becomes the tragedy IV
ファウル・ウェザー病院には〝RAR・ラボ〟専用病棟がある。
其処には数名の医師が常駐し、専門の治療を行なっている。
何故ならこの装置は元より、再生中の患者は非常にデリケートで、僅かなミスも許されないからだ。
仮にミスをしてしまったなら、再生が成功しても絶対に元通りにならない。
全てを、寸分違わず元通りに。それがどれほど難しい事かは想像出来るだろう。
遺伝子のゲノム配列に記憶された僅かなデータを読み取り、破損した塩基配列を修復してデジタル化する。
そしてそのデータを再生する部分に的確な速度で流し続ける。
この気が遠くなる作業を可能としている設備を整えている施設は、この〝結界都市〟でも一つしかない。
つまり、このファウル・ウェザー病院。
そして更に、それを完全に熟すことが可能なのはたった二名。
院長のファウル・ウェザー。
そして、形成外科部長のベンディス・ア・ママイだけだ。
ベンディス・ア・ママイ――通称ベスは、まだ二十歳に満たない少女なのだが、その頭脳と外科医としての実力は相当なもので、時期外科副院長候補とすら言われている。
因みに現在の外科副院長は年齢107歳で、もうそろそろ引退すると公言している。その容姿はどう見ても50代にしか見えないが。
ファウル・ウェザー病院における役職は、医師を始めとする医療従事者、そして全てのスタッフに年功序列は存在しない。完全に実力主義である。
実力の無い者や一定水準を満たしていない者は、例えどのような役職に就いていたとしても、また過去にどのような実績があったとしても、現在進行形で使える人材でなければ、必要ない。
一切の甘えと妥協が許されない、それがファウル・ウェザー病院という職場だ。
そのベスの元に、ファウル・ウェザーから連絡が入ったのは、彼女が丁度ジェシカの塩基配列の計算をしている時だった。
『忙しいかね?』
ファウル・ウェザーがそう訊く。すると彼女は寝癖だらけの赤毛をそのままに、今にも深い眠りについてしまいそうな半開きの眼をモニターに向けて頭をポリポリ掻く。そんな頭なのに、その髪質はとても良く艶々している。
「はい~ぃ、忙しいいです~ぅ」
妙に間延びした口調で答える。そしてやけにぶ厚いレンズの眼鏡を掛け直し、物理的に有り得ないだろうとツッコミが入るほどの速度でキーボードを弾きながら続けた。
「あの~ぉ、ちょっと訊きたいんですけど~ぉ、例の刺青のデータって~ぇ、何処に入れたら良いんでした~ぁ?」
『左胸、第四肋間の辺りだ。……もう其処までプログラミングしたのか?』
「はい~ぃ、わらひとしては~ぁ、もちょっと早く終ると思ったんですけど~ぉ、なんだか~ぁ、違うプログラムが~ぁ、脳幹の一部にあって~ぇ、でもそれは古いデータで~ぇ……」
『済まないが、もうちょっと早く言ってくれたまえ』
いつまで経っても終りそうにない説明が嫌だったのか。ファウル・ウェザーが口を挟むと、途端にベスは半開きの眼を見開き、眠そうな表情を引き締める。
「はいはいはいはいはいえっとわらひとしてはもちょっと早く終ると思ったんですけど何だか違うプログラムが脳幹の一部に書き込まれていてでもそれは古いデータで調べてみたところ約五年前のデータと予想されます――」
一息で、早口で言う。そしてベスは此処で一度思い切り息を吸い、
「時期を特定しますと五年前の〝結界都市〟北北東98番街で起きた〝ドラゴン・アシッド〟流出事件と合致しますそして彼女の身体を調べたところ右肺下葉にそれらしき痕跡が見付かりましたが既に治療されています此処からはわらひの予想ですけど彼女は過去に一度〝ドラゴン・アシッド〟を浴びているようです今回が二度目ですけどそしてその時脳幹に何者かがデータを書き込んだのでしょうそして此処からが重要で――」
再び一気に言い、そして再び思い切り息を吸い込んで……噎せ込んだ。
『丁度良いペースで言えないのかね?』
やや呆れたように、ファウル・ウェザーが言う。外科医としての腕前は一流を遥かに超えて、言ってしまえば人外の領域にあるのだが、どうも性格と気質に問題がある――というのが彼女への評価だ。
もっともそれは、ファウル・ウェザー自身もそうなのだが。
「丁度良いペースが良いですか? ではそうします。えーと……初めから言いましょうか?」
少し考え、ファウル・ウェザーは頷いた。それを確認してから、ベスはゆっくりと説明を再開した。
「えーと、わらひとしては、もうちょっと早く終ると思ったんですけど、何だか違うプログラムが脳幹の一部に書き込まれていたんです。そしてそれを調べていたら遅くなりました。そのデータですけど、少し古いデータでして、調べてみたところ約五年前のデータと予想されました。時期を特定しますと、5年前の〝結界都市〟北北東98番街で起きた〝ドラゴン・アシッド〟流出事件と合致します。そして彼女の身体を調べた結果、右肺下葉にそれらしき痕跡が見付かりました。でもそれは既に治療されています。誰が治療したのか解りませんが――怒らないで下さいね――院長よりも見事な処置です。それから、此処からはわらひの予想ですけど、彼女は過去に一度〝ドラゴン・アシッド〟を浴びているようです。今回が二度目ですね。そしてその時、脳幹に何者かがデータを書き込んだのでしょう。そして此処からが重要です、驚いて下さい。実は彼女の脳にはとんでもないち――」
ベスが其処まで言うと、突然〝RAR・ラボ〟病棟の電源が落ちた。
何事かと思うベスの眼の前に、ダークスーツを着て頭髪が鳥の巣の様な男が、全身を発光させながら現れた。
その光は、彼自身が帯電しているために起きる現象だと悟ったベスは、何故かペンを持って身構えた。
そして男が使っている〝能力〟は、電子機器を操り、また高圧電流を放つ〝PSI〟である〝エレクトロキネシス〟。
「この停電は、貴方の所為ですね?」
〝RAR・ラボ〟を横目で見つつ、ベスは訊く。幸いにも〝RAR・ラボ〟に異常はないようだ。
それに〝RAR・ラボ〟は電源が落ちても、内蔵されたバッテリーで50時間は稼動可能だ。
だがその間、再生は止まり自動的にスリープ状態になる。
他の患者だったらそれで問題ないが、ジェシカの場合は違った。
彼女の再生は、急がなければならない理由があった。そしてそれを知っているのは、ベスだけだ。
「へ、へへ、へ。お、おれ、電源、切った。殺せって、言われたンだ」
にやにや笑い、涎を垂らしつつ近付いてくる男を睨み、ベスは突然――
「出て行かんかい、オンドレ!」
全身から放電した。その凄まじい電力により、空気がプラズマ化する。
「わ、わ、わ、なんなんだよぉ、この子……」
突然の豹変に驚き、思わず後退りする。だが自分に課せられた任務を思い出したのか、帯電しつつ近付いた。
「ワレぇ、わらひの患者に手ぇ出したら真っ黒焦げにして簀巻きにして、金太郎飴にしてやるぞ!」
滅茶苦茶なことを言っているベスをどう思ったのか、やっぱり後退りする男だった。
「そ、そ、そ、そもそも、ききき金太郎飴って、一体……」
呟いたが、首を振ってその考えを振り払い、ジェシカが入っている〝RAR・ラボ〟へと電撃を放った。
「止めろっつってんだろ!」
だがその前にベスが立ちはだかる。そして左手を一閃して電撃を消した。その〝能力〟、全ての物質を消し去る〝イレイザー〟。
「げげ、げ!? そ、そ、そ、そんな〝能力〟も使えるの?」
驚いている男を尻目に、今度は精神エネルギーでメスを作り出して投げつける。
「な、な、な、なんでもありかよぉ。何処が『母親の祝福』なんだよぉ」
彼女の名、ベンディス・ア・ママイは本名ではない。そしてこの病院に勤務している医師の名は、全て通称である。彼女の名の意味する所、それは男の言うとおり「母親の祝福」。
電撃を放ってメスを弾き飛ばしながら、男は再びベスへと電撃を放つ。メスを作り出している最中だったベスは反応が遅れ、その電撃の直撃を受けた。幾ら優秀な〝PSI〟でも、同時に別々の〝能力〟は使えない。そして男は、実は強力な〝エレクトロキネシス〟だった。
「ヤバ……しっぱぁい……うー、院長に怒られるー……」
薄れて行く意識の中でベスが呟く。そしてその身体から、半透明で裸のベスが抜け出した。
「疲れるから、これだけはやりたくなかったんだけど……」
身体から意識だけが抜け出し、それが病棟の外へと流れて行く。
「院長、大変です。ごめんなさい、わらひ、失敗しました!」
高速で移動を開始しつつ呟くベスの前に、此処にいる筈のない男が立っていた。
そしてその男はベスをゆっくりと見下ろし、〝RAR・ラボ〟病棟へと入って行った。




