【7杯目】 白い結婚
エルシャール帝国の帝都ラシフェンは眠らない。歓楽街は真夜中を過ぎても煌々と店の明かりが灯る。
その歓楽街の一画。路地を入り込んだ場所にある隠れ家的な酒場『ルンウッド』。一見客ではたどり着くことが難しいために、店内は常連客で賑わっている。
トリニティ、イングリッド、アプリコットの三人娘も、いつもの通りに『ルンウッド』での週末女子会の真っ最中だった。
思い出したように、がさごそと鞄の中身をかき回すアプリコット。一冊の本をテーブルの上に置いた。表紙には書店の名前が記された茶色のカバーをかけてある。
「え? アプリコットさんって読書するんですか?」
それを見て意外そうに尋ねるトリニティ。
「トリニティは失礼なコにゃ。アプリコットは文学少女にゃよ! これはイングリッドに借りてたにゃ」
「少女……」
じとっとした視線のトリニティを無視するアプリコット。
「イングリッド、ありがとにゃ~。とっても面白かったにゅ」
「アプリコットの趣味に合ってよかったよ。ルルゥにすすめられて買ったんだけど、うちにはあんまりピンとこなくてさ」
ルルゥはギルドの事務方の職員である。読書も趣味のひとつであるイングリッドは、同じ趣味を持つ仲間からおすすめの本を紹介してもらっていた。
「確かに現実主義者のイングリッドよりも、どちらかといえばトリニティのほうが好きそうにゃ」
「えー? なんの本ですか? それ」
燻製にしたチーズと完熟オリーブのオイル漬けにフォークを伸ばしたトリニティはイングリッドに尋ねる。
「最近流行ってる恋愛小説だよ」
「異世界が舞台にゃ」
「面白そうですね。本のタイトルは?」
興味をそそられたトリニティはアプリコットが持つ本を覗き込む。
「えーとにゃ……ちょっと待つにゃ」
かさかさと表紙のカバーを外すアプリコット。
「『ツンでデレな有能腹黒にゃんこ上司に溺愛されちゃいました。~大企業の若手部長は超デキるハイスペックなスパダリ上司。お見合いから逃れるために恋人契約した私ですが……。えっ!? 契約ですよね? なのにそのまま結婚!? 白い結婚じゃダメですか!?~』っていうのにゃ」
「ながっ! タイトルながっ! なんでそんなに長いんですか? 憶えられないですよね?」
「それ、流行りらしいよ」
「そうなんですか……。どんな内容なんですか?」
「タイトルそのままにゃよ」
「そのまま? 『ツンでデレな有能腹黒にゃんこ上司に溺愛されちゃいました。~大企業の若手部長は超デキるハイスペックなスパダリ上司。お見合いから逃れるために恋人契約した私ですが……。えっ!? 契約ですよね? なのにそのまま結婚!? 白い結婚じゃダメですか!?~』っていう内容なんですか?」
「そうにゃ。……憶えてるにゃんか……」
「え~っ。面白そうですね!」
「トリニティならそう言うと思ったにゃ。イングリッド、トリニティに貸してもいいかにゃ?」
「いいよ。どうぞ。気に入ったならあげるよ」
「わーい♪ ありがとうございます。……ところで、白い結婚ってなんですか?」
「簡単に説明すると、初夜を持たない偽装結婚ってやつ」
「偽装……」
「そうにゃ。偽りの契約夫婦を演じるにゃ。目的はあったりなかったり。お決まりは『あなた(貴女・貴方)を愛することはない!』っていう台詞からの溺愛だにゅ」
「愛することはないって宣言してるのに溺愛しちゃうんですか?」
「そうだにゅ。そこに到るまでの展開が萌え♡萌え♡なのにゃ」
「なるほどぉ。そして真実の愛にたどり着くんですね! ロマンティックです♡」
「にゃ。トリニティ向きの物語にゃよ」
「確かに現実主義者のイングリッドさんじゃピンとこないかもしれないですね~」
「にゅにゅ。イングリッドの好みは……そうだにゃ……『金融無双! ~異世界に転移したら社長になりました! 異世界の知識で特許を取って大儲け! 気がついたら経済界を牛耳ってます! 陰の支配者と呼ばれた私ですが、結婚? そんなの興味ありません。気の向くまま風の吹くまま両手に花で楽しく生活します!~ 』なんてどうかにゃ?」
「へえ、面白そうじゃん」
「うわぁ……。とってもイングリッドさんっぽいです」
「ふふふっ」
「じゃあ、じゃあ、わたしだったらどうですか?」
「にゅ~……トリニティは……」
腕を組んで目を瞑りアプリコットはしばし考える。
「そうにゃね……。『転生した受付嬢は真実の愛を探す。 ~階段で滑って頭を打ったら前世の記憶を思い出しました! え? 貴方も転生者で私の運命の人!? でもまだお互いのことを全然知らないし……付き合ってくれと言われても困ります。わたし、どーしたらいいですか!? 誰か教えてっ!』」
「すっごいトリニティっぽいね」
「頭を打つのは痛そうですぅ」
「しょうがないにゃ。それがテンプレというものにゃよ。じゃあ次はアプリコットだにゅ」
「あ、わたし考えました! アプリコットさんはですね……『前世の記憶で無双します! たこ焼き女将細腕繁盛記! 美味しいタコの見分け方を教えます! 胃袋をつかんだら勝ったも同然! わたし、失敗しないんです。前世はタコでしたので!』なんてどうですか?」
「いいじゃん! それ最高!」
「そうにゃ。前世がタコだから美味しいタコの見分け方はわかるにゃー……って、そんなわけないにゃ!!」
「あ、お兄さーん、今日はタコのピリ辛揚げある? え? もう売り切れ? さすがアプリコット大人気じゃん! よかったねぇ」
「アプリコットさん、すごいです!」
「にゅにゅにゅ……にゅーっ!!!」
悔しげなアプリコットの叫び声も酒場の喧騒に紛れて、今夜もまた『ルンウッド』の夜は更けてゆくのであった。