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僕の妹が、上履きを忘れた

 「ただいまあ」

階下から、妹の声がした。部活を終えて、今帰宅したのか。もう時刻は午後7時半。毎日大変だな。

 僕の妹は、兄である僕が言うのもなんだけど、とても可憐で、かわいくて、美しい。もし彼女の通う中学校で、ミスコンが行われたとしたら(きっと、いや、絶対にないとは思うけれど)、きっと、いや、絶対に、1100パーセント、僕の妹が1位になるに決まっている。それくらい、魅力的な女子中学生なのだ。肩あたりまで真っ直ぐ伸びた黒髪はつやつや、サラサラ。顔立ちは端正でかわいらしく、体つきもその辺の女子中学生と比べても明らかに異なっている。ウエストは細め、足は長く、細く、バランスもバッチリだ。きっと、両親からいいところを取りまくったらこうなるのだろう。

 かくいう僕は、ごくごく平凡な高校生で、現在明日に控えた中間テストに向けて勉強中。僕の成績は、高校入学当初から、中の中。運動神経も、その他芸術の類も、人並みにはできる。そんな普通の高校生が僕である。対して妹はというと、成績は上の上、吹奏楽部の部長候補で、中学一年の時に既にソロパートを任されるようになり、スポーツも同級生の女子の中では成績が上の方。なんてカンペキな女の子なのだろう。僕はそんな妹を一番の誇りに思うし、大好きである!

 トントントンと、妹の足音が階段を上がってくる。妹の名前は、陽菜と書いて"ひな"と読む。ちなみに、全く興味はないと思うが、僕の名前は陽太と書いて"はると"と読む。うん、よく、というか初対面の全ての人が、"ハルタ"と読む。仕方なく、僕はその度に自分から名乗る。

 僕の部屋と妹の部屋は2階の隣同士。いずれも8畳のフローリングで、ベッドと机、その他もろもろの家具や調度品が置かれている。僕と妹の部屋の間には押し入れがあり、それぞれ物が詰まっている。トイレ、お風呂、リビング、両親の寝室、客間、お父さんの書斎、お母さんの仕事部屋、映画鑑賞の出来るオーディオルーム、4畳のウォークインクローゼットなどが1階にうまく収まっている。家の外にはBMWとレクサスの止まっているガレージと、少々の庭があり、妹が毎年花壇を作っている。春の今は、パンジーやチューリップなど、僕でも知ってる花々が色とりどりに咲いている。僕の家は、そんな感じだ。


 数学の問題に詰まっていると、ドアをノックする音が。

「ハルお兄ちゃん、入ってもいい?」

妹の声。断るわけにはいかない。僕は思考回路のスイッチを切り、答える。

「うん、いいよ」

「ありがと」

がちゃりと扉を開けて入って来た妹は、どこか疲れているような感じがした。当たり前か。毎日授業に部活に。中学高校帰宅部の僕には到底わからない。

「大丈夫?やけに疲れてるね」

妹は答えず、そのまま僕のベッドに腰掛けた。通学カバンは自分の部屋に置いてきたのか、手ぶらだった。服装は、制服に、白いハイソックス。きちんとふくらはぎの真ん中あたりまで伸ばし、ワンポイントの位置も正確だ。ブレザーは脱いで、白いシャツに赤いリボン、紺色のチェック柄の入ったスカート。厳しい校則ぴったりの、座った時に膝が隠れるかどうかというくらいの丈に調節されている。妹はベッドに座ってからも、無言のまま。

「どうか、したの?」

「ハルお兄ちゃん」

僕が部屋の中央に敷かれた鹿柄のカーペットの上にあぐらで座ると、妹が急に口を開いた。

「私ね、今日、大変だったんだ」

「部活?」

「ううん、違うの」

首をふるふる。黒髪も合わせてふるふる。

「私ね、今日、家に上履きを忘れて、行っちゃったんだ、学校に」

その瞬間、僕の鼓動が2倍早まるのを感じた。一気に体温が上がり、頭に血が上る。妹が、あの妹が、上履き忘れ!?

「そ、そうなの。そりゃ、大変だったね・・・」

僕は努めて冷静に返答した。僕の今のこのドキドキを、悟られるわけにはいかない。いや、誰にも知られるわけにはいかないのだ。僕が、僕が・・・。

「・・・ハルお兄ちゃん、そういうの、好きなんでしょう?」

その瞬間、頭に上りつつあった僕の身体中の血液が、一気に下半身に降りていくような感じがした。鼓動がさらに3倍早くなる。心臓の音が妹に聞こえているのではないかと、不安になる。

「な、なんで、僕が、そんなの・・・」

もしほんとうに、妹が僕の好きなことを知っているのだとすれば(そうではないことを祈るが)、なぜ、どこからそれを知ったのだろう?

「だってハルお兄ちゃん、こんな小説、書いてるんだもの」

妹が僕の目の前に提示した証拠品。それは確かに、僕のものだった。この字の拙さ、見覚えのある小説。僕は高校に入ってから、小説を書くようになった。誰にも見せない、自己満足のためだけの小説。その主人公の女の子は、学校内をある事情で上履きを履かずに歩き回ることになる。その小説が、妹が持っていたそれである。全体の7割ほどまで書き進め、あとは放課後と帰宅後の場面を書き終われば、しめて完成となるはずだった。しかし、最近その小説が見当たらなくなっていた。まさか、妹が持っていたなんて・・・。

「ひ、ヒナ、それ、どこで・・・」

原稿用紙を指差す手が震える。これは僕のですと、自白しているようなものだった。

「この前貸してくれたノートに挟まってたよ。これ」

それは、妹のテスト対策のために僕が貸した、中学生時代の僕の国語のノートだったそうだ。家族にみつからないようにそれに挟んでいたことをすっかり忘れていた。もう二度と使わないはずのノートだったから・・・。

「そ、そうだったのか・・・」

「それで?ハルお兄ちゃん、上履きを忘れた女の子が、好きなんでしょう?」

重ねて尋ねてくる妹。ニマっとした、いたずらっぽい笑みを浮かべている。ここまできて否定するのも、往生際が悪いというものだ。

「はい、その通りです。ごめんなさい」

僕はその場に正座をして、そのまま額を床につけた。どう思われたのか。もう二度と、口も聞いてもらえなくなるのだろうか。早かったなあ。楽しかった妹との思い出が蘇る。

「どうして謝るの、ハルお兄ちゃん?」

「え?」

顔を上げると、そこには足をぴったり閉じてきちんと座る妹の姿があった。心配そうな顔をしている。

「だって、僕・・・」

「別に、謝ることじゃないよ?誰にだって好きなものはあるんだから」

妹の心の広さに改めて触れた気がした。女神さまのような姿がそこにある。

「そ、そう?なら、よかった」

「それでね、ハルお兄ちゃん。ちょっとのあいだ、付き合ってもらえないかな?」

「う、うんうん、なんでもいいよ。いつまででもいいよ」

もうテストなんてどうでもいい。さっき妹は、上履きを忘れて大変だったと言った。ならきっと、妹のこの真っ白なソックスは・・・。

「ハルお兄ちゃん、これ、見てくれない?」

そう言って、妹は僕の顔の真正面に、自らのソックスの両足の裏を差し出した。

「わお・・・」

そこには、可憐で、かわいくて、美しい妹のその容姿から想像もつかないほど、ふくらはぎや足の甲の部分の白さとは対照的に、真っ黒に、足の形に汚れのついた、もともとは白ソックスだったものがあった。土踏まずの部分と五指の間に僅かの白さを残し、それ以外の、妹の可愛い小さな足が地面についていた部分には、あの中学校の古い校舎に溜まったホコリやチリ、砂が集まって、妹の可愛い小さな足の形を左右対称に作っていた。

 どれくらいそうしていたのだろう。妹はやがて僕の目の前から足を離し、床につけた。

「どう?すごいでしょう?」

先ほどまで元気のなさそうに見えた妹だったが、今の妹は、笑顔だった。僕との会話を楽しんでいるように見える。

「うん、すごい、すごい。初めて見た。こんな間近に、あんなに真っ黒なの」

「うふふ、ハルお兄ちゃん、うれしそう」

僕は、もう隠すのも、おどおどするのも止めて、妹と素で話そうと決めた。どうせ僕の好きなことは妹にバレているし、おそらく妹もそれを受け入れてくれているはずだ。そうでないなら、今頃妹は僕の部屋を飛び出し、二度と僕と口をきくことはないだろうから。

「もっとよく、見せて欲しい」

僕は自然と、そう口に出した。妹はややためらいがちに、

「じゃあ、ベッドの上に、いい?」

「うん、もちろん。好きなように」

「じゃあ・・・」

そう言って、自分の足を僕のベッドの上に乗せる。スカートの裾を足の下に入れて、女の子座りの姿勢をとった妹。当然、両足のソックスの足裏は丸見えになった。

「わ、真っ黒だ・・・」

LEDの明かりに照らされた妹のソックスの足裏は、さっき見せてくれたときよりも、その黒さが余計に際立って見えた。白と黒のコントラストが美しい。また、妹の完璧な容姿と、その足裏のギャップのあまりの大きさに、僕は興奮が最高潮に達していた。

「そ、そんなに見つめられると、なんか恥ずかしいな・・・」

ほおを朱色に染めて、恥ずかしそうに妹は言う。だがその中にも微かに楽しそうな感じが僕には伝わってきた。

「もっと、よく見たいな」

「今度は、どうする?」

「うつ伏せに、横になれる?」

「わかった」

こうなったら、もうとことんやってやるしかない。妹もそれを望んでいる。僕はそう感じていた。僕に背を向けて、うつ伏せにベッドに横たわる妹。紺のスカートから白く細く伸びる足。ふくらはぎからはその足が、純白の白ソックスに包まれる。だがその白さは、足裏という部位に達した時、黒に変わる。この姿勢もなかなかいい。妹でないと、こんなお願い、できるわけがない。

「ハルお兄ちゃん、どう?楽しい?」

「うん、すごく楽しい」

「私も、なんだかとても楽しいの。さっきまで、上履き忘れて、恥ずかしかったし、靴下汚れちゃうしで、すごく落ち込んでたけど、励まされたみたい」

妹は体を起こして、僕ににっこりと笑いかけた。

「次は、どうする?」

妹が訊く。まだまだ一緒にいていいらしい。僕は体が火照り、汗をかいていた。鼓動も激しく、口から心臓が出てきそう。僕は、最後のお願いを口にした。

「じゃあ、最後に、靴下を脱いで欲しい」

「え?脱いじゃうの?」

「うん。裸足も、見てみたい」

「ハルお兄ちゃん、大胆だね」

一か八かのお願いだったけれど、妹は快く引き受けてくれた。くすりと笑って、妹はベッドの上に膝を立てて座ると、片足ずつ、ゆっくりとソックスを下げ、つま先部分を手でつまんで、完全に足からそれを引き離した。真っ黒なソックスを手にして妹は、

「ほんとうに真っ黒。洗濯、大変だなあ」

と言っている。両足のソックスを脱ぎ終わると、僕はそれを受け取って、机の上の勉強道具をどかし、真っ黒な足の裏をこちらに向けて置いた。何度見ても、素晴らしい。

「ハルお兄ちゃん、どうする?」

「うん、足の裏、見せて。好きな格好でいいから」

「なら、また、ベッドに横になるね」

そう言って、妹は再びうつ伏せになった。制服姿に素足。これだけでも十分なのに、その素足は、靴下を透過してきた細かいチリや砂の粒子により、灰色に汚れていた。ソックスだけではなく、素足もここまで汚すなんて、妹は今日、校内をどこまで歩いたのだろう。その話も聞いてみたい。

「ハルお兄ちゃん、もう、いいかな?私、お腹がすいちゃった」

「あ、ごめんごめん。うん、もう十分だよ。ありがとう。でも、御飯の前に、足を洗わないとね」

「え?ウソ、ここも汚れてる!」

まさか自身も、素足まで汚れるとは思ってもみなかったのだろう。また女の子座りの姿勢になって足の裏を確認すると驚いた声を上げた。その後妹は、

「じゃあ、ハルお兄ちゃん、またね!」

と言って、部屋を出ようとする。

「ちょっと、まって」

「ん?なあに、ハルお兄ちゃん?」

「今日のこと、もしよかったら、後で聞かせてくれないかな?どこをソックスのまま歩いたのかとか、部活とか」

「今日のこと・・・。うん、わかった。待っててね!」

「うん」

パタンと扉が閉まり、ペタペタと素足の妹の足音が遠ざかる。ふと机を見ると、妹の残したソックスがまだ載っていた。何度見ても、心臓がドキドキする。上履きを忘れ、一日中学校内をソックスで歩いた女の子のソックス。長年見たいと願っていたそれがまさか妹のものだなんて、なんて運がいいのだろう。僕はそのソックスを手に持ち、顔の前に持っていく。つーんと鼻をつくホコリっぽい匂い。でも、嫌な感じはしない。あの可憐でかわいくて、美しい妹の、真っ黒に汚れた白ソックス。僕はそれを丁寧に巾着袋に仕舞うと、押し入れの秘密ボックスの中にそれをしまった。明日のテストのことなど、頭にはこれっぽっちも残っていなかった。


つづく


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