政略結婚をどうするかは本人次第
よくある婚約破棄ネタです。
ざまあ要素は薄味です。
麗らかな日差しが心地よい春の昼下がり。中庭のベンチで蕾が綻び始めた花々を愛でながら昼食もいいわね。
片手でつまめるサンドイッチを昼食にしてもらって正解だわ、と思っていたら、せっかくのランチタイムが台無しになりそうな気配がした。
「おい、エレオノール」
乱暴な呼びかけに眉を顰めながらも、エレオノールは丁寧に礼を取る。
「デイル殿下、ご機嫌麗しく……」
笑顔を貼り付けて頭を下げれば、苛立ちが降ってきた。
「ふん、ご機嫌が麗しい訳がないだろう。馬鹿にしているのか」
「ご挨拶を申し上げただけですわ」
憤慨で血管が切れそうな顔を真っ赤にしているのは、この国の第一王子にして、婚約者のデイル殿下だ。正確に言えば、押しつけられた婚約だが、国王陛下からラミアン伯爵家への申し入れでは断ることなど出来ない。
(仮にも王族なのですから、立ち居振る舞いくらいは教育をなさっていただきたいですわね)
品性の欠片もない王子を押しつけられる身にもなって欲しい。これでは、大公家はおろか、公爵や侯爵の家からも婚約を辞退されるだろう。だが、エレオノールの家は、平均的な伯爵家。王家との姻戚関係もなく、権力とは無縁だが、それなりに豊かな所領はあり、生活には困らない。
「お前、アマンダをいじめているだろう」
王族らしい繊細で美しい顔を歪め、睨みつけてくる。絹糸のような金髪も、翡翠の輝きを持つ瞳も麗しい。見た目だけはかなり上等な部類だ。怒りに満ちた顔ですら、美しいと言っても差し支えはない。
「アマンダ様?どちらのアマンダ様でしょう?」
アマンダはありふれた名前だ。家名を聞かねば誰かは分からない。
「とぼけるな!アマンダ・レスリーだ」
「レスリー男爵令嬢ですか……。直接面識はございませんが」
学年一の美人と評判の令嬢だから、遠目に見たことは何度かあるが、それだけだ。貴族の子女が通うこの学園は、建前上は身分の差はない。だが、結局のところは同じクラスにでもならなければ、身分を超えた友人になるのは難しい。
「嘘をつけ!俺の婚約者だからと付け上がって、アマンダにあれこれ嫌がらせをしていると聞いているぞ」
「失礼ながら申し上げますが、レスリー男爵令嬢は、家政科だったと記憶しております。わたくしは、経営科ですからクラスが違いますわ」
貴族令嬢の多くは家政科に属すが、エレオノールは伯爵家の嫡子と定められているから経営科に所属している。
「ふん、それがどうした。嫌がらせはいくらでも出来るだろう」
何を言っても無駄だと悟ったエレオノールは小さくため息をついた。それをどう解釈したのか、デイル殿下は翡翠色の目を吊り上げた。
「第一、王妃教育も受けていないそうだな。経営科に通う前にすることがあるだろう」
王妃教育は必要ないから受けていないだけなのだが、面倒だから説明を放棄する。
「お前みたいな怠け者で、性根の腐った女とは婚約を破棄する」
発言が飛躍したな、とは思ったが、婚約破棄は願ったり叶ったりである。
「そもそも、父上の命でもなければ、俺が伯爵家ごときから妃を娶ることなどあり得ないことだったのだからな。アマンダみたいに美しければ、側室か公妾くらいにしてやってもいいが、お前みたいな平凡で地味な女では、その価値もない」
エレオノールは、言葉を失った。どこまで愚かなのだろう、と。自分の立場すら正確に認識していないなど、王家の教育方針を疑いたくなる。
「承知いたしました。書面の取り交わしにつきましては、後日」
礼を失しないように挨拶をするが、地面を見つめるエレオノールの顔は笑っていた。
無事に第一王子殿下との婚約が白紙になり、エレオノールは晴れて自由の身となった。
父に婚約破棄をされたことを報告したら、深いため息をついた後で、安堵の表情になった。王子の気が変わらないうちにさっさと書面の取り交わしが完了したのは、準備をしていたからに違いない。
「婚約者を探さないといけないわね」
自邸のテラスで、妹のエレインとお茶を飲みながら、のんびりと菓子をつまむ。
「あら、あの麗しい殿下と婚約破棄したばかりなのに」
おかしそうに笑いながら、エレインも好物の焼き菓子を手に取った。
「まあ、見てくれだけはよかったわよね」
婚約をしてから三年。直接会ったのは数えるほど。手紙も贈り物ももらったこともないし、夜会やお茶会に共に行ったこともない。たまに会えば、いつも不機嫌さを隠さなかったし、言葉も交わしたこともほぼない。先日の婚約破棄の発言の時が唯一まともに会話をした時と言えよう。
「それにしても、王家の教育はどうなっているのかしら。王子殿下が王位を継ぐおつもりだったようよ」
「本当ですか?爵位を持つ家の者でしたら、そんなことは無理だと誰でもお分かりになるでしょうに」
まだまだ少女らしさが抜けきらぬエレインですら知っている常識だ。
「わたくしとの婚約が陛下の温情だとお分かりにならなかったようね」
「婚約が無事に破棄出来て良かったですわね、お姉様。そこまで愚かな方でしたら、我が家を潰されかねませんでしたわ」
エレオノールに妃教育は必要なかった。何故なら、エレオノールは次期伯爵であり、王子は婿入りする予定だったのだから。
「そうね。でも、出来ればもう少し早めが良かったわ。もう卒業まで時間がないもの。これから婿探しは大変よ」
貴族の子女が通う学園は、婚約者探しの場でもある。二十歳そこそこが適齢期だから、学園に在籍中に婚約を済ませるのが一般的だ。
「あら、我が家なら婿の成り手はいくらでもいらっしゃるわ。伯爵家なら、上からも下からも婿を迎えられるもの。所領も豊かですし」
この国では爵位の継承に男女の差はない。多少男子が優位な傾向はあるが、性別に限らず第一子としている家も多い。
「そうね。政略結婚をどうするのかは本人次第ですもの」
貴族同士の結婚は、政略結婚。家同士の利益を最優先とする。そこに愛や友情、尊敬を育むかどうかは全て本人次第なのだ。
「お父様とお母様はそれなりに仲がよろしいですからね」
父と母も家格や領地の釣り合いから選ばれた婚姻相手だった。燃えるような愛情はないが、親友のような関係性だ。暇さえあれば、共通の趣味である盤上遊戯に興じるくらいには仲が良い。結婚までは三回しか会わなかったのだが。
「エレインはいいわよね。ジュールなら気心が知れているもの」
エレインの婚約者は、隣の領地の伯爵家嫡子のジュールだ。ジュールと二人の弟たちも含め、エレオノールとエレイン姉妹の幼馴染だ。恋愛感情はないが、釣り合いも取れているし、心やすい仲だ。
「ときめきはないけれど、政略結婚にしては上出来だと思うわ。倍以上の年齢の相手なら、寝込んでしまいそう」
本人の意思など関係ない政略結婚では、年齢差もよくあることだ。
「そうね。私もそうならないように頑張らないと」
どうしようもなかったら、エレイン夫妻のところの子を養子に迎える前提で独身を貫いてもいい。政略結婚をどうするかは本人次第だが、不幸になると分かってまでする必要はない。
美味しい焼き菓子をつまみながら、姉妹の会話は弾む。暖かな春の午後は、ゆったりと流れていった。
婚約破棄をエレオノールにつきつけた翌日、伯爵家からサイン済みの書面が届いた。意気揚々とサインをして送り返し、デイルは父王に謁見を願い出た。
待たされることしばし。王の執務室に通される。
人払いがされているのか、父王以外誰もいない部屋に、二人分のお茶が湯気を立てていた。
「お前は愚かだと思っていたが、ここまで愚かだとは思わなんだ。やはり、ミリアに任せたのが間違いであった」
はあ、と深いため息をつかれ、デイルは意味が分からなかった。
「ラミアン伯爵令嬢との婚約を破棄したと聞いた」
「はい。王妃教育も受けず、下位の令嬢をいじめる性根の悪さを見て、私の婚約者に値しないと判断いたしました」
胸を張って言えば、父王の目が見開かれた。
「ここまで愚かとは……。はあ、わしの温情を無にしおって」
「何を?」
「ラミアン伯爵令嬢に王妃教育は必要ない。彼女は次期ラミアン伯爵だからな。そもそも、ラミアン伯爵家は王妃になれる家ではない」
「では、何故……」
婚約者になったのか。
「お前が将来困らないように、という親心だ」
再び深くため息をつき、父王は窓の外を見る。
「どういうことですか?」
「お前には王位継承権がない」
「え?」
父王が何を言っているのか分からなかった。
「私は、父上の唯一の男子ですよ」
「まさか、それすらも知らないのか」
ああ、と頭を抱える父王。
「我が国では、王位継承権を持つのは王妃と側室の子だけだ。公妾の子には一代限りの王子王女の称号は与えられるが、王位継承権はない」
「な……」
父王には、正室の王妃と側室が一人いるが、いずれも女子しかいない。
「わ、私は男子ですよ?王妃殿下や側室には、女子しかおられないでしょう」
「それがどうした?王位継承権に男女の差はない。王妃の子が最優先だ。王妃に子がない場合は、側室の子が一番になるが……」
「う、嘘だ……」
確かに母は公妾だが、唯一男子を産んだ。それ故に大切にされているのだと認識している。
「過去、不幸にも王妃と側室に子がなかった時、公妾の子が即位した例外はあるが、その場合は、国王の四親等以内の大公家か公爵家から配偶者を迎えている」
「では、私が大公家か公爵家から配偶者を迎えれば……」
「特例だと言っているだろう。わしには、王妃との間に三人の娘がいる。側室にも娘が一人いるのだ。逆立ちしても、お前に王位継承権はいかぬ」
三人の姉たちも、一人の妹も、婚約者は大公家か公爵家の令息だ。だからこそ、伯爵令嬢が婚約者であることが受け入れがたかった。男爵令嬢であるアマンダは魅力的だが、王妃に出来ないことも理解している。
「そもそも、我が国では王妃は王家の縁戚にあたる侯爵以上の家出身の者しか認められておらん。側室も王家の縁戚の爵位を持つ家の者だ。公妾は、王家の血を持たぬ貴族と決まっている」
「それは……」
デイルの母親は爵位を持たない官僚貴族の娘だ。女官として王家に仕えている内に父の手が付き、公妾に迎えられた。
「だから、ラミアン伯爵令嬢との婚約を調えたのだ。ラミアン伯爵家は、王家の血を持たないから、次代以降も争いになることもない。領地は豊かで、エレオノール嬢が嫡子と定められていた。お前の婿入り先としては最適だと思った……」
「では……」
喉が引き攣り、声が上手く出てこない。王位継承権がない、という事実に足元が崩れそうだ。唯一の男子である自分が、いずれ王太子になると信じて疑ったことはなかった。
「王位継承権がないからと、お前の教育に口を挟まなかったわしの落ち度だな。こんな常識も知らぬとは……」
ラミアン伯爵令嬢に申し訳ないことをした、とすっかり冷めたお茶に口をつける父王は、少し老けたようにも見える。
「残念ながら、レスリー男爵令嬢は嫡子ではないようだから、婿入りは難しいな……」
「え?」
「またお前の婿入り先を探さないといけぬからな。成人した公妾の子には予算がつかぬのだ」
「そ……そんな……」
ようやくデイルは自分が何をしたのか、理解できた。生涯にわたって困らぬようにと調えられた婚約を破棄してしまったのだ。たかが伯爵家と侮っていたが、父王の言葉を聞いたいまでは、いかに最適な婚約であったのかが分かる。
「わしとて親だ。我が子は可愛いが、他者に無理強いは出来ぬ。お前、ラミアン伯爵令嬢とは今後関わるなよ。新たな婚約に支障をきたしては、申し訳が立たないからな」
ようやく受けてもらえた縁を無碍にしおって、と再び深くため息をつく父王を見ながら、デイルは膝から崩れ落ちた。
第一王女の立太子の儀に、新米伯爵として参加したエレオノール。その隣には新たな婚約者がいる。妹のエレインの婚約者ジュールの友人の伯爵令息アンリだ。女傑と名高い姉がいるおかげか、非常に穏やかで優しい性格をしている。
エレインとジュールを含めた四人での交流から始まり、自然と二人で会うようになった。アンリは茶色い髪に薄緑の瞳の、平々凡々な容姿をしている。学校の成績も平均より少し上。特出したところもないが、悪いところもない。家格の釣り合いも取れている。
(でも、落ち着くのよね)
恋愛感情はないが、昔からの友人のように居心地が良い。甘いお菓子が好きで、お茶を淹れるのが上手い。領地経営は任せられないが、書類整理は丁寧な仕事ぶりを見せてくれる。毒にも薬にもならない人だが、悪い人ではない。
(政略結婚をどうするかは本人次第。アンリとなら、そこそこ幸せな生活を送れそうだわ)
二人で一緒に年老いて、田舎の領地で甘いお菓子をつまみながらティータイムが出来れば、上出来な人生だわ、とエレオノールは真っ直ぐに前を歩く。
煌びやかな壇上の主役の王太女の近くで青い顔をしている第一王子は、もうエレオノールの人生には関係ない。
エレオノールはただ自分の幸せだけを考えている。