becomes the tragedy II
ダークグレーの短く切り揃えた髪と、藍色の瞳の〝魔導士〟が映し出されているモニターを一瞥し、好き勝手に討論し出す画面の向こうの「自称」な専門家と「自称評論家」な批評家が、蹇々囂々と実り無い議論に花を咲かせ始める雑音を無視し、ファウル・ウェザーは白衣を肩に掛けたまま院長室へと戻った。
「それにしても、マスゴミの誤った情報伝達力は相当なものだな。リィクが陰で手を回しているのか?」
独白するが、その考えを即座に振り払う。
それは有り得ない。彼奴等はリィクの正確無比な情報を買うほど気前が良くないだろうし、そもそも自分達を無闇に誇る意味のないプライドが赦さないだろう。
そんなことを独白し、白衣をデスクに放り投げて椅子に深く腰掛けた。
リケットとジェシカが運ばれて来た後、歓楽街から沢山のレスキューに連れられた患者が雪崩れ込んだ。
――その殆どは大したことのない軽傷で、入院させるのが鬱陶しいくらいの者達ばかりだったが。
それはそうだろう。なんといっても〝M・R〟が現れたのだ。重傷者はそれで根刮ぎ搬送される。
二分以内に、例えどれほど離れていようとも。
ファウル・ウェザーは持って来たカルテをデスクに置き、サングラスを外して深い溜息をつく。
久し振りに〝能力〟を使ったために、多少疲れたようだ。
リケットではないが、〝能力〟を使うと脳が疲れる。
緊急時だったために仕方なく使ったが、出来れば使いたくない。
〝能力〟を持たない者達に共通する認識だが、それを使えば楽が出来ると思われている。
だがそうではない。それの行使は決して楽ではない。使わずに済むならその方が良いのだ。
〝能力〟の行使は別の要素で疲れるのだから。
「それにしても、一体誰がリケットをあんな目に遭わせたんだ? いや、それ以前に、どうやったらあいつをあんな目に遭わせられるんだ? 出来るとしたら……私達かハズラットか……それ以上の者しかいないだろうな」
魅力的で柔和に微笑む「ハンターズ・ギルド」の本部長。
通称「ノルン」と呼ばれる巨大複合企業の代表取締役。
病的な程に青白い肌と銀の瞳の死人の長。
影しか目視出来ない「世界の館」の主。
そして「水晶の森美術公園」にいる好々爺。
等々を次々と想起し、最後に某飲食店を営んでいる〝サイバー〟を思い浮かべて苦笑し、溜息をついた。
リケットの傷は大したことはなく、〝ドラゴン・アシッド〟に汚染された箇所を洗浄し、傷には人工皮膚を貼り付けて処置を終えた。
その後彼は、高カロリーペーストを二十人分平らげたが。
その総計、実に4万キロカロリー。だがそれでもエネルギーが不足しており、彼は本日のみ入院となったのである。
そしてジェシカは、はっきり言って命があっただけ幸運だった。いや、ある意味では死んだ方が幸せだったのかも知れない。
この世界の医学は非常に発達しており、極端な例だが、脳さえ無事ならば再生が可能だ。
だがそうなっても、戻らないものがある。
それは、記憶。
再生が成功しても、もう彼女は何も想い出せないだろう。
今までのことは勿論、自分が何者なのかも、そして――重なる「懐中時計」と「月」の刺青のことも。
それに、あそこまで〝ドラゴン・アシッド〟に汚染されていて、再生できるのかも不安だ。
「ジェシカ・V、か……。長い目で診て行く必要があるな……。それにしても……」
サングラスを外し、眼を抑えて考え込む。
まさか自分がラッセル・Vの『娘』の治療をする羽目になるとは思わなかった。因果なものだ。
そう思いつつ白衣のポケットを探る。其処には先程読んでいた小説が入っている筈だった。しかし、何処に置いて来たのか其処には何もなかった。
救急外来に忘れて来たか? 独白し、パネルに手を置いた。すぐに当直師長が出た。
『何か御用ですか?』
モニターを真っ直ぐ見詰めるファウル・ウェザーからわざと視線を逸らし、師長が訊く。その行動に何も言わず、
「大した用ではない。其処に私の本はないか?」
『少々お待ち下さい……』
師長はそう言い、モニターから姿を消した。だがすぐに現れ、
『この「まぁぶる……」で宜しいのですか?』
「ああ、そうだ。其処にあったのか、すぐに取りに行く」
『……院長、これって面白いんですか?』
「何を言うか、『まぁぶる』シリーズは傑作だ。一度読んでみると良い」
『……気が向いたら読んでみます。所で院長、モニター越しでも素顔にならないで下さい。私だから良かったものの、これが若い看護師だったら悩殺されて仕事になりません』
「……済まんな、少々疲れているから〝魔眼〟の抑制が効かないようだ。以後気をつける」
『そうして下さい。それともう一つ』
師長はそう言い、暫しモニターから姿を消した。
『荷物が届いております。差出人はリエ・クラウディア様。クッションらしいです』
「リエから? 本気で送ってくれたのか」
リエ・クラウディアとは、クラウディア社の若き社長である。
クラウディア社はインテリア家具や雑貨などの大手メーカーなのだ。
その商品には必ずミカンに顔が描かれたマークが入っている。
そしてそのマークの名は『まぁぶる』といい、その愛くるしい表情と独創的なスタイル、そして画期的なアイディアで若年層はもとより、中高年に到るまで幅広く支持されているのだ。
二年前に限定五百個で発売されたシングルソファは予約の段階で五万件を超える注文が殺到し、クラウディア本社で抽選が行われるという異例の事態となったほどである。
もっともそのシングルソファ自体は大した品ではないが、其処にプリントしてある『隈取りまぁぶる』が重要なのだ。
何故ならそれがプリントされている商品は今後一切発売しないと、社長リエ・クラウディアが公言したからである。
今ではそのシングルソファは幻の品と呼ばれ、オークションでは最低落札価格三十万クレジットとなっている。因みに販売希望小売価格は五千クレジットだったが。
「ああ、それもついでに取りに行く。持って来なくて良いからな。そんな暇があったら仕事をしていたまえ」
『解っています。私達にとって患者は貴方よりも大切ですからね』
「それで良い。では」
モニターのスイッチを切り、ファウル・ウェザーは椅子に身を委ねて暫くじっとしていた。体力の消耗が著しい。もうあんな『脳が疲れる』処置は沢山だ。そう思いつつ、サングラスを掛けて立ち上がった。
「どうでも良いが」
白衣を手に取り、肩に掛けてから言った。
「無断で院長室に入ってどうするつもりだ? 茶とカステラくらいしかないぞ」




