その二・こいつはきな臭えな 後編
さて、今回の件での最終的な目的は何か。
それは林檎の心に平穏を取り戻し彼女を元に戻す事。
…………………………このまんま大人しくしていてくれた方が有り難いかもとか思っちゃうけど、思っちゃうけどね? やはり無理をさせているって言うのは色々とよろしくない。
ともかく林檎の心を癒すためには彼女の抱えている問題を解決してやらなければならないわけだ。
そしてその問題とは、自身の父親――青森 富士雄との不和から生じている。つまり二人の間を取り持ち関係を改善してやれば、問題解決に繋がるという事。
そのためには――
「――なぜ離婚という手段に到ったか。それを知る必要がある、という事ですね」
どこから持ってきた細いフレームの伊達眼鏡を指先で押し上げ、小梅が目を光らせる。
いつもの家庭科室から止り木に場所を移し、林檎を囲む形でアタシたちは作戦会議を行っていた。
結局林檎はアタシたちに押し流されるような感じで、父親である青森さんと対峙する事に決めた。ただ場合によっては関係悪化の可能性もあるわけだが、そうさせないようにするのがアタシらの仕事だ。とりあえず林檎が馬鹿やるようだったらシメる。そういう方向で。
で、林檎の方は良いわけだけど、青森さんの方なんだよねえ問題は。何を考えているか、何をしているか、そしてどうやって接点を持つか。山積みも良いところだった。
「まずは一つ一つ片付けていくべきですね。手近なのは、青森さんの現住所、そして行動。そこらへんから調べていけばいいでしょう」
なるほど、手を付けられるところからアプローチしていくってわけかい。悪くはない、か。
アタシはそう思ったんだけどね。
「それより本人が腹決めてるんだから直接合わせたら? 手っ取り早くて面倒がない……と思う…………んですけれどどうでしょうかダメですかダメですね生まれてきてスイマセン」
どストレートな意見を出したのは南田……っと、ここには他にもいるから……カヅでいいか。今後そう呼ぶ事にしよう。ともかく軽く口にしたカヅは皆の視線を受けて徐々に調子を落し、そして最後にはカウンターの上で土下座を始めた。
一体何なんだろう、別に皆睨み付けてたわけでも何でもないのに。(後で聞いたら、ちょっと最近女性恐怖症じみているとの事。なんでだ?)それはそれとして確かにカヅの言う手なら手っ取り早い。が、面倒がないというのはどうだろう。そもそも異常なまでに親馬鹿だったという青森さんが、意識こそしているものの娘である林檎をほぼ完璧に無視している状況からすると、会うことを拒否され門前払いを喰らう可能性もある。アタシはいいんだが、林檎が馬鹿やってそれを諫めるのが面倒だ。作業的には一撃で済むけど精神的に、ね。
引き続き情報収集って方向だな。直接アタシたちが青森さんのやってることに首を突っ込むわけにはいかないから、線引きというものを見極めるためにも情報は欲しい。
「そこでこのお姉さんの出番というわけなのよ香月。いえここは負けないためにもカヅと呼ぶべきかしらね」
「最近姉妹が神出鬼没かつエスパーじみてまいりましたが、俺ちゃん一体どうすればよろしいのでしょうか?」
カウンターの内側に突如現れたカヅのお姉さん――美月さん。確かこの人非常勤とはいえウチの学校の保険医も兼ねていたはずだが、いつ帰ってきていつ店を開けているんだろう? 絶対時間的に合わないと思うんだけど。
ま、まあ考えても仕方のない事はどうだっていい。それはそれとして、この人何する気だよ?腰が退けながらも疑問の視線を向ける皆の前で、美月さんは(なかなか立派な)胸を張り、自慢げに宣った。
「このお姉さん、ちょおっとツテが広くてね。この近辺の警察関係情報なら大概の話が耳に入るのよ。凄いでしょ誉めて誉めてカヅ♪」
なぜか部屋の隅っこで縮こまってぷるぷる小動物のように震えだしたカヅは放っておくとして……ひとまず助かった、のかな? なんでそんなツテがあるのか聞いてみたいところだけど聞かない方が良いんだろうなあ。ここは素直に美月さんの(カヅに対する)好意をありがたがっておこうか。
「ありがとうございます。このお礼は……特製金魚鉢パフェを全員で頼むという事で」
『おうい!』
“夕樹を含む女性全員”が、小梅の言葉にツッコんだ。特製金魚鉢パフェってのは止り木の名物らしく、文字通り金魚鉢サイズの容器で出てくるどでかいパフェだ。お値段もなかなかのものだが、何よりボリュームが凄い。そんなもん食ったら……………太るぢゃないか間違いなく!
抗議の視線を向けてみたのだが、それ以上に底冷えのする光を湛えた瞳を向けられて、アタシたちはたじろぐ。その視線の先は……胸元。
「…………檸檬さん林檎さん、大盛り。かりんさん特盛り。後は分かりますね?」
悪かった。アタシたちのせいじゃないけど悪かった。でも今は全く関係ないし、食っても食っても肉にならないその体質は逆に羨ましいんだけど?
つったら背後におどろ線を浮かべて、涙を浮かべた恨みがましい目で睨み付けられた。
「富める者には貧しき者の気持ちなんぞ理解できないのですよ……っ!」
そんな彼女の肩に、ぽんと手を置く者がいる。先程から無言を貫き通していたノブだった。
「…………安心しろ」
微かに笑みらしき物を浮かべた彼は、大きく頷いてこう言った。
「…………オレは全域対応だ」
フォローになってねえ。
なってなかったはずなんだが、小梅は一瞬きょとんとした表情をノブに向け、それから目の端に涙を溜めながらも嬉しそうに笑顔を見せ、「はいっ!」と返事をしてた。え? ここときめくところか? 小梅だけじゃなく話聞いてた檸檬もきゅううんってなった顔してるし。
遠くに行ってしまった友に、アタシは涙を禁じ得なかった。
ま、まあいい、コイツらは放っておこう。とにかくお仕事関係は美月さんにお願いするとして……。
「あとはプライベートな情報が欲しいけど……北畑、アンタ青森さんの好みとか趣味趣向とか聞いてないかい?」
「ほへははほたいひはほほはひらはひは……」
「飲み込んでからしゃべれ」
ちゃっかり金魚鉢パフェ頼んで一心不乱に食ってんじゃねえよ。ずっと喋らないと思ったらこの男、メニューを片端から頼んでばくばく食ってやがった。
青森さんと関わり合いがあるからちっとは役に立つかと連れてきたけど、期待はずれだったかなあ? 落胆するアタシの目の前で北畑は口の中のものをごくんと飲み込み、口の周りを拭いてから再び言葉を発した。
「俺様も大した事を知っているわけじゃあない。ただ……」
「ただ?」
「あの人も、猫派だ」
「それワリと重要情報だから」
密かにダメ人間の仲間だったのか。親馬鹿の時点ですでにダメなような気がしてたけど、公私の区別はしっかりしているんだろう。多分。
いくら何でも猫関係で釣られることはないと思うんだけどなあ。重要っぽいがあまり役に立ちそうにない話だと判断し、アタシは北畑に他に何かないのかと続きを促そうとした。
そこで何を思い付いたのか、檸檬が「それいただき!」と声を上げつつにぱりんと笑い、ぱちんと指を鳴らす。
何のつもりかと思ったら、彼女の傍らにいきなり人影が現れた。
『う゛お!?』と皆が驚きの声を上げる中、悠然と構えた檸檬はその人物――これと言って特徴のない顔をした執事らしいそのおっちゃんに、「“アレ”をおねがい」と短く命じた。おっちゃんは無言で一礼し一瞬だけその姿をかき消すと、次の瞬間には何やら箱を抱えて現れ、それを檸檬へと手渡し再び姿を消す。
…………………………え〜〜っと…………………………。
「そういや檸檬ってお嬢様だったね。普段がアレだから忘れてたけど」
「いやあの、どこのお嬢さんもあんな執事さん飼ってないと思うよ?」
ちょっと現実逃避。夕樹のツッコミもどこか覇気がない。何とも言えない空気の中、一人上機嫌な檸檬は鼻歌なんか奏でながら、箱をパカリと開けた。その中から取りだしたモノは。
『ね、ネコ耳!?』
そう、紛う事なきネコ耳がついたカチューシャ。特殊な趣味の人達御用達のそれで、一体何をするつもりなのか。ぽかんと間抜けな顔をさらすアタシたちの前で、檸檬は芝居がかった動作でネコ耳を高く掲げこう宣った。
「ふっ…………私心を殺し職務を果たさんとするその心意気は見事。……しかぁし! 己が愛する猫と! 同じく愛娘とが一体となった時! はたしてそれに耐えうる事ができようか! いやできまい!!」
「要するに林檎にネコ耳付けて青森さんと会わせようって考えかい?」
脳になんかおかしな菌でも繁殖したかこのお馬鹿。最近色ボケが酷くなったようには思ってたんだけどねえ……。
皆が痛々しい物を見る目で頷いたり檸檬の肩を叩いたりしている。しごく当然の光景だと思うのだが、なぜか檸檬は憤慨した。
「ちょっとお!? 何そのああこの子可哀想なんだなって目は! 大丈夫だって! これはイケるって!」
ぶんぶか腕を振り回しながら言ってもちっとも説得力なんかありゃしない。しらける皆を前に、檸檬は実力行使に打って出た。
「よーし見てなさいよほらあ!」
大人しくちょこんと端っこに座っていた林檎を引っぱり出して、その頭にネコ耳を装着する。
………………うんあの、確かに可愛いけどね今大人しいし。決定打になるとはとても思えないんだけど。
「そんな事ないって。ほらりんちゃん、にゃあって言ってみて?」
言われた林檎は困ったような顔をしてしばらく悩んでいたが、結局檸檬の提案を拒否する事はできないようだった。少し俯き気味になり、視線をあらぬ方向に向けて、顔を真っ赤にしながら呟くようにか細い声で鳴いた。
「にゃ、にゃあ……」
あざといな可愛いけど! これで引っ掛かるヤツぁ趣味人だけだよ! 結構多いような気がするけれど! 思わず三段ツッコミが炸裂するところであったがその寸前に。
ズギャウウウウウウン! と、何かど派手な装飾文字で表現されそうな音が背後から響いた……ような気配がした。
やーな予感がするぞオイ。怖気を背中に感じながら、怖々と異様な気配の発生源を確かめるべくそちらの方へと向き直ってみる。
そこには何かいた。
分かってる。北畑だってのは分かってる。しかし今のコイツは“人の姿をした何か”としか表現できない。
前屈ぎみの体勢。その身体はなぜか影に覆われ表情を窺う事はできない。ただ目の辺りが爛々と妖しい光を放っており、全身からゴゴゴゴゴという極太の効果音を伴って異様な気配を放っている。
思わず退いた。退くしかなかった。一体何が起こったのか誰にも理解できていない中、北畑らしき何かはゆらりと動き出す。その目指す先は……ネコ耳付けた林檎。
しまった! 生粋の猫好きを怒らせてしまったのか!? 言ってみればこれは邪道、父親たる青森さんには通用するかも知れないが、北畑にとっては逆鱗に触れるに等しい行為だったのだろうか。
何とかしようとは思っても、完全に気圧されて身動きが取れない。ええい、何でアタシの知り合いはキレると厄介な事になる連中ばっかりなんだよ! せ、せめて林檎のネコ耳を取らないと。
とか思っていても身動きが取れなきゃどうしようもない。皆が息を飲む中、北畑は怯えてすくむ林檎の前に立ち、その肩をがっしりと掴んで――
「結婚してくれ」
――至極真面目な顔で、そう宣った。
どんがらがっしゃん。
皆、錐揉み状態でコケた。
そーくるか!? もの凄く心の琴線に触れていたのか!? あまりの事に地に伏せてぴくぴくしたままの皆だった。そんな中北畑は超真剣な眼差しを向けて林檎からの返答を待っている。今まで見た事のない男前っぷりだ。ダメだけど。
対する林檎は瞳孔開いてフリーズしていたが、そのうちにぷるぷる震えだし、その名のごとく顔が真っ赤に染まっていく。
「………………ふ」
『ふ?』
「ふみゃああああああああああああああ!!」
尻尾を踏んづけられた猫のような絶叫。そして放たれた拳は吸い込まれるかのように北畑の顔面へと炸裂した。
腕の振り、腰の捻り、力の流れ、全てが完璧な右フック。それは北畑の身体を縦回転させながら店の端まで吹っ飛ばす。壁に叩き付けられ床に崩れ落ちた北畑だったが、即座に何事もなかったかのように起きあがり、ふっと不敵に笑ってみせる。
「見事、良い一撃だった」
格好良いけど格好悪いぞアンタ。よく見たら膝から下ぷるぷるしてるし。
「今の一撃は了承したという返答でよろしいか?」
『んなわきゃねえだろうが』
流石にみんな一斉にツッコんだ。外見の格好良さに反比例して、加速度的に頭悪くなっていってるぞ北畑。
「いくらなんでも性急すぎるというか単細胞というか馬鹿だろアンタ。猫好きのプライドはどこに行った」
「ふ、真の猫好きなればこそ、彼女の魅力に打たれたのだ」
格好付けて髪をかき上げつつ、北畑は指で指し示す。檸檬の後ろに半身を隠し、「ふー!」と威嚇しながら全身の毛を逆立てている林檎を。
「ほら、シンクロ率400%軽く超えてるぞ」
うん確かに正しく猫だ。いつの間にやら尻尾状のアクセサリーも着けてるし。実は気に入っているのか。
「そういうわけではない! ないといったらない!」
ショックの余りか、いつもの調子を取り戻したような林檎がしゃぎゃーと吠える。
「い、いきなりなんだこの変態が! どっきりというか心臓停止したかと思ったじゃないかこらあ! 生きているはずのおばあさまが川向こうのお花畑で手招きしているのが見えたんだぞ!? そう言うことはもっと手順を踏んでいやそうじゃない! 一万年と二千年くらい早いそんくらいたてばやぶさかでもないと言うわけでもないが! いや時間経過がどうこうというわけじゃなくてアレだ、その、分かるだろう!?」
ごめん分かんない。動揺しているんだろうなあってのは伝わったんだがね。
対する北畑は落ち着いたもので、きざったらしい笑みを軽く浮かべ、穏やかに林檎へと語り掛ける。
「つまり急な話で驚いた、という事だな? 確かに俺様も急ぎすぎたところはある。そこは素直に謝罪しておこう」
別人みたいな冷静さだ。いつもこうならモテまくっていたろうが、生憎コイツの中身を知っているアタシたちはむしろ退く。一見まともに見えても普段からすれば確実に異常。決してまともな精神状態じゃない。
「あ、あの、旦那? ここは一つその、冷静に考えを改め治して……」
「俺様は冷静だ。ついでに正気だ」
冷静な人間は自分で冷静だなんて言わない。これは大分頭に血が上っているな。
……ぶん殴ったら直るだろうか。
「ってかさあ秋沼、猫オプション外せばいんじゃね?」
夕樹の冷静なツッコミに、『あ』と声を上げるアタシたち。そりゃそうだよアレ付けたから北畑はおかしくなったわけで、外せば元に戻るのが道理。あまりにも似合ってるんでついその事を失念していた。
実はみんなちょっと気に入っていたのかも知れない。
一瞬空気が暗くなるが、気を取り直して林檎を促す。林檎はちょっと複雑そうな顔をして(多分気に入っていたんだろうが北畑に迫られるのは堪らなかったんだろう)渋々といった感じでグッズを外す。しかし。
「…………うむ、外しても全く猫的魅力は損なわれていないな」
きらりんと目を輝かせて、平然と宣う北畑。
あっれェ!?
首を傾げるアタシらの前で、戸惑う林檎に向かい彼は熱心に語り掛ける。
「猫グッズはきっかけに過ぎない。ただお前の魅力に気付かせてくれただけだ。今の今まで気付かなかったというのもおかしな話だが、やはり俺様の目が曇っていたという事なのだろう。考えてみれば春沢、冬池は犬属性、夏川は鬼神属性――」
「マテやコラ」
「――それぞれ魅力的ではあるがやはりお前の猫属性には到底及ばない。一見すればただの小うるさい娘だと思われがちだが、その実気に入った人間以外の者から距離を取り孤高を保とうとするその気高さ。俺様はそこに理想の猫属性を見た。今回のことがなければ一生見逃すところだったかも知れん」
人スルーして口説き続けるとは良い度胸だなオイ。OK宣戦布告と判断したぞこの野郎。拳を握りしめ、はーっと息を吹きかけるアタシを、皆がよってたかって羽交い締めにする。
「待った! 気持ちは分かるけど落ち着け!」
「アレで一応誉めているつもりなんだって! 悪気はないんだって!」
「大丈夫だから! なっちゃん女性の魅力に溢れているから!」
「ええそうですともむしろ有り余っているでしょう! 一、二割くらいよこしてくださいこんちくしょう!」
「…………馬に蹴られたくなければ、止めておけ」
……ああもう分かったってば。アタシは拳を下ろし、皆はほっと息をついて手を放す。しかしどうしたもんだろうねあの馬鹿。口説きを続ける北畑を横目で眺め、どうやって目を覚まさせるか考える。
………………ふむ。
「……誰かネコ耳付けてみる?」
『やだ』
「…………この二人は、オレのだ」
即座に拒否してノブにすがりつく二人と、護るように二人を抱き抱えるノブ。はいはいそうだと思ったよ。無論アタシだっていやだ。となると……。
「ダメ元で西の字、付けてみるか?」
「うェ!? 僕だってやだよ。大体男が付けたって可愛いモンじゃないだろ!?」
カヅの提案を素っ頓狂な声を上げて一蹴する夕樹。いやまあ普通だったらそうだろうけどさあ。
………………。
それは完全に興味本位の行動だった。
北畑の吹っ飛びすぎた行動に感化されたからも知れない。ともかく何の気もなしにネコ耳を手に取り、こちらに背を向けて対策を練っていた夕樹の頭にすぽんと装着してみた。
「わわ、何さ」
ちょっと驚いた夕樹がこちらに振り返り、アタシを上目遣いで見る。
その瞬間、ぶつっという音と共に、アタシの意識は吹っ飛んだ。
「………………りんさん! かりんさん! 正気に戻って下さい!」
ぱしんぱしんと誰かが頬を打つ。
…………痛いじゃないか。つーかアタシは一体?
「ええいもう仕方がない!」
「ぐーはやめんかああああ!」
奥歯が折れるかという衝撃と共にアタシは我を取り戻し、咆吼しながら身を起こした。
「ああ、やっと正気に戻った。もう大変だったんですよ?」
店の長いすに寝かされていたアタシの傍らには、ぷりぷりと怒って見せている小梅の姿が。はれ? なんでアンタそんなにぼろぼろなのさ? ってか一体全体何がどうなってんの?
「何がって……ホントに全然覚えていないんですか? あんな大惨事引き起こしておいて」
ちょ、何それ!? 驚いて周りを見回してみれば…………うわあ店の中がぐちゃぐちゃになってる。
「こ、これ、アタシがやったの!?」
「正確に言えばかりんさんを止めようとしたところから始まって、口説きを邪魔された北畑さんが暴れたり、南田姉妹が乱入して香月さんを拉致ろうとしたりしてカオスった結果です」
本当に、アタシ一体何をしたんだろう。呆然とするアタシに対し、小梅は黙って店の傍らを指し示した。
そこには。
「…………すまないユウ。オレの力が足らなかったばかりに……」
「テル君のせいじゃない。テル君のせいじゃないのよ」
打ち拉がれているノブと檸檬。そして。
「……うぅん……」
なんか思いっきり乱れた格好で肌を露出させ、全身べとべとになって色っぽく気絶している夕樹の姿が。
…………………………え〜と。
「もしかして、アタシがやったんでしょうか?」
「はい。もしかしなくてもあなたです」
「何したアタシーーーー!!!???」
絶叫するアタシに対し、小梅は至極冷静というか醒めた態度で説明する。
「具体的にはネコ耳付けた西之谷君を押し倒してキスの雨降らせてこねくり回して舐め回してR18一歩手前まで突き進みました。あまりの手際と過激さに対処が遅れこのような惨事に…………」
「うぇええええええ!?」
ちょっと待ったちょっと待ったちょっと待った! 何アタシ何やってんの!? 羞恥とか動揺とかもうそう言うレベルじゃないくらい混乱して狼狽えるアタシに、小梅は容赦なく追撃をかける。
「凄かったですよ。流石は鬼神属性。もう西之谷さんを食らい尽くさんとせんばかりの勢いでくんづほぐれつ」
「ちょおおおおお! うそおおおお!?」
「本当ですよ? 証拠にほら、都合よく持っていたMP3プレイヤーにその様子が」
『ちょ、かりん何をはぁん可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛い可愛いはむちゅるくちゃあんむうちゅっちゅぷはあだめやめてやだやめないちゅっちゅっちゅぺろぺろぺろやあそこだめえだめじゃないでしょほらあこここんなにしてるくせにさすさすもにゅもにゅ……』
「きぃやあああああああああああ!!!」
あ、アタシのセクシャルハラスメントナンバーワンーーーー!! 羞恥のあまり頭を抱えて床を転げまくるアタシ。こ、こんなに堪え性がなかったのかアタシって人間は!? つかなんでこんな事になったんだよう。
「実は凄いネコ耳属性だったとしか。……猫派の人達の事、笑えませんね」
落ち込んだよもの凄い落ち込んだよ。アタシってばこんなに変態さんだったのか。自分の人生に凄まじい喪失感と絶望を覚えて両手膝を付くアタシの肩を、小梅がぽんぽんと叩く。
「で、何か大切なことを言い忘れていませんか?」
見上げれば小梅の笑顔。ただし額に青筋。
OK把握した。
「皆様まことに申し訳有りませんでした。此度の事はひとえにわたくしの不徳の致すところ、どうかこの哀れで卑しいエロ雌犬を存分に罵るなり罵倒するなりお好きになさって下さいませ」
即土下座。これはフルボッココース&全額弁償でも文句は言えない。ひたすら謝罪と賠償しかないだろう。
とか思っていたら、溜息の後小梅の怒気が消え去った。
「……まあ私たちも暴走に関しては人のことを言えませんし、お店ぐちゃぐちゃにしたのは主に南田姉妹ですから弁償とかは言われないでしょう。今立て込んでるんで多分ですけど」「た、立て込んでるって?」
「…………香月さんは、貴い犠牲でした」
結局拉致られたんかい。とりあえず冥福は祈っておいたけど、そこまではアタシの責任じゃないよなあ。多分。
と、後頭部に冷や汗を流していたら、「ううん……」と呻き声が聞こえる。
夕樹が気付いたのだと判断する前に、アタシの体は条件反射的に動いた。
「すまんかったーーー!!!」
ジャンピング土下座。数メートルを一気に跳躍し、夕樹の眼前で深々と頭を垂れ額を床にたたきつける。謝って済む問題じゃないかも知れない。言ってみりゃあレイプされたのだから。確実に嫌われているだろう。全てを拒絶されたっておかしくはない。許しを請うことすらおこがましいとも思える。
どうなっても、何をされても文句など言えるはずもない。けれど……怖かった。嫌われるのが、二度と笑顔を見られなくなるのが。
「あ……えっと……と、とりあえず頭を上げてよ。怒ってないから」
夕樹の言葉に、ハッと顔を上げるアタシ。彼は困ったような表情で、アタシの前に跪いて視線を合わせた。
「あ〜もう、こんなにぐしょぐしょにして、ほらちょっとじっとしてて」
取りだしたハンカチで顔を拭かれ、アタシは自分が盛大に涙と鼻水を流しているのに気付いた。夕樹は汚れたアタシの顔を丁寧に拭い、「ほい綺麗になった」と笑いかけた。
「う、その……ごめん。悪かった」
羞恥と照れと罪悪感でまともに視線を合わせられない。そんなアタシの肩をぽんぽんと叩いて、夕樹は口を耳元に寄せて囁く。
「その……………………心の準備が全くできてなかったので、今度は二人っきりの時にお願いします」
…………………………へ?
え? その………………えーーーっ!? それって!?
沸騰する頭。目を見開いてがばりと夕樹の方に視線を向ければ、彼は真っ赤な顔で即座に視線を背けた。
うあ、うあ、うああああああ! えーっとあーっとおーっと、いいいいいいやん。落ち着けアタシ。
どどどどどうしよう。とととりあえず話題を、話題を変えないと。アタシはきょときょとと周囲を見回し、“ある事”に気付いてそれを問うた。
「と、ところで林檎と北畑はどうしたんだい?」
なんか生暖かい視線を向けられているような気がしたけれどとりあえず無視。そんなアタシの問いに生暖かい視線を向けていた檸檬が答える。
「北畑君はちょっと暴走はいりそうだったんでシメといたの。奥の部屋で寝かせてるよ。りんちゃんはちょっと落ち着きそうにないからひとまず家に帰しておいたわ。二人とも一晩頭を冷やせばもうちょっと冷静になれるんじゃないかと……」
その台詞の最中で、唐突に轟音が響き渡り、止り木は盛大に揺さぶられた。
な、なんだ? 地震か? おののくアタシたち。確認のため店のTVを点けようとしたら、檸檬の懐から携帯の着信音が響いてきた。
「は、はい! 檸檬ですけど?」
携帯を取りだして答える檸檬。そのスピーカーから店中に響き渡るほどの絶叫が響いた。
「た、助けて檸檬ーーーーーー!!!」
それは紛うことなく、秋沼 林檎の声だった。