No.26 皇帝候補の決意
日が沈み、西の空に茜色が滲み出した頃、それは起こった。
セブンは外出し、部屋にはアークとメイジだけ。魔術理論についての話を夢中になって語っていた時、突然、地震が起きたのだ。最上階という場所にある分、揺れは大きいのだが、それにしても激しい地震だった。縦揺れし、部屋の中がごちゃまぜになってしまう。
「な、何!? 何なの、これ!?」
「分かりません……!」
机の下に頭を突っ込み、アークが声を上げる。それからメイジが何もしていないのに気付いて、引っ張って机の下に潜らせた。
「地震の時は、こうやって頭を守るんだよ」
「そうなのですか? すみません、世間知らずなもので」
「あ、うん、いいけど……ただの地震のはずないよ、これ……!」
一向に揺れは収まらないどころか、激しさを増していく。寮が壊れてしまうのではないかと思った、その時に窓硝子が破られた。そして、そこから何かが勢いよく入ってくる。
「メイジ・J・グヴォルト。お前を、誘拐しにきた」顔に黒い布を巻いた男が机を蹴り飛ばし、尻を向けている二人に言い放った。「赤髪のチビ、お前が、他の連中に伝えろ。要求は、一つだけ。おれを、満足させることだ。――雷鐘」
雷の轟音が鳴り響き、部屋中を真っ白の閃光が埋め尽くした。そして、アークが再び視力を回復すると、謎の男の姿も、メイジの姿もなくなっていた。
「え……ええっ!? 嘘でしょ!? メイジ!? どこ、どっかいるんでしょ!?」
焦りながらアークが部屋に散らばった物を引っくり返したり、ベッドの下を覗いたりする。だが、いない。口をぽかんと開き、ゆっくりと割れている窓硝子を見やった。風が吹き込む、そこから下を覗き込む。
「これって、ぼく……物凄く、問題視とかされちゃう……?」
ひっ、と息を呑んでから、慌ててアークは部屋から走り出て校舎となっている城へと向かった。
「立場上、こういうことになるのは慣れてるのですけれど……随分と、まあ……大切にしていただいて、申し訳ないですね」
小さく呟いてから、メイジは閉じ込められた部屋を見渡した。いつの間にか眠っていて、気付いたらここにいた。明るくて、綺麗で、清潔感のある上等な部屋だ。高級な革張りのソファーもあれば、お菓子や、紅茶のポット。何冊かの本もあれば、魔業蓄音機まである。ただ、窓はなかった。その代わりに壁に直径30センチほどの魔法陣が発動されていて、そこから涼やかな微風が出ている。
「すみません、少し、よろしいですか?」
ただ一つの出入口となっている扉を軽くノックし、メイジが言った。すると、少ししてから声が返ってくる。
「何だ」
「アークに要求をしていましたが、あなたを満足させるというのはどのような意味なのでしょう? それとも、愉快犯か何かでしょうか?」
問いかけたメイジだが、返事はなかった。小さく息を吐き出してから扉に背を預けて座り込む。誰の目もないという状況への憧憬は少なからずあったが、あまり楽しいものでもない。
「どうせなら……もっと誘拐みたいなことして下さい。軟禁じゃあ、いつもと何ら変わりません。だから、いっそどこの国でもいいから連れてって下さい」
こんなことを自分の住む王城で言ってしまえば大臣にでもキツく叱られてしまいそうなものだが、メイジは扉越しに顔も知らぬ誘拐犯に告げた。拗ねている訳でも、悲観的になっている訳でもない。それなのにメイジはそれを望んでいた。軟禁同然でずっと王城へ閉じ込められて育ったというのもあるし、それ以上に姉のシュザリアがあまりにも奔放だった。それが羨ましくて時には嫉妬もしたし、諦めてしまうようなこともあった。
「ドラスリアムという国がある」
扉の向こうから声がして、メイジはいつの間にか俯いていた顔を上げた。
「最近、紛争が起きたと聞きました」
「その国にはフォースと呼ばれる、強力な力を持つ六人の魔術師がいた。だが、その内の四人が反旗を翻した。突然バカバカしくなったらしい。あからさまに自分たちよりも劣る人間どもの為に、いいようにその力を使わなければならないという使命が。そして封印されていた七人目のフォースも解き放った。七人目はそれこそ最強の魔術師だ。この国で一番強い魔術師だろうと、勝てないほどに。だから……ドラスリアムは今に滅ぶ。哀れな国だった」
声は陰気で、暗く沈んでいた。メイジはそれを聞きながら思ったことを口に出す。
「あなたはその国の方だったのですか?」
「おれもフォースだ。無能なクズどもの命令だけに従ってきた。だが、おれはそれしか知らなかった。誰かに従うことしか出来ない上に、自ら動くことを知らない。フォースとして造り出された時に、そういう性質がつけられた」
立ち上がって、メイジは扉のドアノブを握ってみた。ゆっくり回し、引いてみる。だが当然のように開かなかった。息を吐き出してから扉に寄りかかると、そのまま扉が開いて倒れ込んでしまう。――と、向こうにいた男に支えられた。
「鍵とか、閉めていなかったんですね」
「そこまで指示されていない」
答える男――ダウンはメイジを放して、それまでずっと座っていたのであろう、木箱に腰掛けた。別にメイジを部屋へ戻そうとしなければ、どこへ行こうとしても止めようとする気配を見せない。
「名前……教えていただいてもよろしいですか? ぼくはメイジ・J・グヴォルトです」
「ダウン。魔導対戦用人型兵器・ナンバー・シックス。性質はダウン。呼称、ダウン」
少しもメイジを見ずに、虚空を睨みながらダウンが名乗る。フードをすっぽり被っているが、整った顔立ちは見える。瞳には暗く、陰鬱な光。人形のような印象を受けながら、メイジは少し自分とダウンとだぶらせていた。
「今、あなたに指示を出している人は……誰なんですか?」
「それは言えないことになっている」
「じゃあ、その人じゃあなくて……ぼくに従ってくれるということはあり得るんですか?」
顔を上げてダウンがメイジを見やった。品定めでもするかのようにメイジの全身を眺め、それから眉間にしわが寄る。
「あり得ない」
「どうしてですか? あなたは別に、誰に従っててもいいんじゃないですか?」
「ガキの玩具になるつもりいは毛頭ない。それとも……おれを認めさせるだけの何かを持っているか?」
突き放すように言われてメイジはダウンの手をいきなり握った。そして、自身の魔力を流し込む。その反発でもって互いの魔力許容量がどれだけあるのかを確かめる魔術師の初歩技術だが、ダウンの魔力が多すぎてメイジは強く弾かれた。逆流してきた魔力で軽い吐き気を覚え、メイジは自分の口を片手で押さえた。
「およそ360カセル。ガキにしてはある方だが、まだまだだ」
簡単にダウンは言い放ち、興味も示さない。常人のおよそ3倍に当たるメイジの魔力許容量。成長途中の身でのこの魔力許容量は王族としての血による体質なのだが、それを遥かに凌ぐダウン。圧倒的なまでの差を体感し、メイジは生唾を飲み込んだ。昔、セブンと同じことをしたことがあったが、その時はセブンがわざと手加減をしてごく微量の反発だけに留めてくれた。しかし、ダウンはそんなことはお構いなし。望んでもいないのにずっと甘やかされてきたメイジにはショックよりも、このことが新鮮に思えた。
「誰にも言ってません。ぼくは、この国の皇帝になるつもりはありません」決意を込め、メイジがダウンを見据えて言う。「成人を迎える前。16歳になったら、すぐにでも城を出て、この国から出て行くつもりです。まだ、あなたを認めさせるようなものはありません。だけど……いずれ、何が何でもあなたにぼくを認めさせる。だから、ぼくに力を貸してください」