【5杯目】 異界転生
ここはエルシャール帝国の帝都ラシフェン。
ダンジョン特需に潤うこの街は、不夜城とも呼ばれている。真夜中を過ぎても歓楽街に煌々と灯る明かりは消えることがない。
その歓楽街の一画。路地を入り込んだ先には、隠れ家的な酒場『ルンウッド』がある。一見客ではたどり着くことが難しいために、店内は常連客で賑わっている。
週末の今夜はトリニティ、イングリッド、アプリコットの三人娘も、いつもの通りに『ルンウッド』での女子会の真っ最中だった。
「第二皇子様の婚約者様の噂ってもう聞いた?」
イングリッドのグラスの中で、氷がカランと音を立てる。
「もちろんですよ。週刊クラッシュからも特集号が出てました!」
「トリニティ、それ、買ったにゃか?」
「もちろんです!」
「……ミーハーだにゃ」
「なに言ってるんですか? こんなの絶対買いますよね? だって世にも珍しい前世の記憶持ちですよ?」
エルシャール帝国のレオ第二皇子の婚約者であるベルーナ男爵家の令嬢ライナ。彼女は転んで頭を打った拍子に、前世を思い出したということだった。なんでも前世は異世界で働く平民の女性だったらしい。
男爵家に出入りする下働きがたまたまその話を漏れ聞いてしまい、それを幼馴染みの新聞記者に話した。その新聞記者がライナ令嬢にインタビューを申し込み、スクープとしてすっぱ抜いたのである。ただし、真偽のほどは公式には発表されてはいない。
「異世界の生活とかを詳細に語ってるんですよ。向こうはどんな世界なのか興味あるじゃないですか」
「まあ、興味はあるよね。でも、うちらには異世界がどんなところかわからないから、それが本当かどうかもわからないけど」
「そうだにゅ」
「その点なら、異世界から召喚した勇者にも裏をとってあるらしいですよ」
「その勇者も本物?」
「もう! 疑り深いですね~。生まれ変わりがあるんですよ! 夢があるじゃないですか」
なにを考えているのだか瞳を潤ませ、うっとりと夢見心地のトリニティ。
「トリニティ、大丈夫にゃ。トリニティは生まれ変わってもトリニティのままだにゃ」
深く頷くアプリコットとイングリッド。
「なにか……含みがありますね」
「そんなことないにゃ!」
「ないよ。全然ない」
二人揃って顔の前で手を大きく左右に扇いだ。
「まあ、いいですけど。それでですね、異世界って空を飛ぶ鉄の箱とか、ものすごい速さで走る鉄の箱とか、遠くの映像を映せる箱とか、冷たいままや凍らせて保存できる箱とか、離れた人とお喋りできたり、本になったり、世界中の人と一瞬で意見が交わせる板なんかがあるみたいなんですよ! ほかにもたくさんたくさん! すごくないですか? わたし、異世界に生まれ変わってみたいです」
「なんかやたらと箱が多いにゃ」
「異世界も案外こっちと変わらないような気がするけど」
「確かにゃ! 魔術師に頼んだらお安い御用にゃ☆」
「ところがですね、異世界には魔術がないんですって」
「ん? じゃあ、どうやって空を飛んだり凍らせたりしてんの?」
「だ・か・ら不思議なんですよ~」
トリニティは自分のことのように得意そうな表情をした。
「はぁ~。不思議な話にゃ。それこそまるで魔術みたいにゃね!」
大好物のタコのピリ辛揚げを頬張り、舌鼓を打つアプリコット。
「そういえば……。アプリコット、この前、不思議な夢を見たって言ってなかった?」
「どんな夢ですか?」
「にゅ。海の中で泳いでいて、手頃な壺を見つけたにゃ。そしたらその壺の中にとっても入りたくなっちゃった夢にゃよ」
「アプリコットさん、それ、前世の記憶じゃないですか?」
「にゃ?」
「つまり、前世はタコってこと」
「そうですよ~。だから共食いになっちゃいます。わたしがこれ、いただきますね」
トリニティはアプリコットの手から、フォークに刺してあるタコのピリ辛揚げをさっと奪い取る。そして自分の口に素早く放り込んだ。
「にょ!? それ、最後の一個だったにゃ!」
「おふぃしぃ~♡」
「にゅにゅにゅ。食べ物の恨みは忘れないにゅ!」
「まあまあ。また頼めばいいじゃん。あ、お兄さん、すみませーん。……タコのピリ辛揚げをもうひとつ! ……え? もう今日はないの?」
「トリニティ……やってくれたにゃ。この恨み晴らさでおくべきか~」
「アプリコットさん。顔が怖いですよ~。そんなにしかめっ面してたら眉間にもっと小皺が増えちゃいますよ」
「にゃんと!」
「ふふふっ」
若干、不穏な空気を孕みつつ、今夜も『ルンウッド』での夜は喧騒の中に更けてゆくのであった。