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〔ライト〕な短編シリーズ

とある村の村人さん、闇堕ちの危機になる。

作者: ウナム立早


 日の光が地平線の彼方に沈みはじめ、村の外ではじわりと、夜の闇が押し寄せてきている。


 先ほどまでは黄金色に輝いていた草原も、徐々に周りの暗さに溶け込み、そよ風に揺れる草のゆらゆらとした動きが、かえって不気味に感じるぐらいだ。


 そしてこの黄昏の中でたったひとすじ、この村に繋がる白土の道だけが、残ったわずかな光を反射して、ぼうっと浮かびあがっていく。


 その様子を見ながら俺は、村の入り口の門扉に手をかける。その直後、闇の向こうからキラリと、獣の眼のような妖しい光が2つ見えた――ような気がしたので、俺はそそくさと門を閉めきって、しっかりとかんぬきをかけた。


 門の横の外壁にもたれて、天を仰ぎ、ため息をひとつつく。そして、立てかけてあった何本かの銅製の槍を見て、その中で錆が少なそうなものを取り、装備する。さあ、これから、夜の門番の仕事が始まるのだ。


 この仕事は村長からの提案で始まったもので、毎晩、村にいる男性のなかから体力に余裕のある者が5人ほど選ばれて、朝まで交代しながら番をするという仕組みだ。


 夜中に起きていなくちゃならないという点を除けば、仕事の内容は報酬のわりに気楽なもんである。


 たいていの場合は槍をかつぎながら、正門の周りをウロチョロしていればいいだけ。こんな田舎の村には、攻め込んでくる軍隊や、襲撃してくる危険度の高い魔物モンスターなんてものは、まずいない。ごくまれに、レアな道具アイテムを探して真夜中に探索をしている酔狂な冒険者が、門の扉を叩きにくるぐらいのものだ。


 ざっざっざっざっ……。


 静かな門の前で、往復する俺の足音があたりに響く。他に耳に入るのは、トーチの炎が燃える音と、門の隙間から入ってくる風の音、そして時々、俺の鼻歌、ただそれだけ。


 門を閉めてからいくらかの時間が経ったが、どうやら今夜も、大した問題もなく終わりそうだ。


『いやあ、この仕事はまったくヒマなもんだね、これで報酬も貰えるんだから、昼間の畑仕事なんか、やる気がなくなっても仕方ねえなあ』


 突然声が聞こえてきた。


 ほんのわずかに間を置いた後、俺はあたりを見回した。しかし、正門の付近には、俺以外の誰もいない。


『おいおい、なに慌ててんだよ、心配すんな、ここには俺らしかいないんだから』

「だ、誰だ!?」


 またしても聞こえてきた正体不明の声に、俺は言葉を返した。


『失敬しちゃうね、俺はいつもお前と一緒にいるというのに。ほら、ここだよ、もうちょい下、地面のほうだ』


 言われるがまま、俺は目線を下に落とした。そこには、外壁の上にあるトーチから放たれた光を受けてできた、黒く長い影が、前方へと伸びていた。


 そして、その影は槍を片手に、もう片方の手を、挨拶をするように大きく振っている。俺は両手とも、槍を強く握りしめているというのに!


「うわあっ!」


 俺はたまらず声をあげて、動く影を槍で思い切り突き刺した。


 ざくっ。


両手に伝わってきたのは、無機質な地面の感触だけだった。


『せっかくこっちから話しかけてきてやったのに、つれないじゃないか。ま、そんな槍を突き刺したところで、俺には痛くも痒くもないがね』


 影はそう言いながら、今度は額に手をあてて、首を振る動作をした。


「い、いったい、お前は何者なんだ。俺をどうしようっていうんだ!」

『見ればわかるだろう、俺はお前の影だよ。俺とお前は表裏一体の存在、つまり相棒のようなもんだ。まあ、そうビクつかなくてもいい、俺はお前に危害を加えるつもりはないんだからよ。ただあんまりヒマそうだったから、話し相手になってやろうと思っただけさ』

「影だって? それに、話し相手……?」


 危害を加えるつもりはない、という言葉に少し安心したのか、俺の動揺は徐々におさまっていった。


 と同時に、自分自身の影が勝手に動き出して話しかけてくる、というこの状況、なんだか前に聞いたことがあるような――そんな気がしてきた。


『よお、そろそろ門番の仕事を再開したらどうだい。それにしても、この仕事は見てると本当に退屈でつまんねえな。そうは思わないか? とっとと切り上げて、帰りたくもなるだろ?』


 そうだ、思い出した! 時々この村にやってくる吟遊詩人たちが、よく冒険譚サーガのネタにしている、人を闇に誘う影の魔物の物語、それにそっくりなんだ。


 その魔物は、この村の南にある洞窟の奥深くに生息し、人の影に取り憑いて、悪いことをさせようとささやきかけてくるらしい。


 この村に入ってくる噂だけでも、被害にあった冒険者たちの数は決して少なくない。その洞窟では、レアな素材や宝物が採掘できるようで、危険を承知で挑んでいく冒険者たちが後を絶たないのだ。


 吟遊詩人がうたっていた内容をかいつまんで言うと、自分の正義が本当に正しいのかとしつこく問われ続け、闇に堕ちた聖騎士パラディン様や、三角関係になっている恋心を指摘され、パーティ解散の危機にまで陥った勇者の一行までいるそうだ。


 まさか、そんな恐ろしい魔物が俺に取り憑いたっていうのか……!?


『今日の晩飯ばんめしは何かなぁ? 確か今夜は、お前の大好物のブラッドリーチキンステーキだろ? 今すぐ家に帰れば、母ちゃんが熱々のステーキを作ってくれるはずだぜ、どうだ、帰りたくなってきたか?』


 ……なんだって? 晩飯?


『この村にはほんと、センスの悪い服しか置いてないよな、こんな田舎者丸出しの服しか着れないんじゃ、モテなくて当然だよ。ほら、そこの門の扉を開けて、北の王国の城下町まで駆け出そうぜ。そこでばっちり服装をキメて、モテモテ人生への第一歩を踏み出そうじゃないか』


 ……モテモテ!?


 聖騎士様や勇者一行と違って……俺の場合は食うこととモテることかよ!?


『なあ、もうやめようぜ、こんなつまんねえ仕事はよ』


 どうやらこいつは、俺の門番の仕事を止めさせたいようだ。何の目的があって俺に取り憑き、仕事を止めさせようと誘っているのかは全くわからんが……そうはいくかい! そんなくだらねえ理由で仕事を放棄するような奴なんか、普通いねーだろ! 俺をいったい何だと思ってやがるんだ!


 俺は影の誘いを無視して、そのまま仕事を続けることにした。不快ではあるが、このまま無視し続けていれば、いずれは無駄だと知って奴のほうから身を引くだろうと思ったからである。


 しかし、影の誘いはその後もしつこく続いた。


『西にある町ではなぁ、もう今年の果実酒が解禁されてるんだってよ、やっぱ果実酒は絞りたてが一番だよな? りにいかねえか?』

『おい、ステーキに振りかけるスパイスを買い忘れてるんじゃねーの? 今ならまだ道具屋も開いてるかもしれんぞ』

『お前の部屋のゴミも溜まってたよなあ、今のうちに家から持ち出して、外に捨てちまえばバレないんじゃねーか』

『畑仕事も疲れるよなあー、早めに寝て、体力を蓄えておきたいよなー』


 あの手この手で誘いをかけてくるが、しかしまあ、その内容のなんとショボいことよ。聞いているうちに、自分の底の浅さというか、俗っぽさが浮き彫りにされているみたいで、無性に腹が立ってくる。


 それでも俺は無口をつらぬき、感情表現は舌打ちや歯ぎしりなどの最低限にとどめつつ、門の前を早足で行ったり来たりして時間をつぶしていた。




「おーい、ラークさん。交代の時間ですよ」


 村の方角から聞きなれた声が聞こえてきた、交代の時間が来たようだ。どうやら影のやつの企みは失敗に終わったようだな、へっ、ざまあみろってんだ。これに懲りたらとっとと村の外にでも失せちまいな!


「……どうしたんです? 自分の影をジロジロと見つめて」

「あっ、いや、何でもありません。次の時間の門番は、若様がやるんですか?」

「ふむ、私も次期村長として、やるべきことはやっておかないといけませんからね」


 そう言って声の主は、薄暗い空間から姿を現し、クイッと眼鏡の位置をなおす動作をした。彼は村長の息子で、俺たち村人は若様と呼んでいる。子どものころに北の王国へと留学して、立派な教育を受けてこの村へ戻ってきた、インテリの坊ちゃんだ。この夜の門番の仕事を村長に進言したのも、この若様である。


『しかし、インテリと言っても眼鏡をクイッとする動作はわざとらしいよなあ。そんなに自分が賢いやつだってことをアピールしたいのかよ? 眼鏡もなんかセンスわりいし』


 背筋が凍り付いた。


「あっ、ちょ……、違うんです! さっきのは俺じゃないんです! この影が……」

「うん? 急に何を言うんですか?」

「えっ?」


 少し間が空いて、ようやく俺は理解した。この影の声は、俺以外には聞こえていないのだ。俺は思わず胸をなでおろした。


 しかし安心したのも束の間、若様は門のほうをじっと見つめると、眉間にしわを寄せ、明らかに不快そうな表情を見せた。


「ちょっとこちらへ、一緒に来てください」

「は、はあ」


 そう言われて、俺は門の右側の扉までついていった。そこで若様が指さした扉の下部には、ちょうど小動物が通れるぐらいの破損があった。


「これ、気がつかなかったんですか?」

「あ、はい、気づきませんでしたねえ……」

「こんなことじゃいけませんよ。門の整備メンテナンスもこの仕事の内ですからね、今はまだネズミが通れるぐらいの大きさですが、放っておくと、万が一襲撃を受けた時、ここから門が破壊されることだってあり得ますからね」

「……はい」


 正直なところ、俺は若様のことが苦手だ。年上である俺に対しても、容赦なく説教してくる。おまけにかなりの神経質で、理屈っぽくて、融通が利かない面もあるのだ。


『まったく、留学先で友達がいたのか怪しいもんだな。そんな神経質だと、ガールフレンドもろくにできないだろ、あん?』


 不意に影の声が聞こえてきて、俺は肩をすくめた。まるで俺の不満や愚痴を直接――いやいや、そうじゃなくて! だいぶ悪い方向に言い直して俺にささやいてくるのだ。こいつめ……こんなことをしていったい何になるというんだ!?


 それから、若様の説教と影のささやきが、代わる代わる俺に襲いかかってきた。


「外壁のトーチもちょっと小さくなってきてますよ、新しい燃料を入れておかないと」

『俺に言うんじゃねーよ、もうお前が番をする時間なんだからお前がやれよバーカ』

「さっき武器屋の人から聞いた話なんですが、3日前の仕事では居眠りをしていたそうですね、あの時はだいぶ遅い時間帯の仕事だったのは認めますが、何かあったら一大事ですよ、気を付けてください」

『武器屋のハゲ親父め、よくもチクりやがったな。あの親父は店番をしている時でさえたまに居眠りしているというのによ。若様もよ、たまには真夜中に門番でもやってみたらどうだい。門番をするにしても、いつもいつも早い時間帯ばっかりじゃねーか。夜更かしは頭脳の大敵ってか? あ?』

「それに、今晩は服装も乱れてますよ。槍だって、ほら、槍先の留め具が外れかけているじゃありませんか。こんな時に魔物と戦闘になったら、まともに戦えますか? 私たちの仕事にはあなたの家族だけでなく、村人全員の安全が左右されているのですよ」

『服装が乱れてるだと? お前こそなんだよ、上着の下に、こっそり鉄製のプレートを装備しているじゃねーか。そんなだからいまいち村人に尊敬されねーんだよ。それになんだその頭は? 年上の俺よりも生え際が危ない感じになってんぞ。槍先よりも、本格的にハゲて恥をかく前に、カツラの留め具でもこっそり買っとけや』


「うるさぁい! 黙ってろ!」


 俺は思わず、影にむかって怒鳴り声を浴びせかけていた。


 はっとして前を向くと、そこには顔面蒼白で、おびえた表情を浮かべた若様がいた。


「……す、すみ、すみません……」

「あ、い、いや……」


 俺はどうしていいかわからなかった。若様も開いた口が塞がらないといった様子だ。ただ、影だけが、俺にしか聞こえない邪悪な笑い声を響かせていた。


「も、申し訳ないです! どうも調子が悪いようで……後はよろしくお願いします!」


 なんとか言葉を絞り出すと、俺は逃げるようにして村のほうへと駆け出していった。




 こ、これは……思っていたよりヤバいぞ!


 俺は村の路地を走りつつ、今までにない焦りを感じていた。


 いくら内容がしょうもなくても、こうも耳障りなささやきを日常的に続けられたらたまったもんじゃない。さっきの若様のような反応をしてしまったら、面倒ごとになるのは当たり前だ。今なら闇に堕ちてしまった聖騎士様の気持ちも、少しは理解できるような気がする。


『どこへ行こうというんだよ? わかってるだろ? 俺はお前の影だ。自分の影からは誰も逃げられないのさ、ハハハハハハ……』


 影は相変わらずの減らず口だが、俺は何も言わずただ走り続けた。


 村中に、大声で助けを求めたい衝動が湧き上がる。だが――助けてくれ! 影の魔物が俺に取り憑いたんだ! 闇に堕とそうとささやいてくるんだ!――と訴えたところで、誰が真面目に取り入ってくれるだろうか。こいつの声は俺以外には聞こえないし、他人の前では影として、違和感の無いよう振る舞うに違いない。頭を冷やせと言われて、地下室かなんかにぶちこまれるのがオチだ。


 なんとかこの事態を、大事にならずに解決できそうな場所があるとすれば……。


「おーい、カティ! まだ道具屋は開いてるか!」


 狭い路地を抜けだし、ようやく目的の場所へとたどり着いた。俺は道具屋の扉近くで作業をしていたカティを、必死の大声で呼び止めた。


「あら、ラークじゃない、どうしたの、そんなに慌てて」

「ま、まだ道具屋で買い物はできるよな!?」

「えー、今、閉めようとしているとこなんだけどー……」


 相変わらずゆっくりとした喋り方だ。子どものころからちっとも変っちゃいない。


『いつもボーっとしたような顔してるよな、こいつは。それに、無駄に胸元を強調するような服を着やがって、こんな田舎村のケチな男どもにアピールして、何になるってんだよ』


 俺は影の戯言を無視して、幼馴染のカティに対するプライドも捨てて、哀願するように訴えた。


「な、なあ、呪いを解くような道具がないか? なんか、こう、呪われた装備品を解除できたり、幽霊っぽい魔物をお祓いできるようなやつとかさあ! お願いだ、買わせてくれよ!」

「は、呪い? あんた、なんか、呪われてんの?」

「ま、まあ何かに取り憑かれているというか……、とにかく! ちょっと店の中に入らせてくれ!」


 事態がいまいち飲み込めていないカティを尻目に、俺は道具屋の中へと入り込んだ。幸いなことに、中には誰もいないようだ。店内のランプから放たれる黄色の光を受けて、床に伸びる俺の影は、ゆらゆらと不気味に揺れていた。


「ねーえ、もうちょっと詳しく説明してくんないと、わかんないんだけどー」


 続いて店の中に入ってきたカティが、不満を言いながら入り口近くの椅子に腰かけた。カティの言うことももっともだ。今は2人しかいないんだし、回りくどい言い方はやめて、事実をはっきり伝えるべきだろう。


『別に説明なんてしなくてもよ、今、切羽詰まっている状況なのが見てわかんねーのか?  何年たっても足りねえ脳みそだな。その呆け面を一発ひっぱたいて、気合いを入れてやった方がいいんじゃないか? ああ?』


「実はな、カティ、俺には、影の魔物が取り憑いているんだ。ほら、吟遊詩人がよくネタにしてる、南の洞窟に住んでいるとかいうアレだよ。現に今、俺にしか聞こえない声で、色々と悪いことをささやいているんだ」


 どんな悪いことをささやいているかは、あえて言わないでおいた。


「うっそォ」


 そう言ってカティは吹き出し、しばらく口元を抑えて笑っていた。


「笑うなよ、本気マジだぜ!」

「いやぁさあ、その影の魔物ってぇ、聖騎士様や勇者の一行に色々と悪さしてたってハナシじゃん? なんでさ、あんたみたいな普通の村人にわざわざ取り憑いてきちゃったワケぇ?」


 ごもっともな意見だ。だけど、こうして実際に俺に取り憑いているのだから、こればっかりは説明のしようがない。


「とにかく! なんとかこの魔物をやっつける道具か何かないのか!? お金なら何とかするからさ! このままだと俺は本気で闇堕ちしてしまうかもしれないんだよ!」


 闇堕ちという単語を聞いて、カティはまた大きく吹き出した。話を聞いてくれるだけでもありがたいと思うべきなんだろうが、いかんせん、面白半分で聞いている感じが否めない。


「わかった、わかった。ちょっと、そういうのに効きそうな道具があるから、見せてあげるわ」


 そう言うと、カティは半笑いを浮かべながら、店のカウンター奥に飾られていた小瓶のうち、一つを持ってきた。どうやら液体かなんかが入っているようだった。


「なんだ、それ?」

「これね、『聖水』ってやつだよ」

「聖水? それって確か、体に振りかけると魔法に対する耐性が上がる道具じゃなかったか?」

「実はこの聖水はね、不死者アンデット幽霊ゴースト系の魔物に直接ぶっかけると、そこそこのダメージが与えられる効果もあるんだってー、試しにコレ、自分の影にかけてみれば?」


 なにその中途半端な使い方は……それにそこそこのダメージって……そんなんで俺の闇堕ちが防げるのかよ!?


『もういいだろ、コイツに何を言っても無駄さ。こんなチンケな聖水で、俺を倒せるわけがないじゃん。なあ、たまには俺の言うことも聞いてくれよ。そうだ、そんな聖水よりも、コイツの聖水を自分で浴びたほうが、よっぽと元気が出るぜ。顔つきだけでなく、股も緩そうだしな。土下座でもして、あなたの聖水を俺にぶっかけて下さい、って頼み込んでみろよ。きっと、よろこんで股を開くだろうぜ、ヒャハハハハハハ!』


 もう我慢ならん。


「どうしたん? 買うの? 買わないの?」

「カティ、聖水の小瓶をありったけくれ」

「えっ? そこの棚にあるやつ、全部?」

「いいからありったけだ! 金は後で払うから!」


 どれほどの効果があるかなんて、どうでもいい。とにかく、この言いたい放題のクソッタレな影に何か一撃でも加えてやらなければ、俺の腹の虫はおさまりそうにもなかった。


 カティは少し慌てながら、カウンターの上に聖水の小瓶を並べ立てた。俺はそのうちの一つを掴み取ると、封も切らずに思い切り影に向かって叩きつけた。


「食らいやがれっ!」


 パリンッ。


 瓶が割れる音とともに、聖水が影の上に撒き散らされる。


『ギィィィイイイヤアアアアアアッ!!』


 思っていたより痛烈な反応が返ってきたので、俺は逆にたじろいでしまった。


 影は、両手で頭を抱え、激しくのたうち回っているような動作をしている。どうやら本当に効いているらしい。


 しばらく影の苦しむ様子が続いた後、だんだん様子がおとなしくなり、ついに、カウンターの前で棒立ちになっている俺と、寸分違わぬ姿になった。倒した……のか?


「びっくりした……」


 振り返ると、カティが珍しく、目を点にして驚いていた。


「ほんとに取り憑いていたんだね、影の魔物が……」

「カティにも、さっきの叫び声は聞こえていたのか? ほら、だから言っただろう、本気だって」

「ちゃんとやっつけた? 大丈夫なの?」


 カティが恐る恐る覗き込んできたので、俺は試しに手を振ってみた。すると、床に移る影も同じ手を振り返した。もちろん、ささやき声も、もう聞こえない。


 俺は闇堕ちの危機が去ったことで、全身の力が抜け、その場に座り込んだ。心の中が静寂と安堵で満たされていく。


「はあ、助かった。……それにしてもなぜ、あんな聖水の小瓶一発で、あの恐ろしい影の魔物を倒すことができたんだろ?」


 するとカティはふふっと吹き出し、またいつもの調子に戻って、こう言った。


「そりゃあ、あんた、もともと影が薄かったからじゃない?」



-END-



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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