グランギューロに強く言われてアークはバーへやって来た。だが、アークはずっと落ち込んだままでいる。それを見かねて料理をいくつも頼んだが、なかなか出て来ない。
「いいか、アーク。お前、自分の持ち物をなくした程度でそんなに落ち込んでたら、この先行きていけねえぞ。生きてる限り、次から次へと色んなもんをなくしてくんだ」
「フォースって人に……全く相手にならなかった。悪魔の懐刀は取られて、遊ばれて……そのまま、ドラスリアムを出るまでずっと意識なくしてた……。それが悔しくて……」
「フォースか。何番だ?」
「師匠、フォースのこと……知ってるの?」
グラスを傾けたグランギューロへアークが目を向けた。
「ちょっとな。何番だった?」
「一番……ボスって呼ばれてた」
「なるほどな。ファーストか……。あいつは生半可な野郎じゃねえからな。何をして、何をされた?」
「悪魔の咆哮をしたら一瞬でぱって消された……。それで、ちょっと話して……赤い髪の毛と、火の固有属性の伝承は……元々、自分のことだって言い出して、それがぼくと一緒だから弱いはずないって」
蒸留酒を飲み干し、グランギューロがおかわりを注文した。それと一緒に野菜と肉のグリルが出される。アークにフォークを押し付けるように持たせると、グランギューロはまた酒を煽る。
「それで……反撃しないから攻撃しろって言われたけど、そんなの信用出来ないからって考えてたら向こうから攻撃してきたの。吸収してよく分からないけど、光球の魔術をやり返したら、上方配置魔法陣を展開してきたから、これは悪魔の咆哮をぶつけて打ち破って、今度は光球の魔術をたくさん使ってきたから小悪魔の宴会使ったんだけど、ぼくが悪魔の懐刀ばかり使うのに業を煮やして、ゴブリンを簡単に蹴散らして、ぼくの近くにすごい速さで来て、何かされて……立てないくらいダメージ負った……」
自分が誰よりも弱い魔術師だと自覚しているものの、ボスになぶられ、誉められた記憶を呼び起こす度にアークは何度も屈辱を覚える。
「悪魔の咆哮を使われたから、反魔術で打ち消して、小悪魔の宴会を回転する炎の上下相関で使ったら、もうキャパシティーなくなったからへばった……。それで、覚醒させてやるって言われて、魔力注ぎ込まれて、起きたらグヴォルトに戻ってた……」
「回転する炎って魔術は聞いたことないな。お前が構成したのか? 書いてみろ」
グランギューロが言って、懐から髪とペンを出した。オレンジジュースをストローで一口すすってから、アークが魔法陣を書き始める。それを眺めながらグランギューロは酒をまた飲み、グリルを指でつまんで食べた。
「一応、ぼくが作ったけど……水竜の戯れを元にして考えたから……」
「なかなか、いい魔術だな。よく考えられてるし、通常よりも効果の高い上下相関を見込める。アーク、お前……これを彫ってみろ。お前のことを最高の魔術具職人にしてやる。フォースなんか目じゃねえぞ」
にやりとした笑みでグランギューロが言う。まだ形だけの師匠を見つめ、アークはどこか不安そうな顔をしていた。