No.61 失われた世界で
数日前――。
雪に閉ざされた洞窟の中、セブンは変わり映えのしない鍋の具を突ついていた。シロに魔闘術を叩き込まれるようになってから生傷が絶えない。
「シュザリアがどこまで来たかが気になる。修行もいいが、そっちの方がおれには大事だ」
「好きにしろ。……だけど、おれがお前に修行をつけてやるのはこれが最初で最後だからな」
何ともないようにシロは言う。いつもの軽口。すっかりシロの性格に麻痺していることに気付きながら、シロは鍋をぼんやりと眺める。
「シロ、どうして……あんたは戦うようになった?」
「世界大戦当時は誰もが武勇を立てようとしてたんだよ」
「……だとしても、戦いを選ばなかった人間もいるだろ」
「頭のいい奴は早死にするぞ……。おれは欲深かっただけ。たまたま、持って生まれた魔力が多かった。それでいて、惚れた女を独占するために力をつけようと考えた。だけど、魔術はどうにも苦手だったから肉体を鍛えまくった。そしたら、そっちの方が性に合うんだよな。魔術なんて忘れたね。すぐだ。魔力の使い方っていうのは頭じゃなく、体で覚えられた。……調子に乗った。楽しかったぜ。その女とは結ばれなかったが、それでも良かった。思い出ってのは美化されるからな。充実してた。最高の気分だったぜ」
小さな器に取り分けた野菜の煮込みを口の中へかき込み、シロはもそもそと咀嚼する。
「それで、フォースになって全てをなくしたか……」
「まあ……厳密には全部じゃないんだけどなー。あ、バベルにいる連中には絶対言うなよ。あいつら嫌味しか言わないから」
「だけどシロは……何もないんだろ? そうやって昔から……」
ちっちっちっ、とシロは舌を鳴らしながら指を振った。
「本当に魔術師って連中は愛やロマンの分からん野郎達だよ。おれが何もない? 確かに魔力を失って、極めたはずの魔闘術はただの格闘術に成り下がったさ。瞳もない。けど、逆にだ。逆に。……おれには何がある?」
「は?」
「あったま硬いぞ、お前。何が詰まってるんだよ、その頭。つっかえない奴……」
「んな馬鹿らしい質問に答えられるか」
「馬鹿らしいときた。あーあ、分からないから拗ねて。全く、可愛気のない。いいか、おれに残ってるのは生命だ。とんでもなく大事なもんが残ってる」
そう言ったシロにセブンは眉をひそめた。釈然としないと表情に書いてある。深くため息をついてシロは器を置いた。
「おれは生きてる。命がある。だから、お前とこうして話してる。どうだ、分かったか?」
「けど……それでいいのか? 魔闘術を自ら極めることさえ出来ない人生で、それであんたは胸を張っていられるってのか?」
「ああ、言えるね。生意気なガキの世話を焼いて、それが終わって退屈な日々を過ごしてきたと思ったら、また会えたんだ。お前がいりゃ、おれは自分の命の意味を見いだせる」
身を乗り出してシロが言う。しばらくセブンはその真意を探ろうと見つめていたが、やがて脱力しながらそれを止めた。
「死ぬ予定でもあんのか? 縁起でもねえ……」
「死ぬ予定はなくても、死ぬ準備は出来てる。お前を捨てた時、おれは本当の意味で全部を失ったことになる」
「何でおれなんだよ。……気持ち悪ぃ」
「そんな小っ恥ずかしいこと言えるか」
「は? 十分、恥ずかしいことなんか言いまくってるだろ」
舌打ちをしてからシロはアイマスクを押し上げた。不気味な白い瞳でセブンを見据える。
「おれの、人間だった頃の知り合いに似てたんだよ。……大事な女の、ガキにな」
今となっちゃ見る影もないが、とシロは付け足す。野菜の煮込みを食べながらセブンは一言だけ呟いた。
「恥ずかしい奴だよ、あんたは……」
――バベルの外、地上でセブンは待ち受けていた。
満身創痍で落ちてきたシャオを受け止めると、一緒に降下してきたクウがセブンの肩に乗った。そうして顔を伸ばしてシャオを不安そうに赤い瞳で見つめる。手の平に魔法陣を展開すると、そこから水がとくとくと水が溢れる。シャオの顔をなぞるように手を動かすとゆっくり目を覚ました。
「痛って……そうだ、サードは!?」
シャオを下ろしてセブンはバベルを見上げる。上層の階から崩落は始まっており、瓦礫が降ってくる。
「今ごろ、シロが相手をしているはずだ。おれの仲間がフォース以外を連れて離脱する。お前は決戦用波動消滅魔法陣を発動しろ。おれが手伝ってやる」
「手伝い? 何をだ? つか、お前まで巻き込まれるぞ。革命軍の契血印を――」
「契血印は必要ない。咎ならおれも負う。それと、お前は正式な魔術師じゃあないから、禁は犯せない。禁忌が伴うほどの魔術には詠唱が必要不可欠。お前、自分の真名を知ってるのか?」
「真名……? けどディエゴは死に際におれを選んで託した。使えないのか?」
「説明をおこたるほどに切迫した状況だったというだけだろう。真名は存在に対する名称。その人間の本質そのものだ。詠唱は真名を語り、それによって一種の契約を行って魔術を発動する方法だ。詠唱をすることで魔術のコントロールを飛躍的に上昇させる。……お前は自分の真名さえ知らないだろうから、おれが詠唱をする。お前はおれに従って決戦用波動消滅魔法陣を発動しろ。それで、バベルごと、この周囲の土地、丸ごと消し飛ばせる」
そう言ってセブンが目を閉じた。周囲にセブンから発せられた魔力が満ちていく。シャオはそれを肌で感じ取りながらクウを自分の肩へ乗せた。優しく、穏やかな目でクウを見つめてから、両手を合わせてゆっくり引いていく。蜘蛛の巣のように両手の間へ現れる複雑な紋様の魔法陣。それはバチバチと閃光がほとばしる。
「――汝の力、彼の者に貸し与えたまへ。我、いにしえの力を受け継ぎし、真名なき者」
ふわりとセブンの髪が揺れ動き、周囲に満ちていた魔力がシャオの体を通って彼の魔法陣へ注がれていく。
「決戦用波動消滅魔法陣――発動」
シャオが魔力を込め、それを放出する。
純然たる光が最初に溢れた。それから、続いて衝撃の波が放射される。地面が大きく揺らぎ始める。最初の波が降り注いでいた瓦礫を砂状する。続いて不可視の波動が周囲を通過していく。光は途切れることなくどんどん輝きを増していく。
「ぐっ……これ……キツいぞ……!」
全身から魔力が根こそぎ持っていかれるような感覚に襲われながらシャオが怒鳴った。
「耐えろ、でなきゃ発動される前に終わるぞ!」
セブンも同様の魔力吸引に遭っているが、それ以上に魔術のコントロールに必死になっている。少しでもセブンが気を抜いてしまえばどこで魔術が暴発するか分からない。
「発動って……今の、これは!?」
「予備動作だ! この光と衝撃が天に収束されて、そこで範囲内全ての魔力を持つものと共鳴振動を起こす! もう少し……!」
直後、セブンがシャオの体から弾き飛ばされた。シャオの全身から魔力が柱のように立ち上っていく。クウも弾かれ、再びシャオに寄り添おうとするのだが近づいても強い反発によって弾かれる。
「全部、持ってきやがれ!」
そうシャオが怒鳴った直後、ふっと地響きも、光も収まった。直後に音もなく世界が闇に飲まれて消え去った。
バベルのあった場所には大きな、深い穴が穿たれていた。誰の姿もなく。バベルの残骸すらも残さず、全てはたった一つの禁じられた魔術によって消滅した――。