No.54 揺るぎ出す世界④
「――い、今の衝撃って何……!?」
階段を駆け上りながら、アークはバベルの激しい揺れに怯えてデュランに尋ねた。
「シャオが何かやったらしい。急激に衰弱したのを感じたが、生きている」
「そんなこと、分かるの!?」
息を切らしながら、アークは必死に階段を上る。しかし、デュランは流石とも言うべきか、呼吸など少しも乱すことなく淡々としている。
「魔導守護者は契約を交わした主の状態を察知出来る。スピードとの戦闘で激しく消耗したのは確かだろう」
「それ、作戦は大丈夫なの? だって、切り札を使うのはシャオでしょ?」
「そんなもの、杞憂だ。あいつは一度決めればやり遂げようとするだけの意志を持っている」
「でも……!」
アークが言いかけたところで階段が広いホールに出た。何階か分からないが、スピードが出迎えたところと同じような構造だ。とにかく、フロア全体が吹き抜けで真向かいに階段がある。
「我々がやるべきは、フォースの戦力を削ぐこと。眼前の敵を、排除することだ」
そこにいたのは軽装の鎧に身を包んだ剣士。サードだった。グヴォルト帝国の城に乱入してきた時のことを思い出してアークはみじろぎする。あの時、セブンと対峙したフォース。片刃の剣を抜き放ち、それをサードが正眼に構える。
「フォース・ナンバー・スリー。呼称はサード。貴様らの狙いは知らぬが、ここで邂逅したのが運の尽きだったな」
「デュラン・アルバート。魔導守護者をしている。……貴様を排除する」
名乗り合ったデュランとサード。デュランが大剣を構える。何となく似通っている彼らを眺めながら、アークは剣のリングを嵌めた右手を握り締めた。悪魔の懐刀を抜いてサードに向ける。
「アーク、お前は行け」
「え?」
「この男は恐らく、一対一の決闘に長けたフォースだろう。あのような得物を持っているのがその証拠。あれはドラスリアムに伝わる、格式ある剣の一振りだ」
言われてアークがサードの構える片刃の剣を見つめる。核がはめ込まれていることから魔術具を搭載した武器だと判断し、その紋様を読み取ろうとするが距離もあるためにそれが叶わない。
「魔術具……」
「あれは王剣という剣だ。効果は簡単。所有者の魔力を斬撃へ変換するだけ。フォースの剣士である、奴にはうってつけの武器ということだ」
「王剣――。でも、そんな相手と正面からぶつかり合うなんて……いくら魔導守護者だからって……」
「魔導守護者とは何たるか、お前は分かっていないようだな」
「何たるか……?」
「他者を守る力。何よりも強く、誇り高いものだ。お前もいずれ、その背に守るべき者を感じれば分かる。ここは先に行け。想定以上にフォースは分散している。残りのフォースを見つけたら、とにかく床をぶち抜いていけ。悪魔の懐刀があれば可能だろう。いずれシャオとまみえる。その一瞬を見据えて、走ってこい」
周囲に同じ年齢の人間はなく、いつも守られる立場にアークはいた。ホワイトウイングでも、勅命でドラスリアムへやって来てからも。だが、デュランはアークを前線へ押し勧める。悪意ではなく、信頼によって。セブンに励まされることはこれまでに何度もあったが、デュランに言われたようなことはなかった。
「一瞬を見据えて――」
悪魔の懐刀を握り締めてアークが頷いた。クウがアークの周りを飛び回る。
「突破口を開く。生きていれば負けではない。振り返らずに行け」
「うん」
アークがまっすぐな返事をすると、デュランは駆け出した。サードと正面から切り結ぶ。サードは大剣の一撃を剣の側面で受け、そのまま流してデュランへ切りかかる。しかし、それを見越していたのか、デュランは大剣の軸をずらして引くことで防いだ。火花が散り合い両者が距離を取る。
「そこの小僧が上へ行きたいなら、さっさと行けばいい。おれは弱者を追撃するような真似はしない」
一瞬の攻防にみとれていたアークがサードの言葉ではっと我に返る。デュランに目配せすると彼が頷き、アークは走り出した。階段を登っていく。ただ、上だけを目指して。
「ボスか、セカンドか……。どちらに当たろうと、あの小僧は死ぬだろうな」
「どこにそのような根拠がある」
「見れば分かること。あの小僧と我々とでは明らかにレベルが違う。フォースの足下に遠く及ばない」
「それは根拠になり得ぬな。……火の者は強い。決して能力の優劣が全てではない」
大剣を下段に構え、デュランが言う。
「能力か……。関係ない。フォースは絶対的な力だ。――風の穿孔」
上方配置魔法陣が展開され、そこから無数の光線が降り注いできた。冷静にデュランは自身の真上、サードの展開したものの下に魔法陣を展開すると、そこだけ光線が防がれる。魔術を発動してからサードはデュランに迫って王剣を振るう。光が発せられ、その軌跡と刃が波状にデュランを襲う。
「劫火の鎚」
デュランの大きく振りかぶった大剣と先に到達した軌跡の斬撃がぶつかり合う。すると大剣の刀身に魔法陣の紋様が浮かび上がって、黒い炎が球体に現れて爆ぜる。爆発した黒炎は球形に床を穿ってサードを押し返した。炎が両者の間で盛る。
「絶光」
サードの振るった一太刀で指向性を持った光線のような斬撃が繰り出されると、炎はそれにかき消されてデュランを飲み込む。大剣を盾のようにして受けるものの、足は床を削って後ろへと強く押される。無理やり、弾くようにして斬撃の軌道を変えると王剣の刃が袈裟掛けにデュランを切った。
「きゃっ」
一雫の涙が破られてシュザリアが尻餅をつく。ガゼルがセカンドへ向かって大鎌を振り下ろすが、片手で刃を受け止められてガゼルの足下に展開された魔法陣から立ち上る火柱に飲み込まれた。
「反魔術!」
地下牢全体にクロエが魔法陣を展開する。光が降り注ぎ、ガゼルを飲み込んでいた火柱や、今まさにシュザリアを襲おうとしていた強烈な冷気、あらゆる魔術が煙となってかき消される。
「ク、クロエ……ありがと……」
「ええ、問題ないわ」
六ツ眼単眼をかけたままクロエが返す。しかし、汗をかいている上に彼女らしくなく、酷く真剣な目をセカンドへ向けていた。
「防戦一方だな、娘らよ」
ガゼルが主を守るべく、クロエ達の前に立ちはだかる。セカンドは落ち着いた口調で、かたり聞かせるかのように穏やかに話す。だが、セカンドの存在感だけで、嫌でもシュザリアとクロエの背筋を冷たくさせる。
「あなた……魔術の法則をどうやって無視しているの?」
「最初に言ったはずだ。無限の魔術こそ、わたしの能力。どうやって、など、言ったところで無意味なのだ」
「クロエ、どういうこと?」
「魔力を一切、消費せずに魔術を発動させてるの。魔法陣を使わないで。しかも、あなたの魔術が破られるくらい、連続で」
一雫の涙は範囲内に外部からの何かが入り込むと瞬間的に防壁を張り、消し去る魔術だ。それがシュザリアの固有属性である光の効果で、破壊されても一瞬にも満たぬ速さで再生、非連続性の連続によって完璧にあらゆる攻撃を防ぐことが出来る。――はずだった。セカンドは強力な魔術を魔法陣の展開もなしに連続で放ち続け、魔術を発動しているシュザリアの魔力切れを引き起こして打ち破ったのだ。
「そんなの、出来るの……?」
「それを聞いたら、能力だから何でもありだって言うのよ。答えになってないと思わないかしら?」
「うん、なってない。説明してよ、おじさん」
どうにもシュザリアには緊張感というものがないらしい。おじさん呼ばわりされたセカンドだが、表情は一切変わらなかった。ゆっくりと、セカンドが右の袖をまくる。そこにあったのは何かの魔法陣。続いて左の袖。そこにも別の紋様をした魔法陣。
「わたしは体中に魔法陣を直接、刻み込んでいる。そしてこれらの魔法陣を用いた魔術は、体内にある特別な魔術の核によって作動し、その際、発動に必要な魔力は一切消費しないことになっている。これ以外の魔術を使えば魔力は消費する」
「人間魔術具ってところかしら?」
「魔術具人形だ……。わたしなど、哀れな操り人形にしか過ぎない存在だった。それでも、経験が浅く、実力も低い者に負けることはない」
まくって見せた腕を再び袖で隠し、セカンドは静かに言った。それから地下牢全体に下方配置で発動されている反魔術の魔法陣を見ると、片足で思い切り踏みつける。すると、魔法陣の紋様、線が徐々に歪んでいく――。
「フォースとなる前より、わたしは優れた魔術師だった。反魔術への対応など、雑作もない――」
「ガゼル!」
とっさにクロエが叫ぶ。魔法陣の紋様全てがぐにゃりと捩じ曲げられ、輝きが曇って爆発を引き起こした。ガゼルがシュザリアとクロエを抱えるようにして地下牢を飛び出し、その爆発から逃れる。ガゼルが着地するのと同時に地下牢から床、壁、天井を伝って氷が急速な勢いで向かってくる。
「寒い……!」
「それどころじゃ済まないわよ。ガゼル!」
「御意」
クロエの指示でガゼルが鎌を一振りした。そこから熱波が発せられる。だが、氷の浸食は歯止めが利かない。ガゼルの足下に氷が到達すると、足を伝って胴、胸、肩、腕、首へと氷が包み込んでいく。
「もういいわ。わたしがやる。――大地の重圧」」
ガゼルの姿が消え、1メートル程度の魔法陣が地下牢へ向けて展開される。発動されるとドン、と一度大きな衝撃が起きてから前方にあるものが真下に垂直に瓦解していく。壁も扉も崩れ、奥にいたセカンドにもそれは猛威を振るって石畳え押さえつけるばかりか、そこへ陥没させようと強い力に押し込まれていく。
「多少はやるようだが、まだ足りぬな」
静かなセカンドの声。前傾になってシュザリア達を見据えると、前方に魔法陣を展開した。セカンドが走り出し、その魔法陣を突き破ると赤い光を纏いながら突っ込んでくる。重力場を突っ切り、2人の前に躍り出るとセカンドの振るった腕から炎の鳥が放たれた。
「シュザリア!」
クロエがシュザリアを突き飛ばした。炎の鳥に飲まれてクロエが絶叫する。さらにクロエを取り囲むように立体魔法陣が展開され、シュザリアの顔が青ざめる。
「ダメ!」
瞬間、緑色の閃光がその場を横切った。パチン、とセカンドが指を鳴らす。
「深紅の箱」
魔法陣の中で灼熱の劫火が燃え盛る。突き飛ばされた格好のままシュザリアは肌を焦がすような熱気に当たるが、ただ呆然と驚愕の表情でそれを見つめる。セカンドがシュザリアの眼前に立ち、見下ろした。
「自らの無力を呪うのだな」