becomes the tragedy III
壁際にある巨大な本棚に話し掛ける。因みに本棚には医学関係のものは一切ない。
「いやいやいやいや、とてもじゃないが医者の部屋とは思えませんなぁ」
声がした。そして本棚の一部が動き、其処からカステラを持った男が現れた。口元がもごもごと動いている。どうやらカステラを丸齧りしているらしい。
「失礼、戸棚から勝手にカステラを拝借していますよ。うん、美味い」
男の、人を小莫迦にした態度には何も言わず、ファウル・ウェザーは一言だけ、
「……それは賞味期限が一週間過ぎているのだがな」
白衣を再び机に置き、サングラスを直しつつ呟いた。だが男は平然と、
「大丈夫ですよ。僕は胃腸が丈夫だし、何より此処は病院だ」
カステラを全部食べ、指を舐めながらにこやかに男は言う。ダークグレーのスーツを着ているが、どうやら只のサラリーマンではないらしい。
何故なら、院長室に入っているから。
「どうやって此処に入った」
そう訊くファウル・ウェザーに笑顔を向け、
「案外簡単でしたね。〝サイコプレイヤー〟だったら簡単なんじゃないですか?」
「……まぁ、鍵を作れば簡単だろうな、普通の部屋だったら。……どうやら部屋が疲れている様だ。少し気合を入れ直すか」
ファウル・ウェザーの言っていることを、彼は理解出来なかった。
だがそうする必要がないのも事実。
彼はゆっくりと会釈をした。
「実はドクター・ファウル・ウェザーにお願いがあって来ました」
それに対して何も言わず、ただ視線で促す。それが判ったのか、男は歩きながら続けた。
「本日この病院に一人の〝サイバー〟と〝ドラゴン・アシッド〟に汚染された女性が搬送されて来ましたね? いえいえいえいえ、答えなくても解ります、僕は全部知っていますから。そしてお願いとは、その〝サイバー〟の引渡しと女性の治療の停止です」
「……理由は?」
「残念ながら、言えません」
「そうか――」
口元に笑みを浮かべ、ファウル・ウェザーは俯いた。銀色の長い髪がその表情を隠す。もっともサングラスがあるために表情は解り難いが。
「君は言っている意味を解っているのかな?」
「ええ、ええ、解っていますよ。それが違法なことだとも知っています。無論、その報酬はお支払いしますよ、ドクター・ファウル・ウェザー」
「……やはり解っていないな」
両手に精神のエネルギーを集中させ、ファウル・ウェザーは言った。
「違法かどうかは関係ない。あの二人は私の治療を受けている最中――私の患者だ。私の患者に手を出すことは、例え神だろうと許さない。お前には消えてもらう」
その言葉に鼻で笑い、顎を擦りながら半眼で見下す様に、
「出来ますかな? 治療で〝能力〟を使って消耗した貴方が、この私にそのようなことを……」
「お前はまだ解っていない」
顔を上げ、サングラスを外す。その冷たいアイスブルーの瞳が僅かに揺れている。
「私が患者に対して使う〝能力〟と、お前のような莫迦者に使う〝能力〟は根本的に違う」
集中させたエネルギーで二つの球体を作り出す。完成したその二つが、ファウル・ウェザーの手を離れて床で弾んだ。
「教えてやろう、医師ではないファウル・ウェザーの力を、存分に」
独白とも取れるその呟きに言いようのない不安と恐怖を覚えた男は、反射的に精神エネルギーで槍を作り出し、即座にファウル・ウェザーへと投げる。
だがその槍は、彼の出した球体の一つに噛み砕かれた。
それはある程度予測出来ていた。仮にもあのラッセル・Vの弟子が、この程度の〝PSI〟でどうにかなる筈がない。
それは判っていた。
だが、彼は違うことで驚愕している。
「……何だその巫山戯た物体は!?」
ファウル・ウェザーの出した球体には、愛くるしい表情の顔があった。
それは彼のお気に入りのもの――
「『まぁぶる』だ。知らないのか?」
ファウル・ウェザーの出した物体――『まぁぶる』はくるくるとその愛らしい表情を変え、彼の足に頬擦りしている。
余談だが、院長室の本棚には医学書などは一切無く、「まぁぶるシリーズ」と呼ばれる小説やそれに関連した商品が所狭しと並んでいるのだ。
実は彼は、とってもディープな『まぁぶる』ファンなのである。
そして一説によると、それの製造、販売元であるクラウディア社の社長リエ・クラウディアは、ファウル・ウェザーの恋人ではないかと噂されている。
真偽の程は定かではないが。
「こんな巫山戯た物体で、僕と戦うつもりか!?」
莫迦にされていると感じたのか、男は顔を真っ赤にして激昂している。
だがファウル・ウェザーは涼しい顔で、
「〝サイコプレイヤー〟の〝能力〟では、作り出す物体は何だろうとその〝能力者〟の力量で勝負が決まる。忘れたのか?」
さも、それが当然とばかりに言い放つ。
〝サイコプレイヤー〟とは、精神のエネルギーを具現化して操る〝PSI〟の〝能力〟であり、実は医師や技術者に多い。
熟達すれば自分の分身を作り出し、且つそれをプログラミングしてAIを搭載させることにより、殆ど自分と同じ人物を作り出すことも可能だ。
その〝PSI〟は医療や医療従事者との相性が良く、ファウル・ウェザー病院にはその〝能力者〟が多数存在している。
更に、何故か「〝結界都市〟ドラゴンズ・ヘッドの奇妙な人々」の一つに、「ファウル・ウェザー病院のスタッフ」として名を連ねていた。
「そんなことは、知っている。知ってはいるのだが……」
どうしても、やる気が削がれてしまう。もしかして、それが狙いなのかも知れない。
ファウル・ウェザーは神算鬼謀と謳われているのだから。
などと、ありもしない事実を勘繰ってしまう。
当の本人はそこまで深く考えてはおらず、単にお気に入りだからそうしているだけなのだから。
だがそんなことを考えている余裕はない。
男は次々と槍を作り出してファウル・ウェザーへと投じる。
だがそれらは全て二体の『まぁぶる』によって噛み砕かれてしまう。
口は無い筈なのに。
「完全に実力が違い過ぎるなぁ……」
大きな眼でくるくると周囲を見渡しながら槍を噛み砕く(?)物体と、悩ましい化粧をしており、ウインクをしながら近付き槍を弾いているもう一つの物体を見て舌打ちをする。
これは、退散するしかないだろう。
そう思った男は、槍を作り出すのを止めて突然ドアへと走り、ドアノブを掴む。だが、ドアは開かないどころかドアノブも微動だにしない。
「……逃げられるとでも思ったか? この院長室に入って無事に出ることが出来るのは、私の患者と此処のスタッフだけだ」
逃げられない、戦うしかない。押せども引けども開かないドアを前にそう思い、男は振り返ってファウル・ウェザーの目を睨んだ。そしてそれが、彼の最後の行動だった。