13話「……おかえり」
「……………………」
それでまぁ、懐かしい夢を見たりして。ああこれが走馬灯かと、今度こそ本当に死んだものだと、そう思っていたのだが。存外人間はしぶといもので、私は生きていたらしい。重い瞼を開ければ、真っ白い天井が目に入った。あ、ここ知ってる。保健室だ。
「っ、ラペ……!」
「……せん、ぱい?」
ここには師匠による無茶な訓練のせいで何回も運ばれたな、なんてことを思い出す前に。私はすぐさまその白を遮るように飛び込んできた黒紫に瞳を瞬かせる。あれ、先輩……先輩……?
っ、先輩!
「っ、せんぱ……っ、げほっ……!」
「……今は、声を出さない方がいい。まだ治りかけだと言っていた」
「……?」
思わずガバッと起き上がる。なんでここに? 狂化は解けたの? っていうか今どういう状態? もう具合とか悪くない? そんないっぱいの疑問をぶつけようとして、しかし痛む喉にそれは邪魔された。
咳き込む私を見てか、私よりも余程辛そうな表情で先輩はそっと背中を撫でてくれる。……ふむ、治りかけ。この保健室に昔から駐在しているカメリア先生が診てくれたのだろうか。後でお礼を言わなければ。
「……悪かった」
「…………」
「狂化しかけていたとは言え、お前を殺しかけた。俺が、お前を……」
でも今はそれよりも、先輩のメンタルケアの方が優先だ。私の背中を撫でる手を止めて、小さく呟いた先輩。見上げてみれば、綺麗な紫の瞳は不安でいっぱいになっていた。私がちょっとつつけば、そのまま喉元に剣を突き刺しそうな表情である。起き抜けの後輩の横でヘラんないでほしいんだが。
正気じゃないなんて百も承知で、それでも突っ込んでいったのは私で。だからまぁ、そんな気にすることないのに。
いやまぁ先輩は気にするかぁ。
「……? ラペ……?」
声は出さない方がいいらしい。そんなわけで私は仕方なく、先輩の手を取った。くるんと平を天井に向けて、そこを人差し指でなぞっていく。まずは「ク」から。
「[クレープ]」
「……それは、わかってる。あの店のだろ」
奢って欲しい食べ物。その4文字を綴れば、途端に苦い顔になった先輩に私はにっと笑った。なんだ、ちゃんと聞いてたんですね。それだけで個人的にはまぁ、許してあげようって気になるんだけど。
「[パンケーキ]」
「…………」
「[アイス]」
「……甘いものばっかだな」
「……[お寿司]」
「いや別に不満だったわけじゃない」
先輩は生憎とそれだけでは気が済まないと思うので、どんどん予定を書き足していく。ハニーベアーの8段ハニーパンケーキ、べりー&しゅがーの10段アイス。
そこで文句を言われたので、ちょっと考えて小海亭のお寿司も追加してみたのだが。もうなんでも好きにしろ、と言わんばかりに項垂れる先輩。それにまたによによと笑みを浮かべつつ、私は次の文字を書いた。今度は固有名詞じゃない。彼に一番、伝えたかった言葉だ。
「[おかえりって言って]」
「……!」
瞬間、ぱっと先輩の顔が持ち上げられて。
……ほんとは、クレープなんていい。パンケーキもアイスもお寿司も。まぁそりゃ本音を言えば食べたいし、奢ってくれるなら食べるし、先輩は奢ってくれるだろうけど。
でもそれより、たった1つ貴方からの言葉が欲しい。ぎゅっと私よりも一回りも二回りも大きい手を握る。指先が震えたのが伝わってきた。躊躇いに唇が震えたのも、見えた。
「……おかえり」
でもじっと見つめていれば先輩は、やがてその言葉を口にする。
「おか、えり……」
1回目は呆然と。2回目は噛み締めるように。そうして私の両手を包み込むように、先輩の手が2つとも重ねられて。
「……おかえり、ラペ……!」
「!」
腕を引かれた、そう思ったらもう抱きしめられていた。ベッドから身を乗り出す形。ちょっと不安定だけどまぁ、狐くんの抱っこに比べれば評価の星は5倍だ。
掻き集めるように私を抱きしめる先輩の背中に、手を回した。私の腕じゃ短すぎて回りきらないけど。それでもぽんぽんと撫でれば、次第に上から嗚咽が降ってくる。もー、メンヘラ先輩め。
……あーあ、馬鹿だな私。
私が居ない世界で、この人が幸せになれるわけなかったのに。
「……せん、ぱ、い」
「……だから、喋るな」
「ふへ。も、だいじょぶです、よ……?」
語末を掠れさせながらもなんとか声を出してみる。抱きしめてくる先輩からは、厳しい声音で止められてしまったけど。だってラペちゃんの可愛いおてては、涙声の先輩の背中をよしよしするのに忙しいわけでして。
「えっと……も、苦しくない?」
「……お前よりは全然平気だ」
「そっ、かぁ。ふへへ、よかった……」
強行突破で喋りかければ、不満そうながらもお返事は返ってきた。ごめんなさいって、聞きたいことを聞いて言いたいことを言ったらちゃんと黙りますから。
まず1個目。聞きたかったことはさらっと聞けた。正直起きたばかりで何が何だかわからないが、とりあえず先輩は大丈夫ではあるらしい。先輩は私に嘘を吐いたりしないので、これは真実である。強がってる様子もないし。
「あと、ね」
「なんだ」
ならばよし、と口元を緩めて。じゃあ今度は言いたいことだ。私は誰にも聞かれないよう、そっと声を潜めて続けた。
「わたし、もうどこにも行きません、から……」
「……!」
「だから今度は、ちゃんと……」
途切れ途切れ。らしくない、か細い声で。でも息を呑んだ音が聞こえてきたので、この声はちゃんと先輩に届いたのだろう。
ぎゅっと、私を抱きしめる手に力が込められた気がする。そのせいで言いかけた言葉は途中で切れてしまった。でもまぁいいか。伝わってる気がするし、ていうか伝わらないわけないし。
『先輩! 私にクレープ奢りたくなかったら、私の事ちゃーんと守ってくださいね!』
『……わかってる』
あの日の約束を、狂化しかける程苦しんでいたこの人が忘れるわけがないのだから。
「……ああ、必ず」
「…………」
「お前のことは、俺が必ず守る」
ま、クレープは奢ってもらうことになったんだが。あれ、これって2倍お得かも? なんてことを考えていた私。気分はご機嫌だった。先輩が元に戻ったし、美味しい物がいっぱい食べれるのが決定したし。
「……で、だからこそ聞くが。この頬の傷は誰にやられた?」
「…………」
……だからこそ、その言葉に体温は一気に急転直下。冷や汗をかく羽目になったのだった。