【9杯目】 無自覚チート
ここはエルシャール帝国の帝都ラシフェン。
その歓楽街の一画には、美味い酒と肴と軽食を手頃な価格で提供する店『ルンウッド』がある。入り組んだ場所にあるために、一見客ではほぼたどり着けない。広くもない店内は常連客で毎夜のごとく賑わっていた。
そんな『ルンウッド』のいつもの週末の夜。そこにはいつもの光景がある。中堅ギルド勤めのアラサー三人娘、トリニティ、イングリッド、アプリコットの週末女子会が開かれているのだ。
「この間のライラで起きた魔獣のスタンピードの件だけどさ」
ライラとはラシフェンの南に位置する都市である。平野に都が築かれたラシフェンとは違い、西側に山岳地帯を擁する。人口は東側の麓の平野部に集中している。地方から帝都へのさまざまな物資の中継点、そして南側の防衛線ともなっている中規模都市だ。
「にゅ? やっぱりアレはスタンピードだったのかにゃ」
「確定されたって聞きましたよ」
十日前にラシフェンのギルド統括本部に、ライラからの緊急支援要請が入った。対魔王軍用の魔術回線が使用されたらしい。本部からの通達を受けたギルドからは、魔王軍の一斉蜂起か?! と緊張が走った。登録者たちに緊急招集をかけると、希望する者たちを本部所属の魔導士たちがライラへと転送した。
現地の様子を把握するために三人娘の勤めるギルドからも、現場責任者のラムドが派遣されていた。
そのラムドが先日にライラから戻ってきたのだ。
「山の方に大規模なダンジョンが出現したんだって。そこから一斉に湧き出したらしいよ」
「うわぁ……。山側からですか……」
「大規模っていうと、どれくらいかにゃ?」
「立ち聞きしてきたルルゥの話だと、完全制圧までは少なくとも三ヶ月以上はかかるんじゃないかって言われてたらしいんだけど……」
「三ヶ月以上!?」
「マジかにゃ?!」
「マジマジ……なんだけどね」
イングリッドはそこでゆっくりと口角を上げて言葉を切った。
「『なんだけどね』ってなんですか?」
「もったいぶらずに早く教えるにゃ」
「それがさ……ライラに送られた中にどうもすごい手練れがいたらしくってさ。ダンジョン内の魔獣を一瞬で斬り倒して、あっという間に半分ほどまで進んだんだって。だからあと半月もあれば制圧は終了するだろうって」
イングリッドの言葉にトリニティとアプリコットは顔を見合わせる。
「それって……もしかして異世界の勇者ですかね?」
「ぽいにゃ」
「さあねぇ? ライラはまだ混乱してるからそこらへんは詳しくは分かっていないみたいだけど。それでね、噂になってることがあって。ほとんどひとりで魔獣を斬り倒したあとに、唖然としてる周囲を見渡して『あれ? どうしたんですか? 私、なにかやっちゃいましたか?』って。きょとんとしてたって」
「え……天然さん、ですかね?」
「……ぽいにゃ」
「あくまで、噂らしいけど」
イングリッドは、かりかりのポテトを混ぜたふわふわのオムレツにフォークを伸ばす。その上にかけられたチーズとベーコン入りのカルボナーラソースをオムレツに絡めた。
「ユーリッヒさんとモーリスはライラへ行ってるんですよね?」
「にゃにゃ。行ってるにゃ。バスクのパーティーも行ってるにゃよ」
アプリコットの『バスク』の言葉は完全に無視したトリニティ。
「帰ってきたらぜひ話を聞いてみましょう!」
「ダンジョンから流れ出した魔獣たちの討伐も大方済んだっていうから、近いうちに帰ってくるんじゃない?」
「帰ってくるの楽しみですね」
「ユーリッヒもモーリスも遊びに行ってる訳じゃないにゃよ。まずは無事を祈るにゃ」
「それは分かってますよ~。でもユーリッヒさんやモーリスは大丈夫です!」
「上級魔術師だしね。よっぽど下手を打たなきゃ大丈夫だとは思うけど」
「その天然さん、どんな人なんでしょうね! 見てみたーい♪」
「トリニティはやっぱりミーハーにゃね」
「だって知りたくないですか?」
「アプリコットは魔王軍の挙動のほうが心配にゃ~。第一種戦闘配置になんてならないといいにゃ~」
「そんなにすごい冒険者がいるなら、魔王軍が蜂起してもきっと大丈夫ですよ」
「トリニティのそのお気楽さがうらやましいにゃ~」
「ダンジョンの制圧が完了したら正式な報告が上がるだろうし、ね、今から心配しても仕方がないよ。それに勇者でも勇者じゃなくても、どのみちエルコールの登録者じゃないの?」
「あー……やっぱりそうなんですかね~。大手のエルコールばっかりずるいですぅ。たまにはうちのギルドに登録する物好き勇者とかいないんですかね~」
「にゃ! それにゃ! いい考えにゃ! うちに登録してもらって仲良くなれば、何があっても真っ先に守ってもらえるにゃよ!」
「ふふふっ。そうきたか」
「さすがはアプリコットさんです! あざとい!」
ラシフェンを取り巻く情勢が若干不安要素を孕みつつも、今夜も『ルンウッド』での夜は騒がしく更けてゆくのであった。