No.38 幽玄谷の試練⑤
『紅牙幽玄――。東洋の小さな島国の出身にしてグヴォルト帝国史上、最強の盗賊とされている者の名だ。
三雄と三度の戦いが繰り広げられ、幽玄が四十歳の時に最後の戦いが始まった。壮絶な三日三晩も続いた激闘の末に幽玄は敗北し、後に幽玄谷と呼ばれるようになった深い森の中に葬られた。彼の武器は卓越した剣術であり、東洋に伝わる片刃の刀と呼ばれる武器を使いこなした。魔術を扱うことはなかったが三雄とたった一人で渡り合ったという実力は伝説の域であり、武器一つで戦う者として考えるのが難しく思われていたが、魔術を扱えないだけであって魔力を扱う素養と、キャパシティは人並み外れたものだろうと近年では推測がされていた。
彼はその類稀なる強さで魔界の王を下した経験もあり、正に最強の剣士であった。グヴォルト帝国には何らかの事情でやって来たということであるが、それがいつの時なのかは定かではない。富を築いた者へも、貧乏人にも略奪や強奪の限りを尽くした大罪人ではあるが後に語った、三雄の一人であるマクスウェル・ホワイトは、「彼はとても強い人間ではありましたが、卑劣なことはしなかったように思います。いつも連れていた小さなモンスターがいるのですが、彼はそのモンスターをとても可愛がっていたようです。まるで家族のように。彼は確かに盗みを働き、時には人間を殺めることもありました。しかし、彼は弱きを助け、強さを求める、孤高の旅人であったのではないかと……今、振り返れば思います」と紅牙幽玄のことを回想した。
真実は歴史の闇の中。紅牙幽玄という人物がどのような人物だったのか、それはもう二度と確かめようのないことなのであろう。 フォングレイド歴史館 グヴォルト帝史学研究員ジェリー・モンド――』
「吸収!」
幽玄の放った無数の炎の玉をアークが悪魔の懐刀で吸収した。そしてすぐにまた短刀を振るうと炎の玉をそっくりそのまま幽玄へぶつける。しかし、幽玄は右手に持った刀の一振りでかき消した。
「魔術! これが魔術というものか! 何とも心地よい力だ! 全てを思いのままにすることが出来る!」
「光の雨!」
自身の周囲から無数の火柱を立ち上らせる幽玄に向かってシュザリアが魔術を放つ。幽玄の頭上に展開された魔法陣から光が注ぎ、それは物理ダメージを伴って地面を撃ち砕いていく。しかし、幽玄はつまらなそうに展開された魔法陣を見やってから刀の切っ先を向けた。すると、魔法陣が書き換えられて暴発する。
「嘘、どうして!?」
「邪魔だ、小娘」
狼狽したシュザリアに向かって幽玄が接近した。たった一足でシュザリアに近づき、両手に持った白刃を振り切る。両者の間にセブンが割って入り、鮮血が舞い散る。
「セブン!?」
シュザリアとアークの声が被った。だが、セブンは倒れるでもなく斬られながらも幽玄の肩を掴まえて、その足下に魔法陣を展開する。
「泥の嫉妬――アーク、クロエと協力して深魔の穴を封印しろ!」
「小賢しい真似を……!」
両足の動きを封じられた幽玄がセブンに風の魔術をぶつけて吹き飛ばす。刀を足下に突き立てると、そこに魔法陣が展開されて地面全体が泥沼のような泥濘になった。水属性の魔術で水分をそこかしこにばら撒いたのだろう。
「シュザリア、自分の身を守れ!」
セブンに怒鳴られて思考の止まっていたシュザリアが一雫の涙を発動した。足を抜いた幽玄が苛立ちのままに刀を振るい、シュザリアを守る防壁が張られる。しかし、セブンの時とは違って防壁が破られることはなかった。ヒビが入ったものの、すぐにそれが修復された上で激しい反発が生じて幽玄を突き放すように衝撃が発散される。
「この幽玄に破壊出来ぬものはない……!」
シュザリアに向かって幽玄が刀を振り上げると、凄まじい勢いで振り下ろした。刀から衝撃が走り、一雫の涙が発動されると防壁から強い光が発せられる。
「きゃあっ」
「シュザリアっ!?」
だが、一雫の涙は破られなかった。魔法陣の中でシュザリアは尻餅をついていて、自分でも驚いているのだろう。周囲をきょろきょろと見渡してから、幽玄の方を見やる。
「何でか分からないけど、よかったぁ……」
「小娘如きに何故、おれの力が通じない……!」
ほっとするシュザリアに対して幽玄は酷くプライドを傷つけられた。怒りに呼応して魔力が高まるとそれが発散されて周囲がまた酷く揺れた。
「シュザリアの為の魔術なんだから、破られないのは当然だ」セブンが喋り出し、幽玄が鋭い目を向けた。「シュザリアは王族だ。そして一雫の涙の魔法陣には属性指定がされていない。故に発動者固有の魔力に合わせて性質が変化する。王族の魔力属性は光。何者にも効果を及ぼす、強い復元の力を持つ属性だ。一雫の涙は外部からの力を遮断する力だが、それが光の属性によって破壊されてもすぐに、タイムロスなしで復元される。こいつを破りたければ禁忌でも犯すことだな。もっとも、正式な魔術師でないお前がどう足掻こうと、禁忌を犯せるはずはないが。……それと、忠告だ。お前に魔術は扱えない。すぐに使用を止めろ」
話を聞いていた幽玄が憤りのままに腕を振るった。魔力が吹き荒れ、洞窟内をぞわりとした空気が流れる。
「魔術を使えぬ? ならば、この溢れ出てくる力は何だという!? それに――、貴様らはこのおれに手出しが出来ぬ状態であろう」
「ああ……。あんたは強い。魔力で姿を保っていると気付いただけで、魔術の真似事をするなんてことはそうそう出来ることじゃない。だが、あんたは魔術師とは違う。そのペースで魔術を行使し続けてみろ。お前は精神、肉体共に滅ぶことになる」
「戯言だ。我が剣術と魔術に恐れを成して、それらしいことを言っているだけだろう? この幽玄が信ずるは、己の道のみ……!」
刀を下段に構え、セブンに向かって走り出す。舌打ちをしながらセブンは身構え、魔法陣を前方に展開した。そこから無数の水柱が幽玄へ向かって放出される。しかし、それを幽玄は刀の一振りで衝撃波を飛ばして弾く。水飛沫を突破し、セブンに迫ると魔力で刀に炎を宿して大上段から振り下ろす。
「一雫の涙!」
セブンが魔術を発動し、防壁を張る。すぐ幽玄にそれを打ち破られたが、その隙をついて鋭い蹴りを放った。腹部を思い切り蹴り飛ばし、さらに間を詰めて掌底を叩き込む。
「天圧衝……!」
手の平に集中させた魔力を渾身の力で掌底と共にぶつける技だ。それにより、相手の魔力を吹き飛ばしてしまう効果を持つ。だが、幽玄は掌底の一撃を刀の柄で受け止めた上、そこから刃を切り返してセブンを切り払った。右肩から斜めに一閃。血飛沫が舞う。完全に捉えられた刀傷は斬った箇所だけではなく、その周囲までもを抉り散らす。
「セブン!」
シュザリアが一雫の涙を解いてセブンに駆け寄る。それを幽玄は見逃さなかった。一足で跳び、身を捻りながらシュザリアを振り向きつつ刀を振りかぶる。
「来るな、防御だ!」
「遅い……!」
影がシュザリアとすれ違った。力を失って重力に従いながらシュザリアの体が落ちていく。それを見たセブンの目が見開かれた。
「セブ、ン――」
倒れていくシュザリアを振り返りながら、幽玄がにたりとした笑みで口元を歪ませる。確かな感触を味わった。無防備な胴を切り裂いた。血に濡れた刀をぺろりと舐め、奥で深手を負ったセブンを見やる。
「さあ、セブン・ダッシュよ。お前の仲間は死にかけた。どうする?」
「シュザリア……シュザリア、無事か?」
自分の傷も顧みずにセブンはすぐにシュザリアのところへ行き、倒れた彼女の様子を見る。
「痛いよ……大丈夫かな……? もっと美味しいものいっぱい食べたいのに……」
「……ああ、大丈夫だ。美味いもんなら、まだ食える。……食えるから、今だけちょっと我慢しててくれ。……あの野郎をぶっ倒す」
マイペースなのはいつも変わらない。そんなシュザリアに少しだけ救われた気がした。シュザリアに魔術をかけて眠らせるなり、ゆっくりと立ち上がった。下を向いたまま体だけ幽玄を向き、すっと顔を上げる。その表情を見た幽玄の体がビリビリと震えた。凄まじいまでの殺気で総毛立つ。
「いいぞ、もっとだ。……もっと、楽しく戦おう」
「うるせえ。もういっぺん、今度はおれが殺してやる」
怒りの感情に呼応して魔力がセブンから漏れ出る。そして、次の瞬間に幽玄が激しい炎の魔術をぶつけた。しかし、燃え盛る炎はすぐにかき消されて無傷の、汚れ一つない姿のセブンがそこから飛び出した。