impossible is made possible II
データの転送は既に終わっている。だがそれは〝RAR・ラボ〟の中に満たされている羊水に浸かっている状態でしか効果を発揮しない。
そしてこの状態――脳と脳幹のみで其処から出てしまうと、もう二度と再生は出来ない。
この瞬間、ジェシカは死んでしまった。
「さて、そのデータを渡して貰おうか」
床を濡らす羊水や、押し流されたジェシカのそれに一瞥すら与えず、彼はベスの傍を素通りしてキーボードに手を掛ける。そしてキーを打ち始めた。
ベスは、その場に崩れ落ちて自失している。
やがてマスターデータが入っている記録キューブを取り出し、マーヴェリーは満足げに笑った。
それを懐に仕舞いその場を去ろうとしたとき、病棟の入り口に立っている人物――ファウル・ウェザーが目に付いた。
「おやおや、これは困った。最も会いたくない方に遭ってしまいましたね」
呟き、溜息を吐いて再び腕に風を纏う。
だがファウル・ウェザーはそれを無視して、床で蹲っているベスに近付き、抱き起こした。
「……ほう、私とは戦わないのですか?」
腰に手を当て、心の底から意外そうに言う。それを聞き、彼は鼻で笑った。
「私が手を下すまでもない。貴様は【Vの子供達】最後の一人が消し去るだろう。……さあ、もう全ての治療は終わった。いい加減に起きろ――〝Seelie Court〟」
傍にあるジェシカの脳と脳幹を愛おしげに撫でる。
そしてそれが合図であったかのように、脳細胞が、そうなる筈がないのに、脈動し始めた。
脳が急激に成長し、その表面が高質化して頭蓋となった。
脳幹が延びて脊髄を形作り、更に頸椎、胸椎、腰椎が滲み出る様にして生えて来る。
頸椎から肩甲骨、鎖骨、胸骨が生え、その胸骨が延びて肋骨を形作っていく。
腰椎から骨盤が延び、其処から大腿骨が続けて延びる。
肋骨が形作られると、今度はその内側に内臓器官が滲み出る様にして形作られた。
肩甲骨から上腕骨が延び、更に前腕の橈骨、尺骨と手根骨が形成られ、その手が床につくと中手骨と基節骨、中節骨、そして末節骨が生え、途端に神経系、腱、筋肉が滲み出る。
その出来事に、マーヴェリーは言葉を失った。
なんの手助けもなく脳が勝手に成長し、そして人を形成するなどということは出来る筈がない。
それに、これほどまでに急激に成長することは有り得ないのだ。
見る限りその再生能力は〝ヒーラー〟を軽く凌駕する。
再生を続けるそれを見詰めていたマーヴェリーは我に返ると、両手に風を纏わせて叩き付けた。
彼の本能が、それは危険だと判断したのである。
だがその風は、再生途中で所々骨格が覗く筋肉組織が剥き出しの腕に阻止された。
「……いきなり……なにをするの?」
自分を攻撃する風を消し去り、再生途中のその人物が言う。筋肉組織はいつの間にか皮膚に覆われ、完全に人として再生が終了していた。
「お前は、一体なんなんだ!?」
そのあまりに非常識な出来事を、マーヴェリーは否定した。そんなことが、物理的にあり得る筈はない。
だが目の前で起きた出来事も、事実に他ならないのに。
「私……私は……」
銀色の膝まである長い髪を撫で、その人物は茫洋と呟いた。まだ、自分が何者かが解らないようだ。
「〝PSI〟で、一六番目の〝能力〟を知っているか?」
困惑しているマーヴェリーへ、ファウル・ウェザーが言った。
だが彼は答えない。そうする必要がないと思っているから。
彼は幾度となく、〝PSI〟を研究して新たなものがないかを模索した。
その結果、新たなものは発見出来なかった。
そして既存の一五種――〝テレキネシス〟〝リーディング〟〝テレパス〟〝スキャナー〟〝サイコプレイヤー〟〝エレクトロキネシス〟〝ヴァンパイヤ〟〝テレポーター〟〝ヒーラー〟〝サモナー〟〝エアリアル〟〝ナイトメア〟〝グラビドン〟〝イレイザー〟〝タイムウォーカー〟のみという結論に至ったのである。
だがその結論を、ファウル・ウェザーはあっさりと否定した。
「既存の一五種。まぁ、人類が習得出来るものはそれだけだろうが、実はある特定の条件とあるものが揃えば、一六番目の〝能力〟が出来上がる。それが――彼女だ」
言われた彼女は、その白く美しい裸身を隠そうともせずにただ茫洋と周囲を見回している。
その左の胸には、懐中時計と重なる月の刺青が施されていた。
「……私は……ラッセル・Vに……『作られた』――〝Seelie Court〟」
「お前は【Vの子供達】最後の一人。フィンヴァラ、DB、私、そしてリケットと続く『出来損い』達のデータを集結させて出来た……唯一の成功例」
彼女の肩に、自分が羽織っていた白衣を掛ける。彼女はそれを握り締め、俯いた。
「私は――成功例なんかじゃ……ない……だって……私……人じゃないもの……」
俯いたまま呟く。その空色の瞳が濡れ、涙が零れて来た。
自分を作るために、あの人は沢山の人を不幸にしていた。
そのデータが、自分の脳に刻み込まれている。
そして結局、あの人はなにも生み出さずに去った。
なにをしたかったのか、その目的がなにであったのか、その全ては闇の中だ。




