No.36 幽玄谷の試練③
洞窟の奥深く、その祭壇に奉られている一つの骸がある。
頭に蜘蛛の巣が張られた、古くて大きな冠を載せた骸骨だ。椅子に堂々と座したままの姿で、その体からは肉が消え去り骨と空洞だけになっている。肋骨の内側には小さな魔物の家族が住み着いている。薄暗く、もうずっと光が差さないそこで幽玄はずっと眠っている。
「さて、幽玄。――この谷に蔓延してる、お前の魔力を消してもらいたい」
暗闇に響くセブンの声。明かりはない。光がなくとも感じることが出来た。その祭壇から発せられている異質なものを。ここから漏れて出て行く魔力が、クラウンクラブの発する煙を増幅させている。煙や、光や、音や、そういった性質で広がりゆくものを増幅させる効果がある。セブンがゴーストバイソンに使った魔術・雷鐘も、通常以上にその効果を発揮したのだ。
「それとも、消したくない理由があるのか?」
声は反響し、虚空に何度も木霊する。
「生意気な小僧めが」
静寂に張りのない、しかし威圧的な声がした。
気配だけを探りながらセブンは暗闇に目を凝らした。やはり、ここに幽玄がいるのだ。そして幽玄谷全体を包む込む霧もまた、この幽玄による仕業であるのだろう。
「生憎、おれは現代の生まれでね。あんたのような、旧時代の遺物じゃない」
「旧時代の遺物か……。その言葉はお前にも降りかかるのではないか、フォースよ」
「おれを知っているのか?」
「その体に秘めている莫大な魔力と、この暗闇にも対応しうる能力の高さ。この谷に入ってからの行動も監視していた。お前はフォースだ」
声の出所がどこなのか、セブンはまだ感知出来ていなかった。どこからか発せられた声ではなく、洞窟内の壁に反響した声だけが届くのだ。
「それはどうも、ご丁寧におれを見てくれて感謝する。だが、おれは今を生きている。死に損ないとは違ってな。だから旧時代の遺物じゃあない。――本題だ。さっさと、天に召されろ」
「出来かねる」
断固とした返事。セブンが眉間にしわを寄せる。一筋縄でいくとは思っていなかったが、案の定、幽玄の返事は固い意志を持っているようだ。
「それなら、どうしたらあんたは消えてくれる?」
「もう一度滅びるか、もしくは我が野心が一片として残らぬ形で満足をするか、だ」
「分かった。それなら、力ずくで滅ぼしてやるよ。――雷鐘」
セブンが轟音と炸裂する閃光を放った。洞窟内、全てがその魔術を増幅させて轟音と雷光が大爆発を引き起こす。固く目を瞑った上に両腕で目を覆ってやり過ごすなり、セブンは手の平に光を灯して周囲を見渡した。骸の中に巣食っていたモンスターが気絶している。しかし、幽玄らしき姿はやはり見えない。
「その程度の魔術で、どうするつもりだというのだ?」
冷ややかな声がしてセブンが振り返ると、そこに着物を纏った半透明の人間がいた。脛の下から半透明に踝では完全に消えている。右目の瞼の上から斜めに大きな刀傷があり、漆黒の髪がまっすぐ重量に従って伸びている。
「あんたが幽玄だな?」
「いかにも。この谷における、永久の支配者だ」骸と同じ体格、背格好。幽玄がにたりと口角を持ち上げた。「そして、我が野望は強者との死闘。――フォースよ、お前はおれを満足させられるか?」
ふっと幽玄が浮いて宙で翻る。そして、そのまま自身の亡骸に突っ込むと、骸骨に肉がついて生身に見える幽玄がそこから立ち上がった。さらに左手を上へ掲げると、どこからか錆びた鞘に入った刀が飛んできてそこに握られる。
「我が名は幽玄。名を名乗れ、フォースよ。それが礼儀だ」
「……フォース・ナンバー・セブン・ダッシュ。セブンだ」
セブンも右手を出すと、そこに片刃の剣が現れる。その剣の切っ先を幽玄へ向け、鋭い視線で睨む。
「では、セブン。――参る!」
幽玄が飛び出して刀を振るった。鞘から抜き放たれた刀身は錆びついていたが、幽玄が振るうとそこに美しい白刃が蘇る。セブンがそれを自身の剣で受け止め、後ろへ飛んだ。確かな手応えが感じられたということは、今の幽玄はやはり生身であるということなのだろう。この状態で息の根を止めれば、谷に満ちる異質の魔力も消え去るはず。
「魔闘流剣術、見せてやるよ」
口の端を歪めてセブンも言い、下段から剣を振るう。すると、その刀身に魔力が満ちて刃を延ばした。幽玄が刀でさらに下方向から受け止め、そのまま流しつつすり足で接近する。その流麗な動作は一切の隙を与えずにセブンを切り払う。しかし、セブンの姿が揺らいで消えた。
「残像……!」
「違う。虚像だ」
幽玄の足下が突然、泥にまみれて絡み取られた。幽玄の切裂いたセブンの真後ろに本物のセブンがいて、魔術を発動していた。泥の嫉妬だ。
「弱くねえか?」
肩越しから振り下ろされたセブンの剣が幽玄を捉えた。その体から血が噴いて、幽玄の目が見開かれる。驚嘆と、狂喜と。さらにセブンの第二撃が加えられて幽玄の体が衝撃で吹き飛ばされる。剣を下ろしてセブンは岩壁にぶつかった幽玄を見やる。
「こんな程度のはずがないんだろう? 出し惜しみならするな。――三雄はおれより、ずっと強かったはずだ」
ぱらぱらと岩から砕けた石が落ちた。幽玄の体がふわりと持ち上がり、平然とセブンの前に立つ。刀を左手にぶら下げ、無防備な姿で目の前にいるフォースを見つめた。
「三雄か。懐かしき名だな。小賢しい連中だった。最初の手合わせではおれに勝てぬと見て魔界へと無理やりに押し込めた。二度目は丁度、魔界でやり合った。あの時はまともになっていたが、それでも一対三という数的優位に立ちながらほぼ互角のまま引き分けた。そして三度目。この森で。我ながら無様に敗北を喫したが、あの戦いほど心地よいものはなかった。魔界の猛者をも霞む、あの高揚感。何度も、何度も、思い出しては恍惚とする。……だが、お前はまだ遠く連中には及ばない」
幽玄の瞳に赤い光が宿る。薄い闇の中に煌くその眼光はまっすぐセブンを射止めて揺らぐことがない。
「そうかよ。好きにしろ。だがそんなおれに対して、まだあんたは有効打を与えちゃいねえぜ?」
「神経を研ぎ澄ませ。感情を露わにするな。死を臆せず、生を渇望しろ。――少しだけ、力を解放してやる」
直後にセブンは両手で握った剣を前に出した。強い衝撃を刀身で受け、びりびりと痺れる両手で押し返す。目に見えぬ速さだった。一雫の涙を発動して周囲を見やると、左側から幽玄が突っ込んでくる。
「虎峰」
刀を前方へ突き出し、その先端が一雫の涙の防壁に阻まれるとそこから力ずくで真横へと薙ぎ払う。すると防壁が破られたのだ。展開していた魔法陣に亀裂が入って砕け散る。セブンが目を見張り、幽玄の薙ぎ払った隙をついて刀を振るう。だが刹那の斬り返しで受け止められると、そのまま軽く払われて刀がセブンの首筋から胴にかけて深く裂いた。倒れていくセブンの体を右足で前へと蹴り倒すと、刀をセブンの顔の真横へと突き立てた。一連のことがほんの一瞬で行われ、セブンには動きを追えなかったし何があったのかも理解出来なかった。
「弱い。これが、――フォースか?」
吐き捨てるような幽玄の言葉。ギリ、とセブンが奥歯を噛み締める。強かった。圧倒されるというのはこのことだ。反撃の余地も見出せず、気付けば負ける。今だって何の気紛れかトドメを刺されなかったが完全に殺されていたのだ。
「生憎……本調子じゃないってのもあってな」
「言い訳を聞く為に生かした訳ではない。早く、おれを満足させろ。お前なら出来るんだろう――?」
脇腹を強く蹴られてセブンが吹き飛ぶ。壁に背中からぶつかると正面から幽玄が迫ってきた。呼吸を整える間もなくセブンは魔法陣を展開する。
「火蜥蜴の爪!」
壁に展開された魔法陣から巨大な炎の爪が現れて幽玄を引き裂こうとしたが、その炎は幽玄の刀の一薙ぎで突破された。しかし、魔術を破った先にセブンの姿がなかった。
「宙圧し」
静かな声がして幽玄が振り向きざまに刀を振るうも、セブンは身を低くした状態で幽玄の体に掌底を当てていた。いつぞやの時とは違い、そこには魔力が込められて重い一撃となる。ゴッ、と鈍い音がして幽玄の体が強い打撃に打ちのめされる。幽体がセブンの掌底を受けたところから陥没し、それから少し遅れるように後ろにしていた岩壁へぶつかってめり込んでいく。
「ぐ、おおぉ……!」
「もう一丁、食らえ。――天圧衝」
大地の重みを全てその手へ乗せて放つ一撃。
岩壁が崩れ、その亀裂がバリバリと広がっていく。幽玄の体は岩へとめり込んでいき、次の瞬間にその体が弾け散るような衝撃に襲われた。