No.25 次期帝位継承者
「メイジ・J・グヴォルト――? それは何だ?」
フードを被ったまま、相手の顔も見ずにダウンは問うた。
「今回、きみが警護しなければならない方です。勿論、警護ですから何があっても、その方を渡してはなりませんし、きみが傷つけてもいけません」
「つまり、向かってくるのを全て消せ、と?」
「いえ。殿下――ごほん、メイジ様は無益な争いを好みません。そうですね……鬼ごっこ、という風な形で逃げまくってみて下さい」
穏やかな声。相変わらず楽しげで、ダウンはそれが気に入らない。だが、黙ったまま頷いておいた。誰かに仕えることしか知らない。主の為に全てを尽くすべき、と徹底的に教え込まれた。だから、今の主には従わねばならない。――もう、拾ってくれる者などいないから。
「そうそう、メイジ様はグヴォルト帝国においては、とても高い位を持つお方です。くれぐれも、粗相のないようにお願いいたしますよ」
「粗相……? 何だ、それは」
「何だ、とされると少し困りますね。……無闇やたらと汚い言葉や、乱暴な言葉を使わないで下さいね。そういった態度も、NGです。警護をしている間、きみしかメイジ様に頼れる人間はいませんので、そこを察して優しい態度で接してください。もしも、事後にメイジ様から、きみがと……っても、警護をする人間としては不適切だった、という評価をされては、わたしのクビが飛びますから」
「お前のクビが飛ぶなら、見てみたいものだ」
「止めてください、シャレになりません。わたしのような、ひ弱な魔術師はいつ、クビを飛ばされてもおかしくないんですから」
どの口が言うのかとダウンは思ったが、肩をすくめるだけにしておいた。相手はグヴォルト帝国で一番の魔術師。いや、世界一かも知れない。フォースですらも寄せ付けぬ強さ。魔術における創成期からの知識を全て蓄えている。
「それでは、頼みますよ。メイジ様の警護は、夕刻からです。詳細はすでに覚えましたね?」
「分かっている」
「では、夕刻からよろしくお願いします。……そうそう、メイジ様は今回の件をご存知になっておりませんが、バラさないようにして下さい。こればかりはメイジ様に懇願されても、答えないで下さい。面白くありませんので」
「面白く……?」
「ああ、いえ、気にしないでください。それでは、また」
笑顔で言われて、ダウンは背にしていた扉のドアノブに手をかけた。そのまま、部屋を出て行く。何度会っても、何度言葉を交わしても、今の主はよく分からない。――マクスウェル・ホワイト。アレは一体、何者なのだろう。ダウンの中での疑問は、ずっと膨らみ続けるばかりだった。
「メイジ・J・グヴォルト――?」
首を傾げたアーク。目の前にいる少年が、そう名乗ったのだ。美しいブロンドヘアーに、知的に澄んだ碧い瞳。背丈は、丁度アークと同じくらい。年も同じだろう。寮の部屋に訪ねてきた珍客が、本当に名乗った通りならば急いで頭を下げないといけないのだが、それよりも驚きの方が大きい。
「はい。いつも、姉がお世話になっています」
「あ……いえいえ、こちらこそ……でもないけど……うーん……」
正直、シュザリアにお世話になったことが記憶にない。だが、一応、丁寧な返事を試みた。
「アーク・ディファルトさんですよね。飛び級入学で主席って、凄いですね。ぼくも早く、ここに入学してみたいけど、なかなか難しくて」
「凄くなんてないよ――です」敬語になれていないアークは、ちょっと難しい顔になった。「……それで、えっと……何のご用で……?」
恐る恐る言ってみると、メイジはにっこりと微笑んだ。
「いつも姉がお世話になっているので、そのご挨拶にお伺いしました。……セブンは、いらっしゃらないのですか?」
「あ、うん。セブンはもうすぐ帰ってくると思うんだけど……じゃなくて、ですけど――」
慣れない敬語を使うアークにメイジが小さく笑んだ。
「大丈夫ですよ、敬語なんて使わなくても。ぼくは今、従者を誰一人付けていませんので、あなたと同じ、ただの一般人です」
「そう、なの……? じゃあ、こんな口調で大丈夫? 田舎の出身だから敬語なんて使うことなくてさ……」
おっかなびっくり言い、アークは慌ててメイジを部屋の中へ招き入れた。
「はい、大丈夫です。それに、王都も古代大戦が終結されるまでは田舎でしたから。そもそも、あの地はぼくのご先祖様が治めていた小さな地。現在、共通語として出回っている言葉も、昔はあの地方における典型的な鈍りのある言葉でしたから」
「あ、それは知ってる。あとさ、あとさ、王家の紋章が一本の剣だけで龍を平伏させたからって聞いたんだけど本当なの?」
「ええ、本当です。現在もその剣は城に飾ってあります。龍の血を刀身に宿したことで、不思議な力が宿っているそうです。それが何なのかはよく分からないのですけれどね。とにかく、宝剣として玉座の間に飾ってありますから、今度、是非とも見にきてください」
「行っていいのっ!?」
「はい。王城は一般公開されているのですよ。少し堅苦しいところはあるのですけれど、でも、是非遊びにきてください。ぼくはまだ姉様のように自由が認められていないので、一人で王城にいるのも何となく寂しいものなのです」
アークが王城へ行けるということを許され、はしゃぐ。自分でも認める田舎育ちのアークは都会というものに憧れる傾向がある為に、国で一番栄えた王都の、しかも、王城へ行くなんてことは夢のまた夢だったのだ。
「アーク、玄関先で何を話して――殿、下……?」
2人に声がかかり、振り返るとそこにセブン。だが、メイジを見た目が大きくなって、引きつっていた。
「久しぶり、セブン」
「お久しぶりです、殿下。何故、このような場所へ……?」
膝をつき、セブンが頭を垂れた。メイジはにこやかに微笑んでから、しゃがんでセブンの肩を叩く。
「ちょっとだけ、お話がしたくなったから来た。セブン、お願い。楽にして。姉様みたいに」
「しかし、殿下は次期皇帝陛下となられる身分にあります。わたしのような者が――」
「勅命。……これでも、ダメ?」
難しい顔をした後でセブンがゆっくりと顔を上げた。不承不承、といった苦い顔をしながらメイジを見て、じっと瞳を見つめる。それから、ため息をついた。
「国の未来が心配になる……」
「そんなの杞憂に終わるよ、セブン。……中に入れてよ。立ち話じゃあ、足が疲れちゃう」
「分かった。……どうぞ、殿――メイジ。……学生の部屋へ」
メイジが玄関から部屋へと上がりこんだ。物珍しそうに部屋の中を見渡して、それからふと目についたアークの机へ向かう。そこに広げられていた紙を見て、続いて、その隣のセブンの机を見やる。整然と片付けられており、埃一つない。
「凄いや。……人が暮らしてるって気がする」
「何で、そんなこと……?」
首を傾げたアークだが、セブンは目をそっと伏せた。
「王城は、毎日、毎日、綺麗に片付けられています。朝起きて、夜眠るまでにやったことが全部、翌朝にはなくなったことになっているんです。あんまりにもお掃除が行き届いているせいで。どんなに散らかしても、どんなに汚しても、翌日は何もなかったかのようになっています」
「それじゃあ……何か、寂しいね」
「正直、寂しいです。……だから早く、この学院に入りたいのですが、なかなか許して貰えません。完璧な生活なんて、ぼくは求めません。完璧なものなんて、求めたくありません。でも、王家の者としてはそれを追求しなければならない。……なまじ、ちゃんと教育を受けたせいでしょうか。姉様みたいに奔放には振舞えなくて、何だか……自分が嫌になりそうです」
セブンが紅茶を淹れ、メイジに椅子をすすめた。ティーカップの置かれたソーサーを机へ置き、セブンは自分のベッドへと座る。シュザリアが王城にいた頃は、メイジの世話も少なからずしていた。姉弟ということで一緒にいる時間が多かったのもそうだが、シュザリアにとってのセブンのような存在が、メイジにはいなかった。日替わり、週替わり、いつも、違う人物がやって来ては腫れ物にでも触れるかのようにメイジに接する。だから、時折、セブンはメイジが不憫に思えた。
「メイジ。……愚痴こぼしにきたのか?」
「……うん。それも、理由の一つ。もう一つ、セブンに相談したいことがあるんだ」紅茶を一口すすり、メイジがセブンを見た。「姉様じゃなくて、ぼくの……従者になって欲しくて」
アークが目を丸くした。セブンの持って来たクッキーを手からこぼして、メイジを凝視する。
「セブン。……お願い。ぼくは、姉様よりもちゃんとしてるから。姉様より、勉強もしっかりやるし、迷惑をかけないから。だから……。……ごめん、ムリだよね」
「……悪いな、メイジ。でも、お前に何かあったときは……力になってやるから」
「それは、国のために? 父上のため? ……姉さまのため?」
「何言ってる。……お前のため以外に、理由なんかないって」
アークの机の椅子に座り、メイジの肩に腕を回して抱き寄せた。シュザリアより真面目で、シュザリアより知的で、国の将来を考えればずっとメイジの方が優れている。――だが、中身はまだまだ未熟だ。むしろ、周囲の尽力の賜物なのか、大人へと生き急いでさえいる。そのせいで、精神的に弱いところが出来上がってしまった。そこを知っているから、セブンはあえてメイジを片腕に抱いた。
「何日かは、いるんだろう。その間、何回だってここへ来ていい。だから、変なことは言うなよ。おれはお前の友達には立場上なれない。でも、アークはもう、お前の友達になった気でいるから」
「うんっ。王城に遊び行っていいんでしょ? そしたら、メイジの部屋とか見せてね。美味しい料理とか、いっぱいあるでしょ?」
底抜けに明るい笑顔でアークが詰め寄り、メイジは微笑んだ。セブンの腕から離れて、アークに頷いて見せる。恐らくは、政治や、大人の策謀の絡まない、初めての同世代の友人。2人を見つめ、セブンはそっと息をついた。
(正直、シュザリアの従者よか、メイジの従者やってた方が気苦労はしないだろうな……)
そんなことを、まんざらでもなく考えてしまっていた。