11話「貴方の、後輩です」
まぁそんな心意気1つでどうにかなるなら、態々狐くんも忠告しに来ないというか。
「っ、第一時階術式、《悠閑》!」
ゆらりと影が立ち上がったのが一瞬。目で追う余裕もなく抜かれた剣がこちらへと向かうそんな狭間で、僅かな時間だがその動きがスローモーションになった。白刃が迫り、こちらを殺意の対象として狙い定めた暗い瞳が細められる。
うっわ、容赦なし。先の言葉が一切相手に響いていないことに苦いものを覚えながらも、私は左に飛んだ。瞬間時の流れは戻り、後ろの方から聞こえたのは目標を失ったが故に彼が壁に衝突したであろう音。破壊音こそ聞こえなかったが、結界の悲鳴と思しき高い音が耳を劈く。
……あれ、当たってたら死んでたな。ナイス狐くん。早速ジ・エンドになるところだった。
「どうにか、なるんじゃなかったのかな……!」
とにかく距離を取らなければ。そう判断したのは狐くんも一緒だったらしい。脇目も振らず全力ダッシュ、隣には文句を言う男が並走してくる。いやまぁ、そう言われましてもね。
「思ったよりイかれてたんだって! 正直、もうちょい話が通じると思ってた」
「そうでなきゃハクサ様が焦るわけないだろう!?」
「あの師匠の態度のどこが焦ってたって?」
少なくとも私の目にはいつも通りほえほえしてたようにしか映らなかったのだが。言い返せば、今度はあちらの方が返す言葉がなかったらしい。ぐっと言葉を堪える姿に思わず呆れてしまう。いやまぁ、今はそんな余裕ないんですけどね……!
「……繧繝抜刀術、《菱》」
ああもう、すぐ来た。いつの間にすぐ後ろにまで迫っていたのか、下から首を狙って迫ってきた刃。短剣の扱いを教えて貰う時にしょっちゅうやられた形だ。練習の時はこんな速く無かったし、殺意もなかったけど!
「第七時階術式、《途絶》!」
「っ、ナイス!」
しかしその動きが、不自然に止まる。先輩がすぐ迫ってくることなんて想定の内だったのだろう狐くんが、また別の魔術を行使したから。
……ふーん、高位の術の行使速度も速くなってる。先輩ばっか褒めてたけど、やっぱ君も君で練習したんじゃん。生まれた隙に地面を蹴ってくるりと後転。魔術は切れて、先輩の刃は何も無いところを斬った。冷たい紫に、忌々しいと言わんばかりの色が浮かぶ。
「……邪魔するな、狐」
「邪魔するよ……! 全く貴方はいい加減、その思い込みが激しすぎる癖をどうにかするべきだ」
うん、それに関しては完全同意。先輩はもうちょい自分のメンタルが私に関することになると弱々になるのを自覚して、冷静に物を見れるようになってほしい。
3メートルくらいの距離をとって、私と狐くんは先輩を睨みつけた。というよりは彼の頭に生えた、黒紫色の角を。成程、アレが狂化の根源って言われる角か。リリーに生えた清らかなものと違って、随分禍々しいこと。先輩、そんな悪趣味なアクセつける趣味無かったでしょ。
「何も思い込んでなど居ない。あいつを騙る忌々しい人形は俺が全て破壊する」
「それが思い込みなんだよ……!」
「それを邪魔するなら、お前も敵だ」
「ああもう……!」
……アレが折れたら、ちょっとは話を聞く気になるだろうか。っていうか、折っていいものなのか。一切こちらの声が届いていない先輩の様子に、私はげんなりとした。しかしいくらこちらのテンションが下がっていたとしても、あちらとしては攻勢を緩める気はないらしくて。
「……《円》」
「っ、!」
地面を蹴った、そう思えばもう懐にまで入り込まれていた。狐くんを敵と言いつつも、やっぱりヘイトは私に向いてるらしい。横薙ぎの体制。あああの回転斬りね……! 全く避けづらい攻撃を選ばれることで。
師匠、マジで恨みますよ。
「っもう! 話聞いてってば!」
「……!」
咄嗟に短剣を振り抜き、何とか刀と鍔迫り合わせる。とはいえ力では圧敗、技量なんて天と地程の差。抑え込めたのは一瞬で、すぐに短剣は吹き飛んでしまったのだけど。
「っ、ラペ!」
「っ〜!!……大丈夫! 生きてる!」
「そうじゃなきゃ困る……!」
ついでに私の体も吹っ飛ばされてしまったわけで。危うく壁に叩きつけられそうになったところで、なんとか狐くんが風のクッションを間に合わせてくれたらしい。背中に感じたのは硬さではなく、柔らかい何かの感触だった。
とはいえ一瞬の攻防のせいで手首が痛い。くそう、脳筋バーサーカーがよ。っといけない、愚痴ってる場合では。また次の攻撃……が……?
「……先輩?」
次はなんだ。《花鳥》か? それとも《雲雷》か? よろめきならも立ち上がりつつ、バーサーカーの方を見やった私。しかし私はそこで困惑することになる。いや私だけではなく、狐くんもそうだったことだろう。
だってさっきまでギラギラとこちらへの殺意を煌めかせていた先輩が、私達に背を向けてしゃがみこんでいるのだから。
「…………」
「…………」
急にどうしたというのか。まさかここに来てお腹が痛くなったわけじゃあるまいし。まぁ私は今割と腹ペコになってきてるんだけども。
いや、それはいい。私の空腹加減なんてどうでも。だってどの道、先輩を正気に戻したらいっぱい奢ってもらうつもりだから。今の問題はなぜ、先輩が私達に背を向けてしゃがんでいるかだ。見た感じ、何かを拾っているような……?
「……何故あの男の人形が、これを持っている?」
「……あ、」
事実、その仕草は何かを拾う動きだったらしい。くるり、振り返った彼が持っているのは私がさっきまで持っていた短剣。先輩からの、11歳の時の誕生日の贈り物。
『これ、やる』
『……これ、短剣ですか?』
『ああ。少しはまともに使えるようになったからな』
包装なんて気の利いたものはなくて、鞘に収められて渡された無骨なプレゼント。でも目利きが出来なかった当時の私でもわかるほど、その短剣には特別な装飾が施されていた。
柄の部分に掘られた菊の意匠。先輩が私の目にそっくりだって言ってた矢車菊の、意匠。それだけでこの短剣が私のことを考えて、私ためだけに作られたものだってわかった。落とされる言葉は素っ気なかったけれど、いつもよりも穏やかな雰囲気を纏う先輩に泣きそうになって。
『……大事に、します』
『……ああ』
それが私がこの世に生を受けて初めてもらった、誕生日プレゼント。
「……当然、私のだからですよ先輩」
「…………」
「さっきも言ったでしょ。クレープ、奢ってもらうために帰ってきました。これは師匠だって知らない話のはず」
どうやら攻撃こそ防げなかったが、さっきの対応は正解だったらしい。主にその短剣を見せれた、という方向で。
その短剣は先輩が馴染みの刀鍛冶に頼んで作ってくれた一品物。同じものはこの世に1つとて存在しない。つまるところ、私が私であることの証明になるのだ。あと他に私の証明になるもの、と言えば。
「……これも、私が私であることの証明。先輩が一緒に作ってくれた、ギルドカード」
「……!」
「年数見ればわかるでしょ。ま、生年月日と見た目は合わないけど……」
狐くんから取り上げられなかったもう一つを、ゆっくりと近づいて彼に差し出した。受け取られこそしなかったが、視力のいい先輩なら人1人分の距離感でも見えたことだろう。私の手のひらで輝く、彼の記憶の中にある物と同じ物を。
「……先輩、ラペです。師匠のあのクソキモ……じゃなかった。趣味の悪い、式とかロボットとかぬいぐるみじゃないです」
「…………」
「貴方の、後輩です」
零れかけた暴言はご愛嬌。いやむしろ、たしか式は創造主を悪く言えないんだからこれも証明になるのか?
こちらを無言で見下ろす彼を、同じく無言で見上げる。これ以上の証明は難しいけど、でも。狐くんも居ることだし、信じるには足りるはず。どうかと願いを込めて見上げれば、ふっと先輩の口元は緩められ。
「……っぐぅっ!?」
「……そんなわけが、あるか」
伸びてきた手によって、私は首を絞められ持ち上げられた。